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「ねえねえあれなんだろう?」
隣に立つ優菜に肩を叩かれ、清香は問題集から顔を上げた。
ゴールデンウイーク明けの五月上旬。爽やかな朝。駅のホームは通勤通学の人々で溢れ、混雑していた。
清香は問題集を一旦閉じて、優菜に問い返す。
「あれってなに?」
せっかくの勉強時間が、と思ったが友達を無視するにわけにもいかない。
「ほらほらあれだよー」
のほほんと優菜が指差した先。線路を挟んだ向かい側のホームにその男子高校生はいた。
「なにあれ……」
男子高校生はなぜかアイドルのコンサートでファンが使ううちわを顔の前で持っていた。
そのうちわは黒色で、縁は水色のリボンでかわいくデコレーションされている。
真ん中にド派手な蛍光ピンクで何か文字が書いてあった。
「キュンしてください??」
清香がその文字を読み上げた時、男子高校生がうちわをおろした。
隠れていた顔があらわになる。
途端に側にいた女子高生グループが「きゃあああ」と歓声を上げた。
「普通にかっこよくない?」
「えーでもその横の人のがよくない?」
「もうこのポーズは古いって!」
言いながらも、女の子たちは我先にと人差し指と親指を重ね合わせ、指ハートを返す。
なるほどそういうことかと、清香はすっと視線をそらした。
他校の女の子と知り合いになりたい男子高校生が朝っぱらから身を削ったアピールをしている。
ただそれだけのことだった。
(くだらない)
女の子たちは皆、県内で唯一の私立女子高校の制服だった。
さぞ出会いに飢えた男子高校生には魅力的に映るのだろう。
(そこまで知り合いになりたいなら直接話しかければいいのに)
清香は呆れを通り越して、かわいそうになりながら、ふたたび問題集を開いた。
清香にとって今一番大事なのは間近に迫った模試へ向けての勉強。そして志望大学に合格すること。それ以外はどうでもよかった。
高校二年なので受験はまだ先。
けれど、気を抜いてなどいられない。なぜなら清香はびっくりするくらい本番に弱い。成績は常に学年上位をキープしている。
でもいざ大きな会場で試験を受けるとなると、普段の実力がちっとも発揮されないのである。
模試ならまだいいが、これが大学受験の本番だったらと考えるとぞっとする。不安を拭う為にはとにかく勉強するしかない。
あんな変な男子高校生に構っている暇などあるわけがなかった。
電車が向かい側のホームに滑りこんできて、あの男子高校生をあっという間に運んでいく。
遅れて清香たちのいる方にも電車がやってくる。
けっして相容れない遠くにいる人。
彼のことを清香は最初そう思っていた。
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