海に産まれし……

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海に産まれし……

12773cbc-d479-48d2-addf-ce59cb27129d  遠いとおい夢をみたから、青いあおい海にきた。  それは、ひと里はなれた海のうえ。ぽっかりとうかぶ、おにぎりの形をした島だった。岸から遠くはなれたその島へは、船でなければ渡れない。  ポンポンポンポン……  わたしが名づけた、ぽんぽん船がやってくる。真っ黒に日焼けしたおじちゃんが、白い歯をめいっぱい見せて手を振っている。  港についた船から、ひょいっとカンちゃんが飛び降りた。くいっと眉間に皺をよせて、わたしの手から荷物をもぎ取る。 「おう、リン。よう来たのう」 「カンちゃん、リンのこと頼むわな」 「なーんが頼むか、我が放くっちょってから。ほらリン、行くぞ」  先に船に乗り込んだカンちゃんが、わたしに手を差しのべる。その手をつかみ船に移ると、カンちゃんは船のロープをほどいた。  わたしの母に、「迎えはいつだ」と確認するカンちゃん。盆明けだとの返事に、「また電話をしろ」と笑って手をあげた。  カンちゃんの合図で、おじちゃんが船をだす。ブロンブロンと煙をはいて、ぽんぽん船が後ろにさがった。  ぐるりと向きを変えた船は、ゆっくりと港から離れていく。よこに座ったカンちゃんが、わたしの顔をみてふんっと笑う。 「笑わんか。……愛想のねえやっちゃの」  もっと小さいころの私は、よく笑う子供だったらしい。たしかにどの写真をみても、無邪気な笑顔の私がいた。  身体中に潮風をたっぷりあびたころ、やっと島が近くに見えてくる。島の正面にみえる、ちいさな民宿。  船のおとに気づいたおばちゃんが、玄関のまえでこちらに手をふった。 「リンちゃん、よう来なんしたな」 「おかあ、ほら荷物。リン、ほら手……おちんなよ」  今日から私は、しばらくここで暮らす。これは毎年のことで、私の夏は島ではじまり島で終わるのだ。  どんなに退屈をしたとしても海のうえ、私には逃げ場などないのだ。そもそも逃げようなんて考えは、私は持ち合わせてはいなかった。  おじちゃんも、おばちゃんも、とても優しくしてくれる。カンちゃんもくちは悪く荒々しいけれど、私のことを気づかってくれている。  ここに預けておけば私の親は、楽して安心というわけだ。  岸からとおい、はなれ島。当然、電気などはとどいていない。家屋からはなれているお風呂は、おばちゃんが薪でわかしてくれる。  日が暮れると隣の納屋で、ぐおんぐおんと発電機がおらびはじめる。そいつはとっても大声だから、十時頃には黙らせる。 「おい、リン。海、……いくか?」 「いく!」  懐中電灯のあかりだけで暗い波止場をあるき、ガラガラ石の浜にでる。波打ちぎわのちいさな石が、海と一緒にうたって踊っていた。  余計なあかりのないそこは、満天の星空と月あかりだけ。とおい沖をとおる貨物船も、船だか星だかわからない。 「のう、リンよお。おまえ、もう俺の妹になりゃいいんじゃが」 「……それは、…………いやだ」 「なんか、こげん放くられちょってん、やっぱお母がいいんか」 「そんなんじゃ……」  足もとに気配を感じる。素早くわたしは立ちあがり、その場でじたばたと足をふむ。ざざざと散らばる船虫のあるくおと。  けらけらと笑いながら、カンちゃんは自分の膝に私をのせた。十ほど離れたカンちゃんに、私はちょっぴり恋をしていた。 「のう、リン。おまえ知っちょるか? 海はのお、俺たちん母親なんぞ」 「……母、……おや?」 「おお、そうよお。……人間はの、海から産まれて、海に還るんじゃが」  海はすべての源なんだという、そんなカンちゃんの顔を月が照らす。このさざ波を聴いて、安らぐ意味がわかった。  それは、急な知らせだった。カンちゃんが、海にかえったと。はなれた町の波止場でひとり、誰にもなにも言わずに去ったこと。  その日の海に、月は遊んでいたのだろうか。ひとり車のなか、海の声は聴こえていたのだろうか。寂しくは……なかっただろうか。  チイねえちゃんが、泣いていた。ナオにいちゃんは、呆然としていた。おじちゃんはもう居なくて、おばちゃんは寝込んでいた。  目の前にひろがる海は、どこまでも遠く青く美しい。陽のあかりに照らされた水面は、きらきらと白く光っている。  砂浜のすなが波にせられ、やがて静かに海にかえっていく。海のささやきは優しすぎて、わたしの涙にはとどかなかった。 「カンちゃん、海が……綺麗だよ」  たくさんの海を見てきたけれど、どこの海も綺麗だけど、わたしの海はここじゃない。  カンちゃんの産まれたあの海が、ふたりで見ていたあの海が、いつかわたしが還る海なんだろうな。 「カンちゃん、……また、来なんしえ」  カンちゃん、今度はいつ産まれてくるのかな。その時はどうか真っ先に、私に会いにきてはくれないだろうか。
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