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住んでいるアパートは歩いて十分程度。とりあえず日付が変わる前には帰れそうだ。
敷地は森林に囲まれ、遊歩道が出来ている。朝や昼間は樹木から発せられる揮発性物質や外気浴による健康増進効果を期待した人気の散歩コースだが、夜は薄暗くひと気が全くないため慣れた道であっても多少の恐怖心を煽られる。
申し訳程度に照らす外灯の明かりを頼りに、少しだけ普段より歩くペースを速めた。
遠く、木々の向こうにライトらしき明かりがチカチカと光っているのが見える。警備員が時間で巡視しているのだとわかりホッとなる。
その時だった。
通り過ぎようとした真横の木の影から人が現れ、大きくよろめいた。すぐに木に寄りかかりなんとか体勢を整えたかと思えば、今度は大げさに頭を押さえて首を振り始めた。
不審者かと思い悲鳴を上げそうになる。大きく後退り、思わずポケットに忍ばせていた防犯ブザー取り出した。病院側から携帯するように言われている防犯ブザーだ。過去、退院した患者が担当看護師にこの敷地内で交際を迫りながら追い回す事件があったらしく、職員全員支給にされている。まさか自分が活用することになるとは思わなかったのだが。
「きみ……ここの職員?」
不審者と思しき人物が愛奈に気づいて声をかけてきた。彼は愛奈が手にしている防犯ブザーを見ている。
愛奈はその場に固まったまま頷く。そして、そこでようやく冷静に相手の顔を確認することができた。
180㎝はあろう高身長なうえ、まつ毛が長いためか顔の彫が深く、整った容姿をした優男だった。見れば目を惹かれる女性が多いだろう。他人から容姿に関して羨む声を浴びることが多いせいか、あまり他人の容姿に関心を抱かない愛奈も、さすがに彼の容姿には目を惹かれた。
彼は不審者などではない。この共架地域医療センターの勤務医だ。名前は片瀬。
三カ月ほど前にやってきて早々に看護師たちの注目を浴びていたので多少情報を持っている。一見クールなように見えて明るく、愛嬌のある外科医。たしかそんな評判だったと思う。愛奈は内科病棟に所属しているため、実際に彼とまともに対面するのはこれが初めてだ。
「はは。実は家の鍵なくしちゃって、探してるとこ」
片瀬は頭を掻きながら地面を見回す。
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