EL DORADO

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EL DORADO

c9e92b7a-fc74-4127-937f-7afc153ee8d2  ふと気がつくと、真っ暗闇のなかに佇んでいた。足首をさわさわとくすぐる感触で、自分が裸足だということに気づく。  しゃがみこんで、足首をくすぐる物の正体をたしかめる。手のひらに触ったそれは、どうやら背丈のひくい草のようだ。  そのまま地面をさわってみる。少しずつ場所をかえ、ゆるやかな斜面になっていると気づく。  暗闇に目がなれてきたのか、少しだけ辺りのようすがわかってきた。どうやら僕が立っているのは、小高い丘のふもとのようだ。 『……丘? え、……夢?』  そう、僕は寝ていたはずなのだ。めずらしく少しのお酒で酔った僕は、体調がすぐれないと自覚して布団にはいった。  酒酔いのせいか熱のせいか、何度か寝苦しさに目をさましていた。そして喉のかわきを感じて、冷蔵庫へいこうとしていたことを思いだす。 『そうだ、水……。水をのもうと……起きて……』  うしろを振りかえってみるが、やはりそこにあるのは真っ暗闇。冷蔵庫どころか、なにひとつみえはしない。  かすかな風が、頬をなでる。春をおもわせるような、やわらかい風だった。それは丘のうえから吹いている、そう感じてみあげてみた。 『…………ん? ……ひかり?』  小高い丘のむこうがわに、ほんのりとオレンジ色のひかりをかんじた。このゆるやかな斜面であれば、きっと歩いてのぼれる。  あしの指にちからをいれて、しっかりと地面をとらえ歩きはじめた。草に足をとられそうになれば、両手をついてたてなおす。  頂上がちかくなるにつれて、あたりがほんのりと色づきはじめる。そのひかりはどこから照らしているのか、それは僕にはわからなかった。  空をみあげても、太陽らしきものは見あたらない。振りかえればそこは、夜中を思わせる暗闇がひろがる。 『なんだ……、これ……』  頂上にたどりついた僕は、丘の反対がわをみておどろいた。ゆるやかな下り斜面には、色とりどりな花が咲いている。  よくみれば季節など関係ないように、四季の花が咲きこぼれているのだ。やさしく吹く風にゆられ、さまざまな香りが運ばれてくる。  それらを照らしている、オレンジ色のひかり。もういちど空をみあげてみたが、やはりそこに光を放つものはない。  花のある斜面へと尻をつき、膝をたてて抱えこむ。体育すわりのその状態で、僕はしばらくぼうっとした。  丘のしたのほうに、誰かがいるのがみえる。それはひとりではなく、なんにんかのひとの列になっていた。 『なにがあるんだろう、……なにか待ってるのかな』  それはきちっとした列ではないが、みんな同じ方向をむいている。こちらに背をむけ、みんなが向いている方向。僕は、そちらに目をこらしてみた。  遠くから、ゆっくりと何かが近づいてくる。よくみていると、それは舟であることがわかった。そして改めて、丘のさきが湖のようになっていることに気づいた。  行列のまえに、ゆっくりと舟がよこづけする。船頭らしきひとの合図で、岸にいたひとたちが舟に移りはじめる。  あまりおおきくない手こぎの舟は、すぐにひとでいっぱいになった。乗れなかったひとを残して、舟は岸からはなれてしまう。 『なんだ、あの舟は……。もっとでかいのにすればいいのに』  そんなことを思ってみていると、間もなく次の舟がやってきた。どうやら舟はひとつではなく、たくさん行き来しているようだ。  そしてまたなんにんかの人を乗せ、舟は岸からはなれていく。あれほど並んででも行きたい場所とは、湖のむこうに何があるのだろうか。  そこでふと気づいた。舟も湖も照らされているのではなく、みずから金色に近い光を放っている。空から何かが照らしているのではなく、この空間自体が黄金色なのだ。 『気になるな、……あそこまで行けば、何かわかるかな。俺も、あの舟に乗れるかな』  ひだりから、何かがはしってくる。やはり黄金にかがやくそれは、僕のうしろをはしりぬけていった。  いそいでみぎを向きなおし、去っていくそれをみた。テレビで観た昭和のまちにあるような、レトロなつくりのバスだった。  ぐるりと丘をまわりくだって、バスは船つき場へととまる。バスからひとがおりていき、舟をまつ列にならんでいく。 『なるほど……、あのバスに乗れば』  僕は、つぎのバスがくるのをまった。舟とおなじように、バスもやはり間なくやってきた。僕はその場にたちあがり、右手をおおきく振りあげる。  気づいてもらえなかったらしく、バスは僕のまえを素通りする。つぎのバスがきたとき僕は、両手をおおきく振ってみた。  なぜだろうと辺りをみるが、バス停らしきものもみあたらない。はしるバスを、じっと視線でおってみる。  舟つき場でひとをおろしたバスが、ふたたび丘をぐるりとのぼってくる。僕のまえを素通りして、またぐるりとくだっていく。そして、ひとをおろす。  僕は、おかしなことに気づいてしまう。あのバスは舟つき場いがい、どこにもいちども停まっていない。なのにひとが、おりていく。 『……バスがだめなら、歩いていく……しかないのかな』  停車しないバスへの、乗り方がわからない。どんなに手をふれど、まったく気づいてももらえない。つぎのバスでだめなら、自力で舟までいこうときめた。  むこうからバスがやってくる。スピードをだしているわけではないから、まえに出れば気づいて停まってくれるだろう。僕はバスのまえにでて、両手をおおきく振りあげた。 『おおい! 停まってくれ、俺もバスに乗せてくれ!』  なんということか、バスの速度はかわらない。ここまでしても、この僕に気づかないというのだろうか。うわっと両手で顔をおおい、ぶつかる瞬間を覚悟した。  そのままのいきおいで向かってくるバスに、僕ははねとばされ……なかった。いつまで待っても、やってこない痛み。不思議におもって、腕の間から顔をだす。  ぱっと白いあかりがついて、「うわあ!」っと女のみじかい悲鳴。聞き覚えのある声に、僕は「え?」と振りかえる。 「どして電気もつけないで、そんなところに突っ立ってるの。びっくりするでしょ!」 『そんなとこ?』  ふたたび後ろを振りかえれば、そこにあるのは冷蔵庫だった。もういちど、自分の行動を思い返す。僕は寝苦しくて、水をのもうとしていた。  酒酔いか熱のせいか、なかなか冷蔵庫があけられず、飲みたい水にありつけなかった。どうやら僕は、ずいぶんと深酒をしたようだ。 「だいたい家で酔いつぶれるまで飲むなんて、あんたそんないい稼ぎしてんの? ……ったくもう!」 「ごめんなさい、……もう飲みません」  冷蔵庫からポカリを取り出した嫁さんは、グラスに注いで僕にくれた。へんな飲み方して身体をこわしたらどうするの、私や子供はどうなるの。  あんたひとりの身体じゃない、家族の幸せ背負ってるんだ。二杯目のポカリは少なめに、空になったグラスを嫁さんが受けとる。  とにかく僕は嫁さんに小言をいわれながらも、今日も元気に生きている。いつかあの黄金の湖を本当に渡る日まで、僕はここで生きていく。  愛する家族のため、愛する家族と共に……。
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