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4
模試を二日後に控えた金曜日。
清香は放課後にいつも通り図書室で勉強してから帰ろうとしていた。
最近とても調子がいい。
もしかしたら模試の本番でも緊張しないで済むかもしれない。
上手くいくかもしれないと、微かな希望が湧いてきた。
図書室へ行く前、教室で優菜に声を掛けられた。
「清香ちゃん今日も図書室?」
「ああうん。もうすぐ模試だから」
「そっかそっか。清香ちゃんなら絶対大丈夫だよ! いい成績間違いなし!」
優菜の言葉に清香は「ん?」と心の中で首を傾げた。
なんだろう。
優菜と別れ、図書室へ向かいながら、清香は考える。
その違和感は図書室で勉強している間も、清香の胸にまとわりついていた。
(私なら大丈夫ってそんな保証ある??)
もしあったら、前回の模試だって上手くいったはず。
清香にだって最初は自信があった。
でもそれは会場に行くまでで、その後はもうめちゃくちゃだった。
他の人が自分よりも堂々として見えて、些細な物音や息遣いに集中が乱れた。
頑張らなきゃと思うのに、頑張れなかった。
そんな自分が許せなくて。
清香はどこかごちゃついた気持ちのまま勉強を終えて、図書室を出た。
廊下を歩いていると、向こうから担任の男性教師が「おっ。兵藤」と話しかけてきた。
「いつも頑張ってるな」
「あ、はい。どうも」
「お前の成績ならそんなに必死にならなくても大丈夫だろ。たまには休めよ」
「ありがとうございます」
頭を下げて昇降口に向かいながら、だんだん不安が押し寄せてくる。
(私は全然大丈夫なんかじゃない)
一回正気に戻ってしまうとだめだった。
その日の夜も、土曜日の夜もまともに眠れなかった。
こんな時に限ってあの男子高校生は夢に出てこない。
断じて出てきてほしいなどと願っているわけではない。
出てこない方がいいに決まっているのだが、そこまで清香は追い詰められていた。
日曜日はあっという間にやってきた。
朝から晴れていて、夏を先取りしたような強い日差しが照りつけていた。
清香はろく朝食を食べられぬまま家を出た。
いつも通学に使う駅へ向かう。
試験会場の大学キャンパスまでは電車を使うからだ。
一歩進むごとに緊張が増してくる。
道がぐらぐら揺れてるような気さえしてくるほどだった。
改札を抜けて、平日よりも空いた駅のホームに立つ。
「ぬわっ!」
急に後ろからおかしな声がして、清香は振り返った。
(うわ)
あの男子高校生がいた。
清香は寝不足のせいでついに彼の幻覚が現れたのだと一瞬思った。
彼は端から見てもわかるほど顔を真っ赤にしていた。
近くで見ると、思いのほか肌の色が白い。
男の子の顔の造作に興味がない清香にも、彼の顔がその辺の人よりも整っていると感じられた。
だが、行動の方は少々残念だった。
清香を見つめるなり、いきなり大声を出しながら、頭を下げてくる。
「いつも応援してます!! 頑張ってくださいっ!」
周囲の視線が清香に注がれる。
かなり恥ずかしい。
(この人本当に私のファンなんだ)
ちょっと引きながら、清香は彼を観察する。
顔どころか首筋まで真っ赤になっている。
清香がじっと見ると、こちらが困るくらいに焦っているのがわかった。
その様を見ていると、少しずつ気持ちが落ち着いてくる。
自分より緊張している人を見ていると冷静になれるというやつなのかもしれない。
「あの」
清香が話し掛けると、彼は驚愕したように目を見開き、後ずさった。
まるで話すはずのない人形が喋ったとでも言いたげな反応だった。
清香は気にせず続けた。
「今日じつは大事な試験があって」
なんでこの人に告げる必要があるのか。
理由もわからぬまま清香は言った。
どうせ今後二度と話す機会はないだろう。
そう思ったから言ったのかもしれない。
清香の言葉を受け、彼はまた大声を出す。
「本当ですか!? いやあの、頑張ってください! 俺ここから応援してますから! 今日はうちわもペンライトもないですけど!」
彼が照れたように笑って手を振る。
至近距離での応援は恥ずかしくてたまらなかった。
清香が電車に乗ってからも、彼はずっと手を振り続けていた。
認めたくはないが、彼の応援は清香の背中を押してくれた。
試験会場に着いてからも、周りの景色がよく見えて、焦らず試験に集中できた。
寝不足の頭では難しい問題もあった。
もしかしたらそんなにいい成績ではないかもしれない。
それでも、試験終了後には今までにない充足感で満たされていた。
会場の外に出る。
高い山を登り終えた後みたいな、清々しい気分だった。
いつもの駅に戻ると、彼がどこからともなく走ってきた。
もう朝から相当時間が経っている。
なぜまだいるんだ、と清香が聞く前に「お疲れ様です!」と、ペットボトルのお茶を差し出してきた。
清香はおずおずと受け取る。
「どうでした!?」
「まあ、そこそこできました」
清香が言うと、彼は「よかったあ」と自分のことのようにほっとした表情を浮かべていた。
まるで意味がわからない。
「じゃあ俺はこれで!」
それだけ言い残して、彼は走っていった。
ペットボトルのお茶は冷たくておいしかった。
清香がお礼を言い忘れたことに気付いたのはそのあとだった。
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