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1-9、騎士たちの聴聞
夢の終わりはどこか冷たく、朝の始まりはいつだって唐突だ。
夢現を揺蕩う意識は、罵声に横っ面を叩かれたようにして引き上げられる。
「アリル、さっさと起きなさいよ! 侍女長が呼んでるわ!」
「ふにゃ?」
きんきんと響くメイルの叫び声に、アルメリアはパチリと目を開いた。いつも通りの二段ベッドの茶色い天井には、「侍女の心得」なる張り紙が貼ってある。以前この部屋を使っていた先輩侍女が残していったものらしい。
「寝ぼけてないで、早く!」
業を煮やしたらしいメイルにベッドの下段を覗き込まれて、アルメリアの意識はやっと覚醒した。
(侍女長が呼んでるって、もしかして昨日のこと……?)
慌てて寝台から飛び起きて、低い天井に思わず頭をぶつけてしまいながら、アルメリアは身支度を済ませる。桶に汲んだ水で顔を洗い、制服のボタンを止めて細いエプロンのリボンを結び、髪をまとめてブリムに収めると、早足に部屋を飛び出した。
「おはようございます、侍女長。今日は——」
「アリル、昨日はお手柄だったそうですね」
「え?」
どのようなご用事でしょうか、と続けようとした言葉は、やけに弾んだ侍女長の声で遮られてしまった。アルメリアはきょとんと目を丸くする。
(お手柄? 確かに生きたまま彫像になっていた司書さんは見つけたけれど)
それ以上のことは何もしていない。業務で言えば、第二書室の掃除しかできていない。
混乱するアルメリアへ、侍女長は穏やかに続けた。
「警邏騎士が昨日のことについて詳しく聞きたいそうです。心配せずに堂々と答えていらっしゃい」
「わ、分かりました……」
手のひらで指し示されたのは、隣室である来客用の応接室だった。どうやらそこに待ち人が控えているらしい。メイルから叩き起こされた意味がやっとわかったような気がして、アルメリアはピンと背筋を伸ばした。
「失礼いたします……」
「昨日のことを詳しく」と言われても、アルメリアに語れることは昨日口走ったことが全てだった。それ以上は〈魔獣の加護〉を持っているという秘密に触れてしまいかねないから話せない。
「お仕事を中断させてしまいすみません。私は城内の警邏騎士を務めております、カウレです。こっちは……」
「第二王室騎士のラザンです。よろしく」
だからこそ、話を聞きに来たという彼らを見て、渋面を浮かべるのを我慢しなければならなかった。
(警邏騎士ならまだしも、王室騎士まで……?)
「初めまして、アリルと申します」
王室騎士とは、その名の通り王室に仕える騎士のことだ。王族を守る命を負った彼らは、もちろん普通の騎士よりも格上の存在となる。
王室騎士への虚偽の報告は、すなわち王族への虚偽となる。内心冷や汗を流しながらも、アルメリアはいかにも無知で不運に巻き込まれた侍女を演じることにした。
「今日は昨日の第二書架での出来事について、当事者のアリルさんに聞き及びたいと思ってお訪ねしました。状況を再度説明してもらってもいいでしょうか」
「もちろん、構いませんが……、あまりにも突然のことだったので、私もよく……」
「分かる範囲で構いません」
アルメリアを緊張させないためか、カウレと名乗った警邏騎士が殊更柔らかい声で言った。にこりと緊張を解すような笑顔に、すこしだけ嘘をついているという罪悪感が刺激される。
対して王室騎士のラザンからは刺すような視線を感じながら、アルメリアは大人しく彼らの向かいに腰掛けた。
「……第二書架の清掃を終え、書物の掃除を始めようとした時でした。突然、大きな物音がして、振り向いたらあの方が倒れてきたのです」
「倒れて来た、とは? 第二書室はあなた以外、誰もいなかったはずですよね」
「はい。その……、信じてもらえないかもしれませんが」
アルメリアは両手を口元に当て、いかにも人智の及ばぬ現象を前にした娘のように畏怖を込めて言った。
「その方は、……壁の中から出てきたように見えました」
「壁の、中から……」
「……」
「信じられませんよね、こんな話……」
カウレは息を呑み、ラザンは腕を組んだまま黙り込んでいる。けれど丸く開かれたその瞳が、彼の驚きを伝えて来ていた。こちらを凝視してくる視線から離れたくて、アルメリアはそっと視線を膝に落とす。
(だいたいが作り話だけれど、たぶんロール無しで事が起こるとしたらこんな感じのはずよね……)
今ごろ、元彫像の彼はどうしているのだろうか。救護班が来てから彼がどうなったかは知らない。無事であればいいと思いながらも、もしそうでなくても自分は気にも留めないのだということを自覚していた。むしろ、彼の状態について、あまり興味も湧いてこない。
だって、アルメリアにとって魔獣は隣人だ。魔獣は人に害を成す。それをアルメリアも分かっているし、自分自身も幾度となく命を危ぶんだことがある。
だから、彼がどうなろうとも、魔獣に襲われたのは仕方のないことなのだ。不運だった、という短い一言で片づけてしまえるほどに呆気ない。世界はそういう風に出来ている、とありのままを受け入れることに、アルメリアは幼少の頃から慣れていた。
(それに、きっと)
侍女たちの寮室内にある家具とは全く違う、贅を尽くしたふかふかのソファに身を委ねて、アルメリアは心の中でひとりごちる。
(本当のことを言っても、信じないでしょう?)
幼い頃から身についてしまっている諦念を、ほとんど疑ったことはない。
だからこそ、例え王族であろうとも、決して秘密を吐露することはないのだ。
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