真夏の少年

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真夏の少年

93a6a1e5-e863-4aa0-805d-3f4b40aedfcc  お昼の給食をたべて抜けだした校舎の視線からにげるように、急いでビルの陰へと走りこんだ。太陽は高い位置にあるけれど、マフラーを巻きなおさずには居られないほど空気は冷たい。ビルの陰からすこしだけ顔をだし、騒ぎになっていないかを確認する。  どうせ午後の授業がはじまってしまえば、私たちが居なくなっていることは知れてしまうにもかかわらず、そんな幼稚な行動をとってしまう。 「来てない?」 「うん、来てない」  校舎の窓から数名の生徒がこちらを見ているが、とくに騒ぎ立てる気配はなかった。中には微笑みながら手をふっている者もいるほど、私たちの脱走はいつものことだった。巡回中のパトカーと出くわさないように、いつもの道を足早に移動していく。  なるべく人目につかないようにと仲間が教えてくれた住宅地をぬけて、大昔に使われていたという引込み線までたどりついた。あとはこの使われていない線路にそって歩いていけば、私たちの目指している仲間のいえまでそう遠くはない。 「ちょっと! 朱里(あかり)なにしよん、危ねえやん!」 「……え?」  線路だけのために架けられた橋梁のうえで、背後から皐月(さつき)が大声でさけぶ。昔の造りのこの橋は線路横のスペースがほとんどなく、すこしバランスを崩せば容易く川に飛び込めるような橋だった。  いつものように線路の内側をあるいていた私は、前からきた少年のために線路横に移動してあるいていたのだ。元々は白だったのであろう汚れたシャツの少年が、身体のおおきさにそぐわない大人用の自転車をおして線路の中をすすんできていた。  危なっかしいと感じたわたしは、自分が横によけて少年をやりすごそうと思っていた。そして当然、皐月(さつき)もそうするものだと思っていた。 「え、だって……自転車……」 「はあ? 何が自転車な!」  振りかえり皐月(さつき)と会話をした私は、彼女のことばに違和感をかんじた。ふたたび少年の方を向いた私は、そこで固まってしまった。  ……少年が、居ない。  きっと私たちの大声のせいで驚いた少年は、この川に飛び込んでしまったのだろうと下をみる。反対側に移動して、そこから再度したをみた。慌てふためくように色々な場所から川を覗くわたしに、皐月(さつき)は呆れたように訊ねてきた。 「……なあ、なんしよんの?」 「え、男の子がな……落ちたんじゃねえかと思って……」 「……男の子?」 「うん、汚ねえシャツの半パンの男の子が、自転車おして歩いてきたやろ」 「…………え、」  彼女の強張った表情をみて、わたしは冷静に考えてみる。マフラーが必須な真冬の昼間、半そで半パンの坊主頭の少年が橋梁を渡る。振り返れば少年はおらず、川に落ちた形跡もない。場所は橋のど真ん中あたり、少年との距離は二メートルほどだった。……不自然すぎる。  全身を鳥肌がおそい、私たちは顔を見合わせてとっさに走りだした。とちゅう気になって振り向いてみたが、やはりそこには誰もいなかった。  数年が経ち、引込み線はきれいな遊歩道へと姿をかえた。あの狭く危なかった橋の面影などまったくなく、ちょっとした遊具やベンチまで備えられている。いまでは私は自転車に乗って、この遊歩橋をわたることの方が多くなっていた。  いつものようにそこを渡っていて、ふと遊歩道のおわりまで行ってみたいと思ってしまった。特になんの目的があるわけでもないが、あまりにも吹く風が気持ちよかったのだ。橋を渡り終えて、そのまま自転車は進んでいく。遊歩道の行き止まりには、茶色いこじんまりとした建物があった。  確かずっと昔にここにあった建物は、学校だったと聞いたことがある。戦後のその朽ち果てた校舎に、肝試しといって仲間と入ったこともあった。いつの間にこんなきれいな建物に変わっていたのかもわからないが、そばに寄ってみると平和歴史館と書かれていた。 「あら? お嬢さん……歴史館に興味があるのかね?」 「えっ、……いや」 「まあまあ、無料なんで入ってみなさい」  年配の白髪頭のおじさんに促されて、わたしは建物のなかへとはいってしまった。そこはテレビなどでも時々みかけるような、戦争にまつわる品々や資料が展示されている場所だった。おじさんの説明をかるく聞き流しながら、順番に展示物をみていてふと足をとめる。 「……この写真……」 「ああ、それは戦後の小学生たちの写真やな。……この男の子はな」  誤認で空襲をうけた小学校で、弟を亡くしたという少年の写真。色もあせてしまいまるで焼けあとから持ち出したのかと思われるような劣化した写真に写っていたのは、あの橋ですれ違った少年の姿だった。  写真の少年と、目があったきがした。笑顔をつくろってはいるが、どこか悲しげな少年のかお。彼は何を想い、あの橋で私に姿をみせたのだろうか。そして、何を想い……私をここへ呼び寄せたのだろうか。
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