昭和の女

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昭和の女

 母は近所のスーパーで働いている。パートタイムながら、長年の勤務で店長からの信頼も厚い。勤め始めたのは父の一周忌が済んでからだった。母が「働かにゃいかん」と言った時、僕はキョトンとしてしまった。今まで働いたことはないはずの母の口から、そんな言葉が出てくるとは思いもしなかったからだ。母が言うには「喪が明けたから、これからは好きなように生きる」のだそうだ。僕が働いているから生活には困らないのだが、家にいてもやることがないし、まだ40代なのに息子に面倒を見てもらうのは嫌だというのだ。特に反対する理由もなかったので、僕は賛成した。母は、記入済みの履歴書を持ってきて「これで大丈夫?」と聞いてきた。趣味欄に「料理、洗濯、掃除、買い物」と書いてあったので、思わず「お母さん、これ、主婦丸出しでしょ」と笑ってしまった。  勤め始めると、母はなかなか接客上手であった。バーコードの読み取りの速さは、ちょっとした名人芸だった。カゴに詰め替えるのも、テトリスのようにきっちりとしていて美しい。現金を数えていた時代は機械のように正確で、間違えたことは一切なかった。消費税表示が変わるごとにレジシステムが更新されても、他の誰より慣れるのが早かった。最近では、アクリル板設置、キャッシュレス決済導入、非接触接客、消毒、マスク手袋着用など、新しいことが目白押しだったが、もう70歳を過ぎているわりには柔軟にこなしている。  スーパーは年中無休なので、年末年始もシフトが入る。母は「テレビが面白くないから」と言って、年末年始はいつもシフトを入れていた。だから毎年、会社が休みに入った僕が大掃除をして、正月飾りを準備している。さすがにおせち料理は作れないので、母が社販で買ってきてくれる。時々、僕に友達と旅行する予定があれば、おせち料理も省略して、母は通常通りスーパーに出勤していく。そのため、店長からも他のスタッフからも重宝がられて、シフトを変わってくれと言われることが多い。  お客さんの間でも有名人で、密かにファンもついているようだった。母の容姿は中の上といったところだが、実年齢よりは若く見える。いつだったか、母の退勤時間を狙ってやってくる男性客がいて、後をつけられたことがあった。その時は母も、さすがに怖がって店長に訴えたため、以後監視カメラが設置された。  今年も母は、元日から出勤だった。三賀日の営業時間は、午前11時~午後7時だから、朝はゆっくり雑煮を食べた。今日の早番は、午後4時に退勤できる。僕は「車で迎えに行くから、大仏さんでもお参りしようか?」と母に提案した。母も「いいね。じゃあ、日本酒も買って帰れるわぁ~」と嬉しそうだった。そして10時半頃、出勤していった。  僕は、ラジオをつけた。通勤もそうだが、現場間も車で移動することが多いので、ラジオのほうに馴染みがある。今日は、朝から新春特番をやっているようだった。よく聞くラジオネームの方々の投稿があり、自分もスマホを出して投稿しながら聞いていた。  午後4時、僕は母の勤めるスーパーの駐車場に車を止めた。ラジオからは、ニュースが流れていた。買い物でもしているのか、母はなかなか姿を現さなかった。  突然、激しい衝撃が僕たち(・・・・)を襲った。始まったばかりのラジオ特番が、一瞬で地震速報に切り替わった。「石川県で地震!」ラジオから繰り返し聞こえてきた。 「お母さん!!!!!」 僕はエンジンをかけたまま車を飛び出し、店に入っていった。ガラスが割れ、棚の物が吹き飛び、携帯の防災アラームがあちこちで鳴り響き、悲鳴が渦巻いていた。母は、サッカー台にいた。 「お母さん!こっち!早く!」 僕は母の体を守るように抱えて、母は一升瓶を守るように抱えて、小走りに店を脱出した。 「おせち料理、忘れた!」 母が言った。僕は、それを無視して車を発進させた。 「ねぇ、おせち料理あそこに置いて来ちゃっとぅ!」 母は、まだ事態を理解していないようだった。とにかく、山手に向かって車を走らせた。 「あれ?大仏さんに行かないの?反対方向に走っとるでぇ」 高速道路をくぐり、更に山手に進んだところで、土砂崩れによって行く手を阻まれた。車をゆっくり止めて、助手席の母を見た。もう、状況を理解しているようだった。 「まだ、揺れとるよ…」 ラジオから津波警報が流れてくる。しきりに海岸から離れるように呼び掛けている。僕は海から離れようと車を走らせたのだが、無意識に自分が仕事で担当している空港に向かっていたようだった。 「お母さん、僕、電気通しに行かんとならん」 「そうやね、気いつけてな」 僕は家に向かって、ゆっくりと車を走らせた。あちこちで土砂崩れが起きており、茶色い土がパラパラと落ちてきていた。道路のひび割れや陥没に冷や冷やしながら、なんとか町の中心部が見えるところまできて、一時停止した。薄暮が迫っている町は暗かった。ひとつも明かりが見えない。信号も消えている。倒壊した家から土煙が上がり、構造物がむき出しになり、木材がめちゃくちゃに折れていた。僕は、壊滅した町の向こうに見える港をしばらく見つめていた。 「ねぇ、早く町に降りんかね?」 僕が車を止めたので、母が目をつぶったまま言った。高いところが苦手なので、ここを通る時母は目をつぶる癖がある。 「ごめん、ちょっと待っといて。海、見とるし」 「そうかぁ…」 しばらくすると、沖のほうから黒く海水が盛り上がって陸地に向かってくるのが見えた。 「来たっ!!!」 海水は湾内に入ってくると、高さを増した。