ぼくの正義

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ぼくの正義

f988175a-bffb-4fc0-9d87-e9d4abc64b14  ある日の夕方、僕のちいさな恋人が泣きながら帰ってきた。そのからだを押しつぶしてしまいそうなおおきな鞄を揺らしながら、ぽろぽろと涙をこぼし走ってくる。  家のまえでまっている僕をみた彼女は、さらにおおきく顔を歪めわんわんと声をだし泣きはじめた。こけそうになりながら必死にはしる彼女をみて、いたたまれなくなった僕はかけよった。 「どうした! なにがあった?」  僕の胸にとびこんできた彼女は、ひっくひっくと呼吸がはねて何があったのか説明できない。ちいさな背中をさすりながら、彼女が落ちつくのを待とうとおもった。  いつまで待っても落ちつかない彼女の呼吸に、僕ははげしい怒りをおぼえた。彼女をここまで悲しませたのは誰なのだろう、いったい何があったのだろうかと気持ちは苛立つばかりだった。  ゆいいつ彼女が示した指先、いましがた彼女が走ってきた道の方角だった。向こうにいけば何かがわかる、そう思った僕は自転車のうしろに彼女をのせて指さすほうへと向かう。  路地をぬけおおきな道路にでると、おおぜいの人間がおなじ方向にむかって歩いていた。自転車をとめ、そのひとの流れに視線をおくる。 「……この中に、泣かせたやつがいるのか?」 「わからない、……顔をおぼえてない」  僕のするどい視線に気づき足早にさろうとする者をおいかけ、捕まえては「おまえか!」と胸ぐらをつかむ。とうぜん相手は知らぬ存ぜぬと首をふり、彼女はわからないのいってんばりだ。  こうなればここに居る全員をとっつかまえて、ひとりずつ尋問するしかないだろう。彼女も真犯人にたどりつき顔をみれば、きっと何かしらの反応をしめすだろう。そして数時間のはたらきのすえ、やっとたどりついた憎きあいて。 「……あ、このひと!」  僕の腰にまわされていた彼女の右手が、びしっとひとりの男をゆびさした。指をさされた男は振りかえり、僕と彼女の顔をみると焦ったように前をむきなおした。逃げられる、そう感じた僕は自転車をとびおり、うしろから男をはがいじめした。 「お前か! こいつを泣かせたのは!」 「まって! ちゃんとはなしを聞いて……。俺はおまえの妹のことを思って……」  男のはなしによると、彼女は歩きながら本をよんでいたらしい。そこそこ交通量のはげしい通りだったので、あぶないと思って注意をしたというのだ。顔をあげた彼女は、自分の注意にすこしふくれっつらをして本を鞄にしまったという。そこでどうして注意をしたのかを説明したが、彼女の不機嫌な顔はおさまらなかったと。そんな彼女の態度に苛立ち、自分もすこし口調を強めてしつこく叱ってしまったのは謝るという。 「……ほんとうか?」  僕が彼女にといかけると、彼女はちいさくうなづいた。確かに男のいうことは正論だった。意識が本にはいりこんでしまえば、きっと向かってくる車にも気づかないだろう。  だがしかし、僕のなかではそんな正論なんてどうでもよかった。彼女の身をあんじてくれたことはありがたい、しかし泣かしたことには心底はらがたっていた。  そして僕は、男をなぐった。彼女がやめてと言うまで。彼女のくちから、男に対して『ごめんなさい』と、『ありがとう』という気持ちが音となりでてくるまで。 1599590d-4beb-4899-9abc-b2cf44336cd3
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