1-5、第二書室の「本の虫」

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1-5、第二書室の「本の虫」

『第二書室には怪物がすんでいて、足を踏み入れた司書たちをどこかに連れ去ってしまう』  つい今朝聞いたばかりの噂話と忠告が、アルメリアの思考を巡る。 役割を終えたウェビニアはアルメリアを更衣室へと案内した後に颯爽と消えてしまっていて、アルメリアは制服を整えてから再度第二書室の扉の前で立ち尽くしていた。  「いきなり第二書室なの……?」 『ついてるな〜、リア』 「それは別の意味ね」  入室が禁じられている場所だからか、周囲には下級侍女やその他司書たちの姿は無い。息を潜めていたブランが顔を出して、からかうように笑う。 (でも、あくまでも噂だもの)  忠告をされたとは言え、仕事を放棄することは出来ない。アルメリアは覚悟を決めて錠を解くと、そっと扉を押した。やけに重い鉄製の門扉が、季節外れな冷たさを指に伝えてくる。 「……し、失礼します」  そっと顔を覗かせると、王宮の一室にしては小さめの正方形の部屋に、びっしりと書物が敷き詰められていた。革と金の刺繍で装丁された背表紙が行儀よく棚に並んでいる。窓は無く、一部の壁は剥き出しの積まれた石で出来ていて、息を吸うと埃っぽさとかび臭さが肺を満たした。 「……何もいないわ」 『うん、気配は無いな』 「なんだ、よかった……」  少し顔を覗かせただけで全貌が伺える小さな室内には、人どころか生き物の気配すらしない。開いたとたん、人を食べる恐ろしい化け物でも見てしまったらどうしようかと考えていたアルメリアは、ほっと肩の力を抜いた。  入口のすぐ傍には管理者用の机と椅子が設置されているが、それが訪問者にとっての受付としての役割を果たしているのかは怪しいところだ。 「……あまり利用される場所ではないのね」  机の上に置かれていた利用者記録を捲ると、二年前に第一王子が入室したのが最後になっている。記録を机の上に戻すと、ぱふっと埃の塊が宙を舞った。 「わっ……、なんだか、埃を被った棚も多いし、最近は放置されていたのかも」 『ずさんな管理だな~』 「滅多に利用しないなら仕方がないわ」  見るからにここには長い間誰も入室していなかったことが伺える。だと言うのに、司書の人手不足という理由でアルメリアがこの場所に采配されることには違和感があった。 (もしかすると、王室のどなたかが第二書室を利用する予定があって、清掃をしなければならなくなったのかも。……でも、やっぱり不自然ね)  人手不足なら、利用者数の多い図書館の方を手伝うべきなのではないのか。異なる管轄に所属するアリル・エリゼを、わざわざ第二書室の書架番に宛がうのは何か別の理由があるのではないのか。 リーヌに聞いた噂も相まって、つい裏があるのではと勘ぐってしまう。 「まぁいいわ。せっかくひとりになれたのだし、ちゃっちゃと仕事を終わらせましょう」  とは言え、アルメリアは自分に課された仕事を全うするだけだ。 もしアルメリアの知らないところで陰謀が巡らされていたとしても、今はどうすることも出来ない。自分は代打として、最低限の期待に応えなければならないのだ。 「それに、こんな埃まみれの場所、きっと本にとってもよくないもの」  持って来ていた掃除道具セットを室内へと入れて、アルメリアは制服を汚さないようにエプロンを身に着ける。せっかくの司書の制服が台無しになったような気がしたが、誰もいないからと無理矢理納得させて、袖を捲った。  アルメリアはこれでも公爵令嬢だ。王宮に働きに出ているものの、決して勘当された訳ではないので身分は変わらず肩にある。兄や弟が騎士として王宮に仕えているのと同じだ、とアルメリアは認識していた。  もちろん、大貴族の娘がこうやって掃除に勤しむことなんて、絶対に無いのだろうが。 「……ふぅ」  棚の上、書物の隙間、照明の傘、床と壁とわずかな展示品。 目につくあらゆる場所から埃ひとつ無くなったのを確認して、アルメリアは達成感に笑みを溢した。 「ぴかぴかね!」  