2人が本棚に入れています
本棚に追加
伝えたくて
せわしなく流れる白いひかりに、ちらちらと視界をじゃまされる。すれちがうだれとも視線はあうことはなく、まるで水のようになめらかに人が流れていく。
こんなに人があふれている街なのに、僕には友とよべる人間がなんにんいるだろうか。そんなことを考えながら、いつもの駅についた。ふだんなら素通りする旅行会社のまえで、ふと足をとめてしまう。
「……うみ、か。…………いいな」
誰といるわけでもないのに、ツアーポスターをみて声をもらした。濃いみどりと深いあおが、僕の脳裏によみがえる。どこまでもつづく海のかなたに、水平線がしっかりと地球の存在をしらせてくれる。
きらきらと水面が輝いて、なつかしい声が耳のおくにひびいた。たのしそうに笑う、あのころの僕たちの姿を連想した。
「……元気かな」
あの街をでてから、十年もの年月が経っている。その間、僕はいちども街には帰っていない。仕事ももちろん忙しくはあったが、まったく休みがないわけでもなかった。
この十年のあいだに僕は、いちどの結婚と、いちどの離婚を経験した。目が不自由な親のために、本来ならば地元で式をするべきだったのだろう。だが僕はそれすらもせず、すべてを事後報告ですませてしまった。そう僕の両親は、孫の姿をみれなかっただけではなく、嫁の姿すら見たことがないのだ。
「今年は、……帰ってみるか…………」
再婚の機会にはめぐまれず、いまだに嫁を紹介することはできそうにない。それでもなんとなく、故郷のなつかしい空気にふれたいとおもった。心なしかゆるんだ頬にかるく口角をあげ、その場をはなれて改札へとむかう。
先ほどまでの雑踏がうそみたいな、静かな駅に降り立った。公園の外灯にうきあがるブランコをよこめに、誰もまっていないマンションへと歩みをすすめる。
郵便受けから中身をとりだし、一通の封書を手もとに残してあとはごみ箱へとほうりすてた。裏返すことなく差出人がわかる封筒に、重めのため息をつきエレベーターの扉をしめた。
夏をむかえて、僕は長期で故郷へかえることにした。ひと月いやふた月、もしかしたらもっと長い帰郷になるかもしれない。さすがに会社がそんな休暇を許すはずもなく、僕は生まれてはじめての退職願いを書くことになった。
戻れるようになったときは、かならず再雇用するから。そんな社交辞令におくりだされ、長年勤めた職場をあとにする。数えるほどの友とよべる人たちに、必ず戻ってくるからと残して手をふった。
「……ただいま」
「わあ! びっくりした……その声は、健一か?」
「うん、会社やめて帰ってきた」
「え? やめて……って……」
そう僕はまた、こんな大切なはなしを事後報告ですませてしまったのだ。そしてまだ報告するべきことがあるが、いまこの場でなくてもいいかと言葉をのみこむ。
帰るなり荷物をほうりなげて、出かけてくると告げる僕に、父親は白い杖を振りまわして怒りをあらわした。母親もすわって説明をしろとまくしたてるが、追いかけてくることは出来ないと知る僕は、あとで話すからと吐きすてながら家をでた。
「…………え、なにこれ」
僕が向かったのは、家からすぐのゲームセンター。学生だった僕たちの遊び場であり、数々の思い出がねむっている場所だ。
目のまえに立てられた、売却済みの立て看板。あったはずの建物はあとかたもなく消えさり、ひろい敷地はロープで囲われていた。ちらっと視界に入ったべつの看板には、介護福祉施設・建設予定地と書いてある。
誰にも帰ることを知らせていなかった僕は、なんにちもかけて昔の友達を訪問した。さすがに十年も経てば、みんなそれぞれの生活をしている。お互いのことをはあくするような付き合いはなく、探偵ごっこのような日々がつづいた。
こんかい僕がどうしても会っておきたいと思ったのは、片手ほどの人物だった。幸いにもひとりをのぞいて、残りの人たちは地元にいた。数週間という時間をひつようとはしたが、昔のはなしをしながら当時の面影を垣間見ることができ、僕なりに満足のいくひとときを過ごすことができた。
「……ところでさ、かず兄なんやけど」
「え、……かず兄がどうかした?」
最後の訪問先で彼の名前をだしたとき、一瞬だけ彼女の顔が強ばったのがわかった。ひょっとしたら彼の現在を、彼女はすでにしっているのかもしれない。
「かず兄、…………亡くなったって、ほんと?」
「………………は? うそやろ、なんで?」
僕は、自分の発言を後悔した。彼女は彼のなにかを知っているわけではなく、僕の口から彼の名前がでたことに怯んでいただけだったのだ。
「あ、いや、その……。浦ちゃんとか、みんなも詳しくは知らんみたいで……。けど、卒業者名簿に死去って書かれてたらしくて……、えっと……その……」
その後、彼女は彼のはなしを口にしなくなった。まるで詳しくは知りたくない、この話は聞かなかったことにするかのように。僕は高校を卒業と同時に、この街をでてしまった。だからその後のふたりのことは、あまり詳しくは知らない。
ただ、いまの彼女の様子からすると、きっとなにか深い事情があるのだろうと感じる。噂がほんとうなのか確かめることすら拒みたくなるような、なにか深い想いがあるのだろうと。
「あのさ、俺な……。今回、手術のために帰郷したんやわ……」
「……はあぁ? なんそれ」
「ん? ああ……、癌がな……みつかってしまってな……。もしかしたら最後の機会かもと思って……みんなに会ってきた。お前がな、最後のひとりなんよ……」
「……ふざけんなよ、なんが最後の機会かもか。……ばかやん」
「うん。かず兄にも感謝とか、謝りたいこととか……あったんやけどな……。けど、お前にありがとうと、ごめんが伝えられて…………よかったわ」
泣き笑いをしながら、彼女はおきまりの蹴りを見舞ってくれた。本当なら彼女と同じような笑顔の、彼からの蹴りも受けたかった。
たかが十年、されど十年。年若い僕たちは、もしかしたら明日は会えないかもしれないなんて考えることなどしなかった。まだ三十にもならない自分が、癌で逝くかもしれないなんて考えるはずもない。
ただ、僕は思った。あの日、海の写真に反応したのは、僕のなかの何かの知らせなんだと。ちまたでいう虫の知らせのような、僕のなかに眠っていたなにかが知らせてくれたんだと。
手術がどうなるのか、術後がどうなるのか、不安がないといったら嘘になる。もしかしたら本当に、二度とみんなには会えないかもしれない。だけど今回のことで、僕は今までの自分ではなくなれると感じた。
僕らに、明日は保証されてなんかない。事後報告なんて、出来なくなるかもしれないんだ。伝えられるうちに、会えるうちに……
最初のコメントを投稿しよう!