消せなくて、

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消せなくて、

d37bc5d1-2303-4598-8192-5b4971182919  部活がおわり腹ぺこで家に帰ると、台所にはママではなく姉ちゃんが立っている。その背中に向かって、「ただいま」と声をかける。  姉ちゃんは背中のまま「おかえり」と返し、食事の支度をつづけていた。 「今日、……なに?」 「とんかつ」 「……」 「……なに。嫌なら食べんでいいけど」  料理をしている姉ちゃんの横にいき、黙ってようすを伺っていた。反応がわるいと感じたのか、姉ちゃんは不機嫌に言い放つ。  そうではないと首をふり、少しはなれて続きをみていた。具材の入った鍋が煮たち、姉ちゃんは火をとめて冷蔵庫から味噌をとりだす。 「姉ちゃん、……それ、なにつくりよるん?」 「みそ汁やけど……なんで?」 「……へぇ…………みそ汁って、味噌いれるんや」 「…………。あんた、……大丈夫?」  振り向いた姉ちゃんは、今日もばっちりと化粧をしている。高校生の姉ちゃんは、いつも夕方にはいちど帰ってくる。  そしてわたしの夕飯を支度して、化粧をして着替えると出掛けていくのだ。帰りの時間はわからないが、あさ目を覚ますと帰っている。 「どっか、いくん?」 「うん、……なんで?」 「ひとりで食べるの、寂しいけん……」 「中学生にもなって、なにガキみたいなこと言いよるんな」  姉ちゃんとまともに顔をあわすのは、この夕方の時間だけ。わたしが小学生のあいだは、もっと一緒にいてくれていた。  もっと小さいころは、保育園のお迎えも姉ちゃんだった。うちには三時のおやつがないからと、あめ玉をいつもわたしにくれていた。  いつまで経ってもわたしは姉ちゃんの妹で、あの頃のように仲良くしてほしい。あめ玉は要らないけれど、もっと一緒にいてほしい。 「ここ、置いとくから。早く着替えて、食べるんで」 「……うん」  テーブルに食事を並べながら姉ちゃんがそう言ったとき、一階の事務室でおおきな物音がした。姉ちゃんの手がとまり、事務室へ行こうとする。  あまりのおおきな音に、わたしは肩をすぼめていた。ひとりになるのが不安で、慌てて姉ちゃんの後をおう。  事務室の扉のまえで、姉ちゃんは足をとめた。わたしは背中に隠れるように、なかの音に耳をかたむける。  パパとママの喧嘩だった。いつものことではあるが、今日のはいちだんと激しそう。ママの得意技である物飛ばしの合間に、ふたりの言い合いが聞こえてくる。  ガラスが割れるような音がした瞬間、わたしは怖くなって泣いてしまった。それに気づいた姉ちゃんは、事務室の扉を勢いよくあけた。 「あんたら、いい加減にしよや! 真南(まみ)が怖がっとるじゃろうが!」  事務室のなかが、静かになる。姉ちゃんの後ろから顔をのぞかせ、なかを見て震えがきた。パパのうしろの鏡がわれて、床に散乱しているのだ。  ホッチキスやいろいろな物がちらばり、パパは額から血を流している。こちらを見たママは、まだ興奮が覚めやらぬようすだ。 「わたしが出ていっちゃるわ! そうすりゃ満足なんやろうが!」 「ね、姉ちゃん……いやだ……。姉ちゃん出ていったら嫌だ」 「いいけん、あんたは黙っときよ」  パパとママの喧嘩の内容を、扉のまえで聞いていた姉ちゃん。それは姉ちゃんのことだったのだ。  ママの躾がわるい、パパは放棄しているともめていた。そしてパパが言ったひとこと、「我が家には歩南(あみ)は最初から居なかった」が致命的だった。  自分の子供を棄てるのかと、ママの怒りは頂点に達した。いつもより大きな物が飛び、鏡を割ってしまったのだ。  自分が喧嘩の原因になるのなら、出ていくと大声をだした姉ちゃん。目にいっぱい涙をため、それでも強気の姿勢だった。 「金もないくせに、出ていくとか簡単に言いなさんな!」  ママも強気で言い返したが、パパは黙って聞いている。いつもそうだ、パパは姉ちゃんに何も言い返せない。  今度は、ママと姉ちゃんの喧嘩になった。だけど物は飛んでこない。わたしが姉ちゃんの後ろに居るからだ。  ママの言葉に、姉ちゃんの身体が反応した。高校生に出ていくだけのお金はない、きっと姉ちゃんは出ていかない。 「……ここの家の、……子供じゃないのに……今まで置いてくれて、ありがとな。住むとこ……みつかるまで、わりぃけど置いてもらえるかな。