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1-12、事件の真相
シリウスに付き従うようにラザンが、お時間を頂戴しましたとばかりにカウレが一礼をして去っていったのを見送ってから、アルメリアはわなわなと震える口元を抑えた。
「……ど、どうしよう」
最後、シリウスはただの侍女のアリルのことを、「アルメリア嬢」と呼んだ。おまけに、それにアルメリアは動揺してしまった。これでは自分がアルメリアであることを肯定したようなものではないか。
それに、どうにか<魔獣の加護>のことは誤魔化したものの、「アルメリア・クランエリゼが魔獣と交流がある」とシリウスは確信していたように見える。
今までずっと上手に隠して来たものが水の泡になってしまいそうで、アルメリアは思わず悲鳴を上げた。
「私、加護持ちだってバレたかもしれないわ、フェル……!」
泣きそうになりながら顔を上げると、自分と同じ色をした瞳と目が合った。
唯一応接室に残ったフェルセリスが、困ったように眉根を下げる。
「まさか、彫像にされていた間の意識があったなんて。完全に仮死状態だと思っていたのに……!」
「まあまあ落ち着いて、リア。まずはゆっくり深呼吸しよう。はい、すー、はー」
「すぅ……、はぁ……」
とんとん、と優しく背を叩かれながら深呼吸を繰り返すと、ゆっくりと動揺が解きほぐされて行くのが分かった。同時に、少しみっともない姿を見せてしまったと思って反省する。
背を叩いていたフェルセリスの白い手のひらが、冷たくなってしまったアルメリアの手を労わるように包み込んだ。記憶の中にあるものよりも、少しだけがっしりと成長したそれに、アルメリアは吐息のような声で名を呼ぶ。
「……フェル」
「なぁに、リア」
手のひらを抱きしめ返して見上げると、こちらを覗き込むフェルセリスと目が合った。上から降ってくるそれは、アルメリアが知る何よりも甘い。
「久しぶりね、屋敷を出て以来かしら。……フェルは今日も誰よりも素敵だわ」
「うん、リアも大陸一綺麗だ」
「それは流石に大げさよ」
「ええ~、そんなことないよ」
挨拶がわりに、お互いをほめそやす賛美がまろび出た。
もしこの場に他の誰かがいれば、間違いなく恋人たちが秘めた逢瀬を交わしていると思われただろう。誰もいない応接室。騎士と侍女という異なる身分。王城内の恋愛ゴシップとしてはあまりにも魅力的すぎる光景だった。しかしお互い以外に誰もいない場所となると、久しぶりの再会に熱が入るのは道理というもので。
「少しの間、司書になったって聞いたんだけど、今日はいつもの侍女服なの? パンツスタイルの制服のリアも見たかったなあ、絶対可愛いのに」
「今日は急いでここにやって来たからまだ着替えていないの。これから第二書室に行くわ。……フェルだって、本物の騎士様みたいよ。すごく格好いい。魔術師から騎士に移動したという話は本当だったのね」
「本物の騎士だよ、って言いたいところだけど。うん、ふふ、まだ見習いなんだよなぁ」
お互いの服の袖を摘まんだり、髪をそっと梳いたりたりしながら。
まるで恋人にそうするようにうっとりと交流し合っている応接室の中は、完全に二人だけの世界が出来上がっていた。客が帰ったのにも関わらずいっこうに出てこないアルメリアを心配したらしい侍女長が薄く応接室の扉を開いた。そして何も言わずにすぐに締めた。がちゃんというやや乱暴な開閉音も、扉の外からの「何か見てはいけないものを見てしまったような気が」という悩ましい呻き声も、二人の時間を邪魔するには及ばなかったのである。
しかし、すっかり忘れていたのだが、もとからこの室内は二人きりではなかったのだ。
『吐きそう』
うんざりしたような声がした。
みゅ、と制服のポケットから白ウサギが顔を出す。可愛らしい小さな顔には、これでもかと言うほど渋面が浮かんでいた。
『お前らは、二人揃うと絶対にいちゃつき出すの、なんなんだ?』
制服の繊維の上をするするとよじ登って、ブランはアルメリアの肩の上でこれ見よがしなため息をついて見せた。『まずほかに話すことあるだろ』と正論で殴られてしまえば何も言い返せない。
「ブランも久しぶり。ちゃんとリアを守っているみたいで、感心だなぁ」
『はいはい。今日もおいしそうだな、フェルセリス』
フェルセリスは幼い頃からアルメリアと行動を共にしていたからか、ブランの言っていることがなんとなく分かるらしい。みゅう、というウサギの鳴き声に対して、慣れたように返答している。
ブランの小さな前脚に頬を突かれて、アルメリアはやっと聞くべき疑問に思考が追い付いた。
「そうだわ。ところでフェル、今日はどうしてここに?」
久々の親愛なる半身との再会に浮かれていたが、フェルセリスの登場はあまりにもタイミングが良すぎたのだ。二人は同じ城内で生活しているとは言え、侍女と騎士では生活スタイルも行動範囲も違いすぎる。今まで連絡を取り合ったことすらないのに、今日はまるでアルメリアの危機を知っていたかのようだった。
「そのことなんだけど、まずはリアに謝らないといけないんだよね」
「え?」
フェルセリスは申し訳なさそうに表情を沈ませた。
「第二書架の代わりの侍女にって、僕がアリル・エリゼを推したんだ」
「……!」
フェルセリスの言葉に、アルメリアは長い間感じていた疑問が晴れたような気がした。
多くの下級侍女たちの中でも、文字を読める者はそれなりにいる。その中で何故アルメリアが選ばれたのかがずっと分からないままでいたのだ。くじで決めたとか、たまたま暇そうだったとか、そういう理由ならば飲み込んだのだが。
「そういう、ことだったの」
『ふぅん、相変わらずいいせいかくしてるなぁ』と何もかも納得したかのようにブランが鳴いた。その含みを持たせたような発言の深意に首を傾げつつ、再度湧き上がってくる他の疑問を問う。
「でも、司書たちが次々いなくなっていたのでしょう? なのに、私のようなただの下級侍女を、一体どうやって推薦したの?」
そう、王城内のフェルセリスはただの騎士見習いだ。当初の通り魔術師としての道を進んでいれば、今頃は魔術界の新星として名を轟かせていたかもしれないが、それは彼自らが蹴ってしまっている。騎士見習いとしてもクランエリゼ公爵子息としての身分は変わらないだろうが、それにしても無理があるような気がした。
ただのフェルセリスに、そのような発言権があるとは思えない。
「それは秘密」
アルメリアの問いに対して、フェルセリスはえへ、とおどけたように笑ってみせた。誤魔化されて欲しい時の彼の癖のようなものだ。一瞬呆気に取られてから、仕方ない、と弟と同じくどこまでも双子の半身に甘いアルメリアは、追及を止めることにする。
(……でも、それって、フェルは私が第二書室の書架番をやるってわかっていたってことよね?)
しかしそこでふと、思う。
フェルセリスがアルメリアを司書の代わりとして推薦したのなら、第二書架にまつわる噂も知っていたはずだ。そして実のところ、フェルセリスはアルメリアよりも魔獣の生態に詳しい。第二書架にムニミィがいると言うことも予想がついていたはず。いや、それが解っていたからこそ、アルメリアを推薦したのだ。一連の事件の解決のために。
そう、ならば。現在こうやって、騎士たちの聴聞を受けているのも、シリウスに<魔獣の加護>について憶測されるのも、何もかもが。
「じゃあ、私がこうやって疑われてるのも、……全部、フェルのせいなんじゃ」
「うん、まあ……、そうなるね」
とても言いにくそうに、苦し紛れに頷いたフェルセリスの視線が逸らされる。その横顔を見て、安堵と納得と憤慨に、アルメリアは思わず強く拳を握りしめてしまった。
「〜〜っ! フェルセリス!」
久々に放った怒声でフェルセリスを責め立てる。フェルセリスはきゅっと首を縮めてしまった。そんなにしおらしい様子を見せても許さない。こういう時、彼の反省するような仕草の大抵は、演技だと知っているのである。
「ごめんごめん、リア。ほら、だからこうやって助けに来たでしょ? それに疑いもちゃんと晴らしてあげるからさ。責任はちゃんと僕が取るよ」
「それでも私の心労は無くならないわ!」
「そうだね、その通りだ」
お手上げ、とばかりにフェルセリスは無防備につむじを見せて頭を下げた。どうぞ好きにしてくださいと言わんばかりのそれに、アルメリアは遠慮なく人差し指を突き立てる。それでも「ふふ、可愛い」と全く反省していない呟きにまた腹が立った。
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