軽々と防波堤を超え、船を押し上げ、町を海水が呑み込んでいった。川を海水が逆流していく。川に面した住宅街に、ヒタヒタと水が入っていく。さっきまで母が務めていたスーパーも浸水したようだ。津波は川の合流点辺りまで押し寄せた後、静かに引き始めた。水に浮かんだ全ての物をさらうかのように海が持ち去っていくのを見届け、僕は車を発進させ家に向かった。 「もう、ええよ」 そう言うと、母が目を開けた。 「どうだったんえ?」 「おせち料理は海が食べてしもうたね」 それから、家にたどり着くまで、僕も母も一言も発しなかった。僕は、今見た光景を母が見なくてよかったと思った。町は瓦礫で埋め尽くされていた。  僕は2007年のマグニチュード6.9の震災の後、防災士資格を取得した。本業の電気設備管理技能と併用すれば、災害時の役に立つからだ。あの時、災害支援の現場で知り合った防災士の方が、本業は建築士なのだと話してくれた。その方は阪神淡路大震災で、自分が設計した建物で命や財産や思い出や何もかもが奪われてしまうのを目の当たりにして、防災士資格が創設されたときに取得したのだと言った。その話を聞いて、僕も街を照らし人々の暮らしのための電気設備の管理者なんだから、その電気が火災など起こしてほしくないと思った。防災士は、災害発生時には救援活動の中心的存在となり、人命救助、消火、避難誘導などに当たる。母も、これから僕がなすべきことをわかっていた。だから、それについては何も言わなかった。  幸い、家は倒壊を免れていた。しかし、家屋調査を経ない限り、ここで生活はできない。電気、ガス、水道は止まっていた。スマホが鳴らないのも、通信設備が被災したためだろう。家から食料、衣類、布団、暖をとるもの、非常持ち出し袋、貴重品、ヘッドライト、カセットコンロ、日用品、衛生用品、寝袋、ポータブルバッテリーと太陽光蓄電器などを車に積み、一番丈夫そうな靴を履いて、家中の鍵をかけたのを確認し、ブレーカーを落として、車に乗り込んだ。今夜から僕は車中避難しなければならない。母を役場に開設された避難所に送った。役場の駐車場はひび割れ、土砂崩れのために半分ほどしか使用できない状態だった。避難者名簿に母の必要事項を書き込んで、僕は防災士の登録をした。  僕の担当現場の空港は、自衛隊と消防の救援拠点に指定されている。僕は先ほど見てきた土砂崩れの箇所を、役場の土木担当者に伝えた。職員と消防団10名ほどが車に分乗し、僕の車にも3人の消防士を乗せて災害現場に向かった。  道が通れるようになったのは、日付を超えた深夜であった。僕たちは慎重に運転して、空港を目指した。道には凹凸ができ、穴をよけ、落石を回避し、ひび割れを恐る恐る渡っていき、空港に到着したときは、すでに夜が明けていた。僕は、それから空港の駐車場で車中泊を続けることになった。空港電気設備の点検と復旧だけでなく、空港に取り残された人々の救援や市街地へ向かうバスへの誘導、救援物資を避難所に送る仕事もある。滑走路には大きなひび割れができているため、しばらくはヘリコプターで救援物資が届けられた。僕は、それを種分けして、それぞれの避難所へ輸送した。避難所の職員とともに電気設備の点検や、家屋調査を手伝うこともあった。寝る時間以外は休む間もなく、一週間が過ぎていった。  その日は、久しぶりに町の中心部へ入った。物資の輸送と配布を終えて、母の避難している役場へ向かった。役場に活動報告をした後、避難所を覗きに行った。入り口に職員の女性がいたので、身分証を見せて挨拶した。 「あのぉ、前田節子さんの御親類の方ですか?」 職員が恐る恐ると言った感じで、僕にたずねてきた。 「はい、前田節子は僕の母ですが…」 「失礼なことかもしれませんが、前田節子さんの様子がちょっと…」 「何か、ありましたか?」 「ええ。水を飲んでくれなくて…」 「トイレが近くなるからとか、考えとるんかもしれんね」 「いいえ、そんな感じではなくて…特に朝なんですが、コップにお水を入れて持って歩くんです。何か探していらっしゃるように辺りを一周して、戻っていかれるんです」 「はぁ?」 「本当に失礼なことかもしれないんですが、認知症とか…」 「それはないと思いますよ。地震の直前までスーパーで働いていたんで」 「そうですか。とにかく様子を見ていただけませんか?」 「わかりました」 避難所は雑然と段ボールの間仕切りがされ、荷物や布団の間に人が座ったり横になったりしていた。職員が部屋の一角を右手全体で指し示してくれたので、僕はまっすぐそこへ向かった。母は壁のほうを向いて座っており、その前には小さな折り畳み机が置かれ、机の上には水が入ったコップが乗っていた。僕はハッとして、母に気づかれないように避難所を出た。入り口の職員にすぐ戻るからと告げて、急いで家に帰った。  玄関の鍵を開け、1階の奥の部屋に入った。仏壇の前に座り、御鈴を鳴らして手を合わせた。安全のため焼香は省略し、位牌と遺影をバンダナで包んで持ち出した。玄関をしっかり施錠して、避難所に行った。 「大切な人を忘れてきとって…」 入り口の職員に声をかけた。 「はぁー?」 気の抜けたような返事をして、職員は僕を見上げていた。僕は、小走りに母のもとへ行った。 「お母さん、ごめん!お父さん忘れてきとって…」 そう言って、母の前の机に位牌と遺影を置いた。すると母は僕に気づき、振り仰いで僕を見た。 「あー、よかった。お父さん無事だったんえぇ」 「ああ、大丈夫やったよ」 母はホッとした表情になり、位牌に向かって手を合わせた。    
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