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それが本当なら、けっこう大変な事態ではないかと思った。だが、どうにも彼からはお酒の匂いがする。お酒を飲むなとは言わないが、病院の敷地内で医者が酔っ払った状態でいるのはまずい気がする。
愛奈が不安に思った矢先、先程遠くに見えたライトがこちらへ近づいてきているのに気付いた。警備員だろう。
「あの、あの……!」
愛奈は片瀬に目配せをするが、その意味など彼が理解できるはずもなく首を傾げる。とたん、眩しそうに眉間にしわが寄った。頭からつま先まで一線を引くようにライトが当てられたのだ。
「ここでいったい何を?」
警備員が不審そうに二人を見比べ、尋ねてきた。
「いったい何をって、いったい何をですか?」
片瀬が意味不明な返答をしたため、ますます警備員は怪しんだ目つきになった。
「すみません。でも私たち、怪しいものじゃないです。ここの職員です」
「はあ、こんな遅くまでお疲れ様です」
警備員は愛奈が不審者に絡まれているのだと思ってやってきたようだが、愛奈自身が否定したため、ひとまず警戒を解いてくれたようだ。
「帰りましょう」
愛奈はそう言って片瀬の腕を掴み、引っ張った。またしても彼はよろめいたが、「おっとっと」などとのん気に片足でステップを踏み、愛奈について来る。
正門を出て、横断歩道の前で立ち止まる。愛奈は逸る鼓動を抑えるため胸に手を当てて深く息を吐いた。
「逃げる必要あった?」
片瀬に聞かれ、愛奈はムッとした表情で彼を見た。
「ありました! 先生、酔ってるでしょう? そんな状態であの場所にいたら、先生の評判がた落ちですよ」
「別に病院で飲んでたわけじゃない。ちゃんと居酒屋で飲んでたんだ。けど帰ろうとしたら家の鍵がないのに気付いて、それで今日通った道を引き返しながら探してただけだよ」
たしかに、片瀬の行動理由は納得できる。
「それに、俺の評判なんか最初から落ちるほどの高さもない」
自虐するように片瀬は笑った。愛奈は言葉の意味を問うことはせず、黙っていた。
片瀬の方も特に自虐を続ける気はないらしく、今度は一縷の望みをかけたいのかジャケットやズボンのポケットに手を入れ、鍵を探しだす。
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