なるべく早めに……出ていくけぇ」 「……姉ちゃん……なに言いよるん?」  姉ちゃんは、なにかを我慢するように震えていた。ゆっくりと小さな声で、震えながら喋った。そしてわたしの手を振り払い、そのまま外に出ていった。  つぎの日のあさ、恐るおそる部屋を覗く。姉ちゃんは、ベッドで寝ていた。やはり昨夜のはただの喧嘩だったんだと、ほっと胸を撫で下ろす。  それから一週間ほどたった、ある日のこと。姉ちゃんは着替えを持って、家を出てしまった。翌朝、部屋に姉ちゃんの姿がない。  そのまた翌朝も、翌々朝も、部屋に姉ちゃんが帰ることはなかった。  真夜中の電話に、めずらしく目がさめた。鳴っていたのは固定の電話で、ママが誰かと話をしている。  どこに居るのか、どんな状態か。警察には電話をするな、そこから動くな。そんなことを言って、電話をきった。  それからパパを起こして、ふたりは着替えをはじめる。どこに行くのかと訊ねると、姉ちゃんを迎えに行くと答えがかえる。  会える、姉ちゃんに会える。あれから二年の年月が経っていた。やっと姉ちゃんが帰ってくるんだ。  いままでどこで、何をしていたのだろう。訊きたいことがたくさんある、話したいこともたくさんある。  姉ちゃんの部屋は、そのままにしてある。ママから部屋を移れと言われたが、いつ帰ってきてもいいようにしておきたかった。  寝ていろと言われたが、興奮して眠れない。戻った車の音に、わたしは玄関へとはしった。ドアを開け、わたしは固まった。  二年ぶりに会った姉ちゃんは、頭から血まみれの状態でパパに抱えられている。 「……ねえ……ちゃん?」  返事もなければ、目が合うこともない。閉じられたままの瞼は、ぴくりとも動かなかった。  眠っているだけなのだろうか、不安になって鼻のまえに手をあててみる。パパはどこかへ電話をして、車の移動を頼んでいた。  警察、そうだママは警察に電話をするなと言っていた。姉ちゃんは事故をおこしてしまったのだろうか。  身体のあちこちを怪我しているが、主な出血は額の傷のようだ。全く動かない姉ちゃんの身体を、痛くないようにそっと拭いた。  病院に行かなくて、平気なのだろうか。このまま死んでしまったらどうしよう。怖くて震えながら、濡れたタオルで身体をふく。 「あんた、もういいけん。……寝なさい」 「……でも」 「明日も学校やろ。……後は、お母さんがするから」  部屋へと追いやられたが、姉ちゃんの姿が焼きついて眠れない。明日も学校だと言われたが、そんな気分になれるはずもない。  翌朝、姉ちゃんの部屋に行ってみた。目をあけた姉ちゃんは、自分で起き上がれないと助けを求める。  背中に手をいれて、ゆっくりと抱える。痛みを訴えながら、姉ちゃんはやっとの思いで身体を起こした。 「タクシー呼んだから、ひとりで行きなさいよ」 「ああ、……わかった」  顔を歪めながら立ち上がった姉ちゃんは、財布だけを手に部屋をでようとした。 「姉ちゃん、どこいくん?」 「……病院」 「ひとり、で? 真南(まみ)も……いく」 「あんた、学校やろ。いいけん、学校いきよ」  どうしてママは付き添わないのだろう。どうして昨夜、家ではなく病院に運ばなかったのだろう。疑問をくちにすることはできず、ただぎこちない家族のようすに不信感をいだく。  それでもいい、姉ちゃんが帰ってきてくれたのだから。これからはまた、姉ちゃんと話ができるのだから。  学校を休むことは許されなかったが、部活へは行かずに帰ってきた。姉ちゃんは部屋で寝ていて、肩にへんなバンドをつけている。 「姉ちゃん、それなに」 「うん、鎖骨が折れとった」 「おでこ、……は?」 「傷だけやけん、大丈夫らしい」  痛々しい姿で、姉ちゃんは笑った。ようすを見にきたママにも、同じ説明をしている。ただ、最後の言葉がきになった。  少し普通に動けるようになるまで、またしばらくここに居させてくれと言った。ママは何も返事をしないまま、渋い顔をしている。 「なあ、姉ちゃん。車……買ったん?」 「うん、けどもうないよ」 「なんで?」 「わたしの代わりに、死んだけん」  姉ちゃんは、峠で事故をしたらしい。ガードレールが強かったおかげで、渓へは落ちなかったという。  車を買うお金があるということは、どこかで仕事をしているのだと思った。訊いてみたが、教えてはくれない。  このまま家に帰ればいいのに、そう言ってみたが首をよこにふる。自分はここの子供じゃないからと、姉ちゃんは目を逸らした。  ただの喧嘩のなかでの言葉に、どうしてそこまでこだわっているのだろうか。パパだって本当は、あんなこと思っていないはずなのに。  この二年間、姉ちゃんはひとりだったのだろうか。ひとりぼっちで暮らして、寂しくはなかったのだろうか。 「いつから戻れそうか、ママが訊いてこいって……」  お見舞いだと言って訪れた女性が、姉ちゃんにそんなことを訊いていた。血まみれの再会から、ひとつき程がすぎていた。  姉ちゃんは、まだ痛みはあるが動けなくはないと答えた。もう少しで戻れそうだと、伝えて欲しいと言っている。  戻るとは仕事のことだろうか、ママとは誰のことだろうか。女性は苦笑いをして、本当は逃げたんじゃないか確かめてこいと言われたと話す。  そんなことだろうと思ったと、姉ちゃんは鼻でわらった。どういう状況なのかまったく掴めないが、なんとなく不安な気持ちになる。  部屋はそのままにしてあるからと、女性はそういって帰っていく。もしかしたらあの女性と、姉ちゃんは一緒に暮らしているのだろうか。 「なあ、姉ちゃん。さっきのひとと、一緒に住んでるん?」 「ちがうよ。店が借りてくれて、ひとりよ」 「……さみしく、ないん?」  その質問には、答えてもらえなかった。だけど姉ちゃんの顔は、すこしだけ寂しそうにみえる。きっと、我慢してるんだろうな。  このまま家に居てほしいと、もう一度お願いをしてみる。しかし返事はまえと変わらずで、決して首を縦にはふってくれない。  仕事があるなら、ここから行けばいい。そんなわたしの言葉も、姉ちゃんは笑うだけで「うん」とは言わない。  パパが帰ってこいと言ったなら、姉ちゃんは戻ってくれるだろうか。しかしパパもママも、どうしてだか戻れとは言わないのだ。 「品がわりぃ仕事なんかして……、狭い街やのに。ひとに知れたら、もう俺らもここには居られんわ」  そんなパパの言葉を最後に、姉ちゃんは荷物をまとめはじめる。まとめるといっても、ほんの身近な荷物だけ。  他のものは要らないといって、わたしにあげると言ってきた。要らなければ捨てていいと、姉ちゃんはわたしに微笑んだ。  嫌な予感がした。いま見送ってしまったら、もう二度と会えないような気がする。  出ていこうとする姉ちゃんの腕を、おもわず掴んで引いてしまう。まだ完治していない肩を押さえて、うっと低いこえをだす。  しまったと思い手をはなすと、姉ちゃんは「ばいばい」と言って背をむけた。 「パパ……なんで、姉ちゃんにあんなこと言うん。なんででていくなって、言わんの」  姉ちゃんは一度も振り返らず、そのまま玄関から出ていってしまった。ママは涙を拭いながら、事務室へと消えていく。  おまえは真面目に育ってくれよと、パパがわたしの顔をみた。パパの瞳も、少しだけうるんでいる。きっとパパも寂しいんだと感じた。 なのにどうして、だれも姉ちゃんを止めないのだろう。なぜ姉ちゃんも、家に帰ろうとしないのだろうか。  ほんとうは想いあっているはずなのに、何がみんなの邪魔をしているのだろう。ちょっとした喧嘩から、ばらばらになってしまった家族。  会いたいのに、会えないわたしたち。ちっぽけなわたしのちからでは、繋ぎ止めることが出来なかった絆。  酷か、救いか。時は止まることなく、規則正しくすぎていく。姉ちゃんが通すことなかった晴着に手を通し、親の加護から飛び出すわたし。  わたしは、知っている。この振り袖は、姉ちゃんのために作られたものだった。だけど姉ちゃんは、帰ってこなかった。  知らせがないのは、元気な証拠。ママは口癖のように、そう言っていた。ずっと意味がわからなかったけれど、いまならその意味がわかる気がする。  居場所がわからず、知らせることの出来なかった結婚式。姉ちゃんは、知ってくれていた。届いた祝いの品が、パパの頑固なくちを緩ませる。 「生きちょったんか、……よかった」  書かれていた住所を訪ねてみたが、そこは使われていない店舗あとだった。いつになったら、どんな状況なら、姉ちゃんは帰ってきてくれるのかな。  ぶつかり合ったって、消えることはない家族の絆。消してしまえたとしたら、どんなに楽なのだろうか。  姉ちゃん、あのね。わたし姉ちゃんに会いたいんだ、ずっと大好きなままなんだ。
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