笑顔のきおく

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笑顔のきおく

a5e80db9-6442-4750-b7bd-dff5be7f8aff  わたしは高校に入学すると同時に問題をおこしてしまい、一学期は一度も登校できないという無期停学という処分をうけていた。同じように停学をくらっていた仲間は、ひとりふたりと強制退学になっていく。  次はわたしか、そろそろ自分かとあきらめの気持ちで学校からの連絡待ちの日々。夏休みも後半にさしかかったころ、学校からの呼び出しの連絡がはいった。  直接に生徒指導室へと来なさいという言葉のとおり、くつ箱から二階の保健室よこの部屋へとむかう。取調室ばりの薄暗い部屋に木の机、無造作に置かれたパイプ椅子にぎしっと腰をおろすと、男勝りな厳つい顔の女職員がはいってきた。 「……はあ。なあ、石守(いしかみ)さん……。あんた親御さんとうまくいってないん?」 「……は?」 「立派なご両親なのに……、なにか親御さんに嫌なところでも?」 「……べつに、親のこと好かんとか……思ってねえし」 「あ、そうなん? じゃあ、バレー部にはいりなさい。そしたら退学にならないように校長に言ってあげるから」 「……はああ?」  そしてわたしは、意味がわからないままバレー部員になった。とにかく退学だけは避けなければならないと脳裏によぎり、思わず「はい」と返事をしてしまったのだ。あの人との約束があるから、高校だけは必ず卒業するという大切な約束があったから。 「なにお前、また部活さぼってきたん?」 「やってられっかよ、そもそも退学のがれの入部やし。……あ、誰か、バレー部のひとたち探しにきたら教えてよ!」 「ずっりいやつ……」  いつものたまり場には、中学からの仲間たちが集っていた。おなじ高校に通っているやつ、ちがう高校にいっているやつ、高校には行かずにバイトするやつ、バイトすらせずに遊んでいるやつ。どんな連中もここにくれば同じ仲間、だれかが新顔をつれてくれば目があった瞬間からもう仲間。  おくの重いとびらを押し開けると、そこには鈴々すずの笑顔が迎えてくれる。とくに仲のいい数名の仲間が、いつものようにビリヤード台を囲んで笑っている。もう店を閉めるから帰ってくれといわれるまで、わたしたちの笑い声は絶えずそこにひびいていた。あたりまえの毎日に、あたりまえの顔ぶれ。こんな日常ならば、高校の三年間なんてちょろいもんだと甘く考えてしまう。 「あんた負けたんやけん、約束まもりよやな!」 「わかっちょるって! っちゅうか紫月ちゃん強ええは……。勝負なんかせなよかった」  たばこを一箱かけての、ビリヤード真剣勝負。負けた野田は、明日には必ず持ってくると言って笑って手をふり帰っていく。銘柄はあれだぞ、ついでに缶コーヒーもつけてくれ、そんな言葉をなげかけながら、わたしも笑いながら彼を見送っていた。 「……なあ、しーちゃん聞いた?」  教室にはいると、窓ぎわでかたまって話していたうちのひとりが駆け寄ってきた。残った数名の生徒は、気まずそうに私から目をそらす。そのようすからして、あまり都合のよい話題ではないと察しはついた。  彼女はわたしの顔色をうかがうように、ぽつりぽつりと話をはじめる。しーちゃんって野田と友達だったよねという質問に、わたしは何を今さらと思いながらうなづいた。そして次の瞬間、彼女が何語をはなしているのかわらなくなる。遠くから聴こえてくる、彼女の言葉に私の身体ははんのうした。 「しーちゃん! どこに行くんな!」  彼女のはなしが終わっていたのかどうなのかわからないけれど、気がつくとわたしはくつ箱に向かって走っていた。数名の男子生徒が、わたしの後をはしってくる。横にならびちらっと見ると、そのすべては高校へは行っていない野田の、中学のころの友達だった。  なにをどうすればいいなんて、そんなことはわからないままに走りだす。いつもの場所にいけばきっと野田はそこに居て、「どした?」なんて笑って迎えてくれるに違いないと思った。 「野田は!」  わたしを迎えたのは、深刻な表情の仲間だった。さっき教室できいた女子生徒の噂話、それが嘘ではないのだと確信してしまう。なんで? なんで? 頭のなかには、それしか浮かばなくなっていた。いつもは笑顔で囲んでいるビリヤード台に、寂しく置き去りにされた玉は動かない。  それから私たちは、海岸沿いのゆるやかなカーブを目指してバイクを走らせた。見ればなんてことはない、ただの海辺の県道だ。そんなに狭い道幅でもなく、交通量の激しい場所でもない。通いなれたいつもの道で、どうしてこんなことになってしまったのだろうか。昨夜の彼に、いったい何がおきたのだろうか。 「なんか、これ……。なんでこんなとこで……」 「野田……、おまえ……なに勝手にひとりで逝きよんのか!」 「ばかやねんか、お前……」  くちぐちに想いを言葉にして、アスファルトに拳を押しつける仲間たち。叫び声にもにたような言葉にならない音を吐き、近くの木に殴りかかる仲間もいる。そんな中で私はただ黙って、彼のバイクが飛び込んだという小さな沢をみつめていた。  なんで? どして? 昨日は笑って対決したじゃん。あんた負けたよね、今日の約束は? 今日も会うはずだったよね。なんで? なんで……死んだの? え、……どういうこと? もう会えないってこと? 答えろよ、返事をしろよ……野田! 声にならない心の声で、容赦なく彼をせめたてる。 『紫月ちゃん、ごめんな。約束……』  ふと野田の声が聴こえたような気がしてはっとして、思わずわたしは首をよこにふった。そしておもむろにポケットに手を突っ込み、吸いかけのたばこを事故現場に供える。 『ごめんな。ごめん……』  彼の悲痛なさけびが、沢のなかにこだましていた。ごめんはこっちのほうだよ、吸いかけのたばこでごめんな。缶コーヒー、明日かってくるから待っててな。ごめんな、野田。勝手なことばかりいって、あんたのこと責めたりして。いちばんつらいのは、あんただよな。約束なんてどうでもいいよ、今度あうときまでのお預けでいいさ。  でもいまだけ、許してな……。あんたが居なくなったことが、みんな悲しいんだよ。急すぎてみんな、どうしていいかわかんないんだよ。少しの間だけ、言いたいこと言わせてやってくれないかな。適当に聞き流しといてもいいからさ……  沢のまえに腰をおろし、野田との思い出をふりかえった。わたしがバレー部なんて信じられない、試合とかでるなら観にいってみたいと笑ってばかにしていた彼の笑顔。ステージの上の紫月ちゃんって、別人みたいでかっこいいなと瞳を輝かしていた彼のかお。思い出すのは彼の笑顔ばかりで、つられる私たちも笑顔だったという記憶。  彼には、想いを寄せている女の子がいた。まだ告白ができていないと、照れ臭そうに言っていた顔を思い出す。仕事がきまったら告白するんだという前向きな言葉に、内心では感動しながらも茶化していたビリヤード場。どんなに無念だろうかと思うと、彼をせめて私たちばかりが嘆くなんて申し訳がなく感じた。  こんなかたちで、急な別れになったことは辛すぎる。けれど私たちが最後にみたのは、彼の笑顔だった。そして彼の瞳にうつったのも、私たちの笑顔だった。彼の最後の記憶にみんなの笑顔を残してあげられたこと、それだけがせめてもの救いなのかもしれないと手を合わせる。  けどな、……野田。本音をいうと、……会いたいよ。 eda2edec-f077-4f2d-ba5b-07995dc99c9e
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