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ぼくは、くま。
ぼくは、くま。名前ならある。あそこに座っているひとに教えてもらった。ぼくは『くま』。そして最近気づいたこと。
どうやらこれは、……着ぐるみらしい。
「ねぇ……、脱いでいい?」
「だめ」
「なんでぇ……、めちゃくちゃ動きづらいんですけど」
「だめ」
ビーズクッションにおおきな身体を委ねる男。振りむくことすらしない男の視線は、ひだりの手のなかにあるスマホに釘付けだ。
彼は、ずっとそうしている。朝から晩まで、片時もその手からスマホを離さない。そんなに熱心に何をみているのだろうか、気にはなるが覗きはしない。
「なあ、……最近、どう?」
「え? ……どうっ、……て言われても」
「……あ、……脱いでいいよ」
「あ、うんじゃあ…………。っちゅうかさ、どうって何なん? がち何もねぇで退屈しまくっ」
「ちょ! 黙って」
「は? 黙れっちなんか、お前が最近どうやら訊いてき……」
彼の空いた右手が、すっと伸びる。ぼくに向けられたその手は、そうぼくを制止しようと向けられた手。彼の視線はそのままに、変わらずスマホの中にある。
どうしたのだ、と問うてみた。だがしかし彼の口もとは動きはしない。黙って待つしかなさそうだ、と思いぼくはその場で静止した。
「なあ、一緒に探しに行こうか」
「……は? お前、なん訳のわからんこと言いよんのか」
「いや、ちょっと……この子なんやけど」
やっと顔をこちらに向けた彼は、ひだり手にあるスマホの画面をぼくに向ける。こんぺいとうがどうだとか砂浜がどうだとか、至って普通のつぶやきが瞳に映る。
いったいこれがどうしたと言うのだろうか、小首を傾げるぼくに向かって彼は小さくため息をついた。わからないのかという彼の表情に、分かるわけがないと眉で答える。
「一緒に探しに行こうよ」
「……はあぁ? お前、バカなん? 何処の誰かもわからんヤツやん。何、訳のわか……」
「それ、着て」
「え、あっ……あぁ……」
せっかく脱いだそれを持ちあげ、喉を鳴らしながら身をつつむ。くるりと背中を向けたなら、彼は立ちあがり背中のファスナーを上げてくれた。
よし、これでいい。そんな言葉は口にはしないが、ぼくの背中をぽんっと軽くたたく。再び向かいあったぼくと彼は、無言でその場にしゃがみこんだ。
改めて見せられるスマホの画面に、ぼくはじっと瞳をこらした。やはり普通のつぶやきではあったが、何かしら寂しさが喉にかかった。
「探しに行こうか、一緒に」
「どうして?」
「きみのハグが、必要かもしれない」
何処に住んでいるのかも、本当の名前すらもわからない相手。そんな相手が助けを求めている、と彼は言う。そして自分たちがそれをしなければならない、と彼は言うのだ。
そんなに簡単には見つけられないだろうと言うぼくに、彼は一週間ほど身体が空いているという。それで見つけられなければ、縁がなかったと諦めようと。
「だけど……。そんな自信は、ぼくにはないよ」
「大丈夫、僕がきみに救われたんだから」
「……でも」
「僕たちがやらないで、誰がやるの? いいんだよ、何も言わなくて。ただ、きみはハグしてあげるだけでいい」
ぼくは、くま。名前ならある。ここに座っているひとに教えてもらった。ぼくは『くま』。そして最近気づいたこと。
どうやらこの世は、寄り添う心で
……上手くまわっていくらしい。
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