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5
翌日、月曜日の朝。清香は彼に直接お礼を言おうと思っていた。
そうしないと気が済まなかったのだ。
だが、彼は駅にやってこなかった。
「あれ。今日はお休みみたいだねえあの人」
「ああそう」
淡々と答えながら、清香は内心動揺していた。
いつも向かい側のホームにいるはずの彼がいない。
(そりゃいないならいないでべつにいいんだけど)
清香は手の中のペットボトルを持て余しながら、ひとり言い訳のように考える。
実は彼に渡すためのお茶を買っていた。清香には彼から奢られる理由がない。早く渡してすっきりしてしまいたかった。
だが、翌日も彼はやってこなかった。
その次の日も来ないのではないかと思いながらも、清香はお茶を準備した。
向かい側のホームにはサラリーマンや学生たちが立ち並んでいる。
その中に彼の姿はまだなかった。
「あの人いないとちょっと寂しいねえ。ね、清香ちゃん」
「そう?」
清香は問題集を片手になんでもないように答える。
けれど未だにどの問題にも手をつけられていなかった。
何度も何度も同じページを開けては閉じる。
いよいよ集中が途切れて、清香は問題集をスクールバッグにしまった。
「ちょっと行ってくる」
「え?」
優菜に言って、清香は走った。
階段を駆け上がり連絡通路を渡って反対側のホームへ。
息を切らしながら、彼の友人らしき男の子に「すみません」と声をかけた。
「あの、いつも一緒にいるおかしなうちわを持った人は?」
「ああ、千晃なら……。あ、今来たっぽいすね」
その人が言った通り「おかしなうちわの人」こと、千晃はすぐそこにやってきていた。
髪は寝癖だらけで、制服のネクタイは首に引っ掛けただけの状態。見苦しいことこの上なかった。
おまけにひどく情けない表情まで浮かべていた。
「ええ? 二人って知り合いだったの?」
「アホな勘違いするなよ。お前に話あるんだって」
「ええ!? 俺に!?」
大声で驚く千晃を前に、清香はここまで来たことを後悔した。
一瞬でも会いたいなどと思ったことも。
千晃はそこにいるだけで騒がしい。
なんでこんな人に、と思いながら、ペットボトルを千晃に渡す。
「この前は、ありがとうございました」
「えっ? 別に俺はなんにも!」
謙遜する千晃に清香は頭を小さく下げた。
まっすぐ彼を見る。
「あなたのおかげで頑張れました。ありがとう」
ふたたびお礼を言うと、千晃の顔はみるみる赤く染まっていった。
その隣で千晃の友人が小さく笑っている。
ホームに電車がやってきた。
いつも千晃たちが乗っている車両だ。
千晃はまだ何か言いたげだったが、清香の要件は終わった。
「じゃあ」と頭を下げて千晃に背を向ける。
「あの!」
千晃の声に振り向くと、そこには意を決したような顔があった。
「今度、普通に話しかけてもいいですか!?」
「えっ?」
「俺、ずっとあなたに俺のこと知ってほしくてあんな馬鹿なことしてました! ……いいですか!?」
清香は答えられない。
千晃は清香のただのファンではなかった。
勉強ばかりで恋愛に疎い清香にもそれはわかった。
(どうしよう。こういう時ってどうすればいいんだろう)
友人に引っ張られるようにして千晃が電車の中へ入っていく。
清香は棒立ちになって駅を出ていく電車を見送った。
「清香ちゃーん! 電車来ちゃうよー!」
向かい側のホームから優菜が手を振っている。
頷いて、清香は階段の方へと走った。
どうしたらいいのかはまだわからない。
けれど、何か新しいことが始まりそうな、きらきらした予感がずっとどこまでも続いてるみたいだった。
〈終〉
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