これなら、手入れが行き届いていないなんて誰も思わないだろう。 侍女として働き出して数か月しか経っていないが、毎日あらゆる場所の清掃をしているのだ。屋敷にいたころよりも、清掃の腕も、速さも、知識も成長している。今なら誰もがアルメリアのことを使用人と疑わないだろう。 「折角だから、花瓶に花でも挿したいところだけど……、私が来なくなったら枯れちゃうわよね」  小さな部屋の中には、空気を入れ替えるための窓も彩を加える装飾品も無い。茶や黒の革表紙で統一された空間は、神聖な雰囲気に満ちていて文句のつけようもないのだが、やはりどこか重々しく感じてしまう。 『じゃあ、おれが凍らせてやるぞっ!』 「本当? ブリザードフラワーなら確かに長持ちするわ」  アルメリアの独り言が聞こえたのか、磨かれた棚の上でくしくし毛づくろいをしていたブランがぴょんと降りて来た。普段は人目につかないように窮屈な思いをさせてしまっているため、背伸びをする愛らしい雪ウサギの姿を咎める気にはなれない。 『屋敷を出てから、リアは変わったよな〜』 「そう? どんな風に?」 『前より強くなったぞ!』 「じゃあ、いいことね」  引きこもり令嬢が自ら外に出るには、相当な覚悟と勇気が必要だった。何故なら、幼いころのアルメリアは魔獣を恐れる人間のことを恐れたからだ。  母に背を押され、無理矢理侍女になった今は、母に感謝してもしきれない。 連日知らないことばかりで不安もあるが、それよりも新鮮さや面白さが勝るのだ。 「さぁ、次は書物の整理を——」  昔馴染みでもあるブランとの会話に心を和ませながら、さあ次の仕事と張り切ったところで。 「……」  アルメリアはふいに、それを視界に捉えた。 棚に隙間なく埋められた貴重な書物が、ずりずりと引きずるような音を立てて。 その背後の石壁の中に、飲み込まれていくのを。 「———」  数秒、思考が完全に止まった。 やがてアルメリアは、息を殺しながら台に足を乗り上げておそるおそる消えていった書物があった場所を覗き込む。 書物と書物の隙間から伺える石壁は特に何の変哲もなく、ためしに箒の柄でつついてみても、想像通りの硬質な感覚しか返って来ない。  言葉を失ってから数秒、同じ光景を見たはずのブランが、くあ、とあくびを溢すのを見て、これが魔獣の仕業であることに察しがついた。 「ブラン、あれは……?」 『本の虫だな〜』 「え?」 『本の虫だぞ』  さも当然のようにブランは答える。「本の虫」と称された魔獣に心当たりは無くて、アルメリアは首を傾げた。 『正確に言えば、たてごもりの秋の獣だぞ。あいつらは感性が変だけど、乱暴なやつらじゃないから放っておいた』 「建籠り……」  人類の永遠の天敵、魔獣。 彼らはほとんどの人間に敵視され、そして彼ら自身は人間のことをせいぜい食料くらいにしか思っていない。  生まれつき<魔獣の加護>を持つアルメリアには、多くの魔獣の友人がいる。辺境を収めていたクランエリゼ領で暮らしていた時は、アルメリアの日常は魔獣と共にあった。しかし王都は最も人間が多く、魔獣の侵入が容易ではない場所だ。それでも、こんなにも身近に魔獣がいたのだ。 (もしかすると、あの噂話ってこの子が原因なのかも)  やはり何処に行っても魔獣との関係は途切れないらしい。 アルメリアの意を察したかのように定位置にブランが戻ってきたのを確認してから、剥き出しの石壁にそっと耳を添えてみた。  壁は相変わらず硬くて冷たい。物も言わず、言葉も通じず、生き物の気配もない。 『うん、いるぞ』  それでもブランは言う。魔獣とは人の理とは全く違う場所で生きるものたちだ。 アルメリアの常識は、彼らの前ではあって無いものになる。  迷った末、アルメリアはトントントン、と指の腹を使って壁を叩いてみることにした。 友人の家を訪問するように、密やかな合図を送るように、軽く三回ノックするイメージで。 「あの、こんにち……ひゃあっ?!」  とたん、どぷりと指が壁に沈んだ。
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