1-8、ささやかな秘密

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1-8、ささやかな秘密

 ロールが作り出す異空間は、城壁という『存在』に溶け込んでいて、彼はどのような壁からでも姿を現すことが出来るのだという。  城中の書物はいつも借りているだけで、きちんと元の場所に戻しているそうだ。『また来てね〜』と少しだけ寂しそうなロールと再開の約束を交わし、アルメリアが目を開いた時には、既に第二書室に戻っていた。 「……戻ったわ」  一体どれだけ時間が過ぎたのだろうと思って懐中時計を取り出すと、夕刻の始まりに差し掛かっていた。異空間の中で数時間ほど過ごしたようだ。そろそろ、仕事を終える頃合いになってしまう。 『相変わらず、秋の獣ってなに考えてるかわかんないんだぞ』 「そうかもしれないわね」  秋の魔獣たちは、確かに独自の価値観を持っているのだろう。しかし人間であるアルメリアからしてみれば、ブランだって人とは異なる考え方を持っているのだ。ブランに同意をしつつも、内心では冬の魔獣もあまり変わらないような気がしていた。ただ、冬の魔獣が秋の魔獣よりもシンプルに生きているのは間違い無い。 (それにしても……)  座り込んでいたはずなのに、衣服には草本の一欠片もついていない。 そのことに不思議な感覚を覚えながら、アルメリアは改めて目の前の光景を見下ろした。 ―—そこにいるのは、床に倒れている「元彫像」だ。 「どうしよう、この人……」  しゃがみこんで、顔を覗き込んでみる。顔色は悪いが、脈はあるし息もしていた。 髪と同じ色をした長いまつげは動く兆しすら見せずに、まぶたはぴっとりと固く閉じられている。 (でも、やっぱりすごく綺麗な顔立ち……) 「ねぇブラン、魂は戻っているのよね?」  異空間の中でロールに渡された小瓶は何処にもない。手のひらにすっぽり収まってしまうほどの小さな瓶入れが、その中に光り輝く何かを入れていた様子を思い出した。 『ん、戻ってるぞ! 息もあるな。よかったな、オマエ。リアに助けられて』  ブランはアルメリアの頭の上から飛び降りて、無遠慮に男の首元を踏み荒らした。 小さなウサギの戯れに、男が気絶したまま「うっ……」と呻く。  アルメリアは安堵と呆れのため息をついて、膝を抱えてしゃがみこんだまま、どうしたものかと考え込んだ。  ムニミィは変幻自在の獣であり、己が作り出した異空間の中であれば、万能に等しい権能を持つ。その傲慢のせいで、目の前に倒れる美しい青年は彫像として選ばれ、邪魔だった魂は小瓶の中に封じられていたのだ。魔獣たちの引き起こす不思議を前にして、人の身体にどのような影響が出るのかは未知数だった。 「はやくお医者様に診てもらった方がいいことは確かだわ」 『人間はすぐしんじゃうもんな〜』  とは言え、これから事情を聞かれるのは当然として、壁の中に住む魔獣に彫像にされていたんですなんて、馬鹿正直に言えるはずもない。そうなれば、必然的に〈魔獣の加護〉を持っていることも話さねばならなくなってしまうだろう。 「こうなったら……!」  アルメリアは決意を固め、顔を上げた。 数冊の書物を棚から取り出して、ごめんなさいと呟きながらやや乱暴に床において大きな音を立てる。すぐさまわざとらしい足音を立ててバタバタと床を踏みしめて、第二書架の扉を全力で開け放った。 「誰かっ! 誰か来てくださいっ……! 人が突然っ!」  こうなればヤケクソだった。 普段なら絶対に出さないような甲高い悲鳴にむせ返りそうになるのを我慢しながら叫ぶと、ややあってからウェビニアが飛ぶように現れた。 「どうしたの、アリルさん! そんなに大きな声を上げて……」 「書架内の清掃をしていたら、ひ、人がっ……、人が突然現れてっ……!」 「なんですって?!」  アルメリア渾身の演技だ。顔を青くさせて——実際にちゃんと青くなっているかはわからないけれど——両手で体を抱きしめながら必死に訴える。  ウェビニアの後からはすぐに警邏騎士たちが姿を見せ、ウェビニアは騎士のひとりにアルメリアを任せると、室内に足を踏み入れていった。 「この方は……、今すぐ救護班を呼んでちょうだい!」 「わ、わたしっ、……、私っ、何もしていないのにっ! あの人が、突然……どうしてっ……!」 「落ち着いてください、何も心配いりませんから」  精一杯の混乱の振りが真に伝わってくれたのか、騎士のひとりはアルメリアの背を擦りながら側についてくれていた。ウェビニアの指示通り、すぐさま救護班が呼ばれ、周囲は緊迫した空気に包まれていく。 (……あの方は、もしかすると身分の高い方なのかしら)  ちら、と騎士に体を預けながら横目で救助の様子を伺った。救護班たちは迅速に手を動かしているものの、どこか恭しくも思える動作で元彫像の彼を運んでいる。彼とは話もしたことがないし、誰かもさっぱりわからないが、どこか只者ではない雰囲気をまとっているような気がした。 「アリルさん、あなたも今日は寮に戻りなさい。休んでいいわ。……ことの詳細は、明日伝えるから」  機を見計らってアルメリアがふぅと肩の力を抜くのを見て、ウェビニアは労るようにそう言った。誰にも見咎められない速度で、するりとブランがエプロンのポケットに身を滑り込ませるのを確認してから、アルメリアはよろよろと立ち上がる。 「分かり、ました……」  一礼の後、アルメリアは第二書室から踵を返した。相変わらず背後は忙しなく、アルメリアに気を割く余裕は無いらしい。まずは司書制服から着替えるため、図書室の裏手へと向かう。人の声が遠くなってから、アルメリアは自分がしでかしたことを思い出して、思わずくすくすと笑ってしまった。 「どうだった、ブラン?」 『うん、名演技だったぞ!』 「ふふ、不謹慎だけれど、ちょっと楽しかったわ」  アルメリアの演技を、誰も疑っていないようだった。