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1-7、魔獣の傲慢
どこからどうみても、突然のことに驚いたまま死んだ人に見える。
そんなことを思いながら、アルメリアはしばし停止していた思考をやっとのことで再開させた。
(この人は……、前の書架番の方かな)
アルメリアが突如司書の代わりをすることになったのは、司書の人手不足だと聞いている。だけれども、どうして急に人手不足になってしまったのかは聞いていない。流行病だったら下級侍女全体に伝えられるはずだし、王宮内でもっと大きな騒ぎになっていただろう。
だとしたら、そこには事件性のある何かか、原因不明の奇妙な出来事——公にできない理由があるに違いないのだ。
それがこのムニミィと言う魔獣のせいであると、アルメリアは確信してしまった。
『庭園に人像は付きものなんでしょ? でも、ただの石で象るのもつまらないから』
原因を目にしてしまった手前、放っておく事は出来そうにない。アルメリアが頭を抱えたいのを我慢していることも知らず、ロールは楽し気に庭園の素晴らしさについて語ってくれる。
『そこら辺に居た人間を石にしたんだ。お陰で、立派な庭園が出来て満足してるよ』
「……そうなのね、確かに真に迫っているわ」
『でしょ? 銀髪が気に入ってるんだよ。人間にしては、なかなか星空の趣がわかってるよねぇ』
そうね、綺麗ねとアルメリアは苦しまぐれに言葉を返した。
確かに彫像にされたこの銀髪の青年は、端正な顔立ちをしている。特に見事なのは冬空の星々を思わせる銀髪だろう。身長はすらりと高く、細身ながらも体が程よく鍛えられていることがわかり、夢見る乙女たちの心と視線を釘付けにすること間違いなしなのだが。
(魔獣までも釘付けにしてしまったのね……)
『うぇ、きも……、人間は食べる以上に価値はないと思うぞ……』
耐えきれないとばかりにブランが呟いた。冬の魔獣と秋の魔獣の間には、埋められない価値観の溝がありそうだ。
(……こういうところは、魔獣らしいわ)
友好的なムニミィの態度に肩の力を抜いていたが、やはり目の前にいる獣は魔獣だ。
彼らが人間を慮ることは無い。弱肉強食の世界で生きる魔獣たちは、何よりも自由に、何よりも残酷に、そして無邪気に力を振るう。
そのことに、疑問や罪悪感を抱くこともない。人の道理は通じないのだ。
「ブラン、あの人生きてる……?」
熱っぽく庭園のこだわりを語ってくれるロールの言葉を聞き流しながら、アルメリアはそっとブランに耳打ちした。小さな白い獣耳はぶるりと震えて、小さな前脚でアルメリアの頬を撫でる。
『辛うじてな。魂と肉体が分離されてるから、あんまり長い間ほっとくと昇っちゃうぞ』
「どこに?」
『あの世に』
「……」
どうやら、あまり時間は残されていないらしい。
一度この空間から出て、一晩考えさせてもらおうと思っていたアルメリアは、決意にきゅっと唇を噛み締めた。
(こうなったら……、やるしか無いわ)
アルメリアは深呼吸を数度繰り返し、心を決めて口を開いた。
「ロール、実は私は人間の中では身分の高い方で、たくさんの書物や庭園を見てきたの。そこで、提案なんだけど……」
頭ごなしに開放してあげてと訴えるのは愚策だ。何しろロールは生きたままの人間を彫像としたことに、特に何の躊躇いもないのだから。むしろ、センスがいいとすら思っているのだろう。
彼の目的はこの庭を彩ること。ならば、生きた彫像よりも更に魅力的な条件を示せばいい。
「彫像にするのは、身分の高い人や偉大な功績をした人だと決まっているわ。あなたの秋の庭を彩るのは、星空のような人間の彫像もぴったりだけれど、やっぱり秋の王を模試た彫像がいいと思わない?」
秋の王。すべての魔獣たちの祖である、四季の王の一角を担う獣。例え彼らが人間と異なる社会性を持つ生き物でも、秋の魔獣が秋の王を偉大に思わないわけが無い。
しかし、ロールにとってはあまり魅力的には思えなかったようだ。
『うーん、それも考えたんだけど』
たし、と太い尾が枯葉色に整えられた芝生を軽く叩いた。器用に前足を使って、ロールは自らの尾を腹の前に抱え込む。
『王を象るなんて恐れ多いことだよ。あの方が何処で何を見てるかなんてわからないし、それに地味だから』
「地味なの……?」
『あの方はだら〜って過ごすのが生き甲斐なんだ』
「そうなの……」
どうやら、華やかさが求められる庭園には相応しくないと判断されたようだ。
「じゃあこうしましょう」
アルメリアは何とか頭を働かせて、次に思いついた案を提示してみることにした。
「この彫像を私に譲って欲しいの。その代わり、私の星空の記憶をあげるわ。それを彫像にするのはどうかしら」
ムニミィは奇妙な生態をもつ魔獣だ。彼らは物事に対する一般的な『正解』を現すことが出来るのに、多種多様な人々の中の、『正解』とは不一致な歪みを楽しむところがある。
始め、ムニミィの生態について説明された時は、何を言っているのかさっぱり分からなかったのだが。
『ええっ、アルメリアの? いいの?!』
案の定、ロールは声を弾ませて勢いよく顔を上げた。どうやら、彫像の対価としてはお気に召して貰えたらしい。
「もちろんよ」
『やった、じゃあそうするよ!』
新たな友人からの贈り物というのは、ロールにとって随分と魅力的に映ったようだった。彼はその場で立ち上がると、彫像のそばをくるりと歩いた。
『じゃあこれはアルメリアにあげるね。肉体に入ってた魂もいる? 他の場所に移しておいたの』
「ありがとう。貰ってもいいかしら」
『そうだ、彫像は他にもあるんだ。他はそんなに気に入ってるわけでもなかったし、もしアルメリアに喜んでもらえるなら、そっちもあげる』
「本当? 嬉しいわ」
『ふふふ、どうぞ〜』
悪びれなく人間たちを拐っていたという事実を暴露しながら、ロールは心底嬉しそうに目を細め、興奮を表すように座り込んだアルメリアの周囲を飛び回る。
ふわふわの獣の愛らしさと、アンバランスな残酷さを同時に感じながら、アルメリアは疲労を感じていた。
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