1-11、星空を映す男

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1-11、星空を映す男

 アルメリアとシリウスの二人きりで会話をさせて欲しいという願いは、彼の身分からすると命令に近いものだったのだろう。  凪いだ湖畔のようなシリウスの瞳が、淡々と必要な事実だけを告げる。騎士ふたりは顔を見合わせ、「しかし」と言い淀んだ。  シリウスが王室騎士が敬意を払うような身分の者ならば、現状犯人疑いのアリルと、被害者のシリウスを同じ空間に引き留めておくのは良くない。尊い身分の者は、その身がかどわかされたり、血の一滴でも流してしまったりすれば、取り返しのつかない大問題に発展してしまうのだ。  けれども、この国は徹底した身分階級社会だ。そのまま粘って欲しいな、というアルメリアのささやかな願いはもちろん届くことなく、騎士二人は渋々と身を引いた。 「わかりました、シリウス様がそうおっしゃるのであれば」 「扉の前で控えております」 「ああ、感謝する」  去り際、ラザンはきつくアリルを睨みつけ、カウレは心配そうに扉の向こうに消えてしまった。まともに話したことが無い相手からだとしても、鋭い視線はアルメリアの心に少しばかりに影を落とす。  はあ、と誰にもバレないように小さなため息をついた。どうしてこんなことに、と内心途方に暮れてうずくまってしまいたい衝動に駆られる。気づけば、今まで騎士二人が腰かけていた椅子に、シリウスが座っていた。 「突然の訪問で申し訳ない。私はシリウス・オランジェットという」 「あ、は、初めまして。アリル・エリゼと申します」  侍女であるアリルにとっては、王宮を出入りする人々は皆敬意を表すべき身分だ。すっかり挨拶が遅くなってしまったことに気づいて立ち上がろうとするが、無言で手のひらで抑えられてしまう。粛々と体勢を戻し、せめてと座ったまま深々と頭を下げた。 (シリウス「様」って、やっぱり位の高い方なのかしら。もしかしてただの司書じゃないの? ……どうしよう、もっと貴族関係について学んでおくべきだったわ……)  アルメリアは引きこもり令嬢だったが、貴族としての基礎教養は母から授かっている。複雑な貴族関係についても一通り頭に入れたはずなのだが、名を覚えるのは昔から苦手だった。「オランジェット」という姓もどこかで聞いた覚えはあるのに、そこに付随する身分はさっぱり思い出せない。 「その……、シリウス様におかれましては」 「昨晩私を助けてくれたこと、感謝する」  こうなれば、身分を知らずとも最敬意を示していればなんとかなる。そんなやけっぱちの精神でまずは他愛もない話でも始めようと口を開けば、そんなものは興味ないとばかりに言葉を被せられてしまった。う、と短く不満の声を上げる。 「いえ、助けただなんて。私はただ居合わせただけにすぎません。シリウス様がご無事のようでなによりです」 「ああ」  こくり、とひとつ。アルメリアの挨拶代わりのお世辞にも、シリウスは淡々と頷いただけだった。不満そうでも満足そうでもなく、ただ事務的に耳に届いた声に対して最小限の義理を果たすかのような。 「……」 「……」  それから、二人の間に沈黙が満ちた。 二人きりで話をさせて欲しい、と言ったはずのシリウスは口を開かずただ瞬きを繰り返している。何を言っていいのかわからないアルメリアは冷や汗を流しながら震えるしかなかった。 (何をしに来たのかしら、この人……)  決して重い沈黙ではないのに、ふたりの間にある静寂が緩やかに緊迫感を高めていく。アルメリアはたまらず窓の外に視線を逸らした。うろこ雲と澄んだ秋空。今すぐにでもそこに飛び込んでしまいたい気分だった。どこかで閑古鳥でも鳴いたような幻聴すら聞こえた。ここは侍女らしく、お茶のひとつでも出すべきかと思って視線を巡らせるものの、給湯室は一度応接室から出なければたどり着けない。  一体、どうしたらいいのか。シリウスはアルメリアに何を求めているのか。自分は何か試されているのではあるまいか。  高まり続ける緊張のせいで思考が逸れ始めてやっと、シリウスはたっぷりの間を用いて口を開いた。 「……アリル、君の立場を考えると、大変言いにくいのだが」 「え? あ、はい?」  喉がすっかり閉じていたせいで、発した声は情けないほどに裏返ってしまった。かあっと顔を熱くするアルメリアの様子は気にせず、シリウスは続ける。  感情のない無機質な声は、この時ばかりは揺らめいていたような気がした。 「私には、魔獣に彫像にされていた間の記憶が、おぼろげながら存在する」 「———」 「と、言ったら、どうする?」  ひゅう、と乾いた音が耳に届いた。 アルメリアは遅れて、それが都合のいい隙間風ではなく自分の喉から漏れた音だと気づく。  いつの間にか、心臓の鼓動が耳元で響いていた。幾度となく思い浮かべた、<魔獣の加護>という祝福が脳裏を過ぎる。魔の獣と言葉を交わすことが出来るのは加護持ちの人間だけ。そしてもし、<魔獣の加護>を持つ者がいると知られてしまえば——— (い、いいえ! ここで動揺をみせたら負けよ!) 「……、ご冗談を」  すう、と短く息を吸う。動揺に支配されていたはずの体は、そうと決めると淀みなく動いた。  アルメリアはナプキンで口元を覆い、まるで扇で笑みを隠す淑女のように目だけで笑ってみせる。豹変したアルメリアの様子に、シリウスがわずかに目を見開いた。 「魔獣やら、彫像やら、何を言っているのか私にはさっぱりわかりません。やはりシリウス様は、まだお疲れなのではないでしょうか」  淑女の微笑みは武器だと母は言っていた。化粧は戦鎧で、淑やかに紡がれる言葉は真実に幾重ものヴェールを被せる。 虚像の美しさで相手を魅了して、作り上げた魔性で己の感情さえも偽って刃にする。 それが、淑女のたしなみ。 「あなたに何があったのか存じ上げませんが、夢と現実を混濁されているのでしょう。時間が経てば、記憶も元に戻りますよ」 「……君はそう誤魔化すのか」 「誤魔化すも何も、私は何も知りませんから。第二書室にて突然現れたあなたを、偶然見つけたに過ぎません。……お力になれず、心の底から申し訳なく思います」 「……」  完璧な淑女。誰の期待も裏切らない公爵令嬢。 教養に厳しい母が求めたのはそんな女性の姿だ。 貴族の義務を尽く放棄し、社交界にも学び舎にも顔を出さなかった引きこもり令嬢に対しても、母はやはりそれを求めた。正直、学んでいる最中は一体何に使うのかと思っていたが、まさか働きに出た王宮で発揮されようとは思わなかった。  陰謀渦巻くこの伏魔殿では、自らの感情を押し殺した者が優位に立てるのだ。 「……数ヶ月前から」  と、シリウスは再度口を開いた。 「王宮図書の司書たちの人数が少しずつ減っていっていた。最初は誰も、いなくなったことにすら、いなくなった人物にすら気づかなかった。「彼ら」という存在を、まるで認識ごと改められたように」 「……」 「だから私が調査に入った。司書のふりをして。そして事態が大事になるまで、誰も気に求めなかったのだ」 「……奇妙な事件ですね」 「ああ、似たような事件例が過去に無いわけではない」  アルメリアから更なる情報を聞き出したいのか、それとも事件に関係した者に対しての義理か、シリウスはやはり淡々と説明をしてくれる。  大勢の人々の認識すら改めるその所業は、相当な実力を持つ魔術師の悪意か、人智を超えた存在の戯れか。 「そしてこの手の事件には、大抵最後は魔獣の仕業だったと分かる」 「……っ」 「その魔獣の名は——」  突如、シリウスの言葉を遮るように、扉の外から物音がした。「おいっ」「今は……!」とカウレとラザンの慌てた声を待ちもせず、がちゃりと扉が開かれる。 「ご歓談中、失礼します」  ノックもしない、扉の前に立つ二人の騎士の静止も聞かない。先ほど無遠慮に入室してきたシリウスの所業とは比べ物にならないほどの不躾さで、その者は爽やかに室内に足を踏み入れた。 「……誰も入らないように伝えていたはずだが」 「すみません、緊急の伝達でしたので」  わかりやすく怒りを露わにするシリウスに少しも怯むことなく、礼儀知らずな彼はしれっと言う。その宝石のように煌めく蒼い瞳が、ため息をつくシリウスの視線を縫ってぱちんとウインクしてきた。 「……!」  予想だにしなかった救世主に、アルメリアは顔を輝かせる。 (フェルセリス……!)  ふわふわとした栗色の髪、茶目っ気のある蒼い瞳。出会った老若男女の視線を漏れなく釘付けにしていく青年。アルメリアの双子の弟である、フェルセリス・クランエリゼだった。  フェルセリスはシリウスに視線を戻し、入室したときと変わらない爽やかな声で言う。自分が無礼を働いたとは微塵も思っていない調子で、困惑するシリウスを促した。 「シリウス様、第一王子殿下がお呼びです。今すぐ謁見されるようにと」 「……」  王族からの名指しでの呼び出し。それに逆らえる者などこの場にはいなかった。 あまり表情の変化がないシリウスの眉間にわずかに皺が寄る。扉の前で控えていた二人も、第一王子からの緊急の呼び出しを言付かったとなれば、フェルセリスの無礼を責められない。  渋々というように、シリウスは立ち上がった。 「分かった」  「なぜあの方はこんな時に」と小さく悪態をつきながら、シリウスはフェルセリスの側を抜けて扉を潜る。 「ではアルメリア嬢、また」  去り際、最後に呼ばれた名前は侍女としての仮名ではなく、言葉を失ったアルメリアを見て、シリウスがふっと口の端を緩ませたのが見えた。
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