0、出稼ぎの公爵令嬢

1/1
22人が本棚に入れています
本棚に追加
/13ページ

0、出稼ぎの公爵令嬢

 そびえ立つのは白い山のような城壁で、巨大な門を飾るのは威信を持て余した金の装飾。 その扉の向こう側に足を踏み入れることが出来る者は限られていて、おそらく平民ならば一生あり得ない。  北の国のダイアモンド王国。  王の居城にて、未明にも関わらず駆け回る侍女のうちのひとりが、自分を呼ぶ声が聞こえた。 「アリル! アリルったら! どこにいるのー?」  アリル・エリゼ。それが王宮付きの侍女としてのアルメリアの仮名だ。洗いたてのシーツを運んでいたアルメリアは、すぐに足を止めて廊下の角から顔を覗かせた。 「はい! 私はここですが……、どうかなさいましたか?」 「アリル! やっと見つけたわ!」  シーツの山に埋もれつつあったものの、どうにか顔を出すと、先輩侍女の姿があった。彼女は王宮で働き始めた時から面倒を見てくれているのだが、実のところ苦手意識があった。彼女は典型的な目上の人に媚びを売るタイプで、自分の失敗を押し付けてくるところがあるのだ。 「どうかなさいましたか、じゃないのよ! 私のブリムを知らない? 三着はあったはずなのに、一つも手元にないのよ!」 「……そんな」 「同室なんだから、盗むならあなたくらいしか出来ないわ。さっさと返してちょうだい。仕事が出来ないじゃないの!」  彼女は大股で歩み寄ってくると、荒々しく片手を差し出してきた。自分のブリムが失くなってしまったことをアルメリアのせいだと決めつけているらしい。 (……そんなの、全然知らないのだけど)  先輩侍女はアルメリアにきつくあたるところがあるが、仕事を放り出すような人物ではない。そんな彼女の、侍女として必須と言って良いブリムの洗い替えが無いのは不自然だが、アルメリアには少しの心当たりも無かった。第一、人を困らせて楽しむ趣味は持っていないのだ。  少し考えてから、アルメリアは頷いた。 「……分かりました。私の替えでよければお貸ししますから」 「聞こえてなかったの? 私のものを返せって言ったのよ」 「私は盗んでいません」 「白々しい。私への報復のつもりなんでしょう? そうはいかないわ」  鋭く睨みつけられて、アルメリアは震え上がる。そっと視線を外して白いシーツだけで視界を埋め尽くした。 (というか、報復されるようなことをしていた自覚はあったのね)  あてがわれた先輩の性格の悪さと、自分の不運さに嘆いた事は数知れない。  彼女はプライドが高い女性だ。何を言っても分かってもらえないような気がして、ため息を押し殺して黙り込んだ。 「二人とも、何をしているのですか。それにメイル、あなたは正装であるブリムも着けずに……」  しかし、興奮したメイルの様子をどこからか見ていたのか、現れた侍女長の声が二人の膠着を破った。  メイルは慌てた様子ではっと顔を上げた。 「侍女長、誤解です! これはアリルが……!」 「言い訳は後で聞きましょう。アリルは仕事へ、メイルは予備用のブリムを倉庫から取って始業しなさい。業務後、私のもとに来るように」  侍女長の鶴の一声に、流石のメイルも反論出来なかったらしい。「はい」と悔しそうに頷いて、急ぎ足でその場を去っていく。別れ際に「あんたのせいなんだから」と言う捨て台詞と、怯んでしまいそうな視線を向けて。 「……では、失礼いたします、侍女長」  このまま居ても業務が滞るだけだと思って、アルメリアは一礼と共にその場を立ち去った。  侍女の朝は忙しい。ここが王宮であり、侍女の人数が充分だとしてもやることは山積みだ。王族も貴族もその従者たちも夢の中にいるこの時間帯は特に。 彼らの目に映らない間に、使用人たちは王宮の妖精のように隅々まで美しく磨き上げねばならない。 「でもまさか……、私が本当に侍女になるとは思わなったわ」  シーツの山を人目につかない裏庭に運び、シワが残らないようにピンと引いて干す。仕事を始めた時はこれだけで腕が痛くなってしまっていたが、今はすっかり慣れてしまった。使用人の仕事は力仕事が多いのだ。 「メイルさん、もっと私のことを嫌いになってしまったのでしょうね……」  腕を動かしながらも、先程の諍いを思い出して肩を落とした。せっかく同室になれたのだし、アルメリアとしては仲良くしたいのだが、そう上手くは行かないようだ。 「人間関係ってやっぱり難しい。屋敷に籠もってばかりでは分らなかったことばかりだわ」 『でもあれは単にあいつの性格がわるいだけだろっ!』 「そんなことないわ。ただ私の何かがとんでもなく気に食わないだけかも」 『だとしても同じだって。気に食わないヤツをいじめよっていう考えが、もう性格わるいの!』 「そうかなぁ」 『そうだぞ!』  近くにアルメリア以外の人間はいない。けれど発した言葉が独り言にならなかったのは、腰のポケットからひょこりと顔を覗かせた生き物のせいだった。  それは一見すると、ただの白い毛玉にしか見えない。 手のひらに乗ってしまいそうなほどの大きさしかなく、頭部からは頭と同じくらいの長さの獣耳が生えていて、短い四本脚が丸っこい体を支えている。小さな尻尾は彼の一番のチャームポイントで、外部のささやかな刺激ひとつにも、鼻と一緒にヒクヒクと動くのが可愛らしい。  どこからどうみても、小さくて愛らしい白ウサギ。 『人間は大変だなぁ。強いやつがえらい、でいいと思うぞ、おれは』 ——その額に、黒々とした魔石が付いていなければの話だが。  この世界には、魔獣と呼ばれる存在がいる。 彼らは魔力によって生命を繋ぎ、外部から魔力を摂取することで生き長らえる。  アルメリアが領地から連れてきた信頼できる者は、真っ白な雪ウサギの魔獣だった。 「だとしたら私は最底辺ね」 『リアはおれが守るからテッペンだぞっ!』  すぴすぴと鼻を鳴らす愛らしい魔獣へ苦笑を浮かべ、アルメリアはシーツ干しを終える。支給されたお古の懐中時計に目をやれば、予定時間を少し過ぎていた。慌てて時計をポケットに仕舞うと、次の仕事——大広間の掃除のために早足で歩き出す。  尊い地位を確立した者たちの、視線にとまらないような多くの使用人のうちのひとりがアリル・エリゼだ。 埃まみれで、不器用で、少しのんびりとしているところが玉に瑕。  きっとこの王宮に住まう誰もが、アルメリア・クランエリゼ公爵令嬢だとは誰も思わない。
/13ページ

最初のコメントを投稿しよう!