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「名前」
「え……?」
「君の名前。呼びたいんだけど」
「私の、名前?」
どうして名前なんか呼びたがるのだろう。どうせ一夜限りの相手にするつもりで近づいてきたくせに。
愛奈は躊躇する。だが、片瀬に真剣な眼差しを向けられると観念するしかなかった。素直に名前を告げた。
「……愛奈」
「愛奈?」
確認するように呼ばれ、静かに頷く。
「そっか。愛奈。……きれいな名前だね」
片瀬が噛みしめるように呟き、優しく微笑む。
この人は、私を拒絶しないのか。こんな傷ついた体、嫌ではないのだろうか。
「いいんですか? 私……」
言葉を続けようとする愛奈の唇に優しく片瀬の指が添えられる。
「愛奈……。絶対に大切にする。本当に、ごめん」
彼はその後も何度も愛奈の名を呼び、それからすべてが終わってしまった後、もう一度「ごめん」と言った。
◇
セットしていた目覚ましが鳴るよりも前に愛奈は目を覚ました。
完全な寝不足の上、腰に鈍い痛みを感じる。体がだるくてしかたない。それなのに鏡に映る自分の姿はさほど疲労の色は伺えない。
昨夜……いや、日付を超えていたのだから正確には今日の出来事になるが、ほぼ初対面と言っていい男性に抱かれてしまった。
きっと途中で逃げ出すと思っていたのに、彼は最後まで態度を変えずに優しかった。
だが、夜が明けた後の片瀬は完全に正気に戻ったらしく、しばらく呆然と愛奈の姿を目で追っていた。
彼にとって酔った勢いで女性と関係を持つことは特に珍しいことではなかったのだろうが、愛奈が男性に身体を許したことが初めてであることを知ると多少罪悪感が生じたようだった。
愛奈の身体を気遣ったのだろう。「仕事を休もうか?」と聞いてくれたがもちろん首を振り、支度を整える。簡単だが二人分の朝食も準備した。普段はコーヒーとトースト程度の軽い食事しか作らないが、二日酔いであろう片瀬の身体を考慮し、和食を作った。
しじみとわかめの味噌汁を見るなり片瀬は嬉しそうに顔を綻ばせてくれたので、内心ほっとする。
テレビをつけるとちょうどニュース番組の星座占いのコーナーが始まるところだった。
片瀬は一見興味なさそうに画面を見ていたが、会話の足しになるとでも思ったのか愛奈へと視線を向け、「きみの星座は?」と聞いてきた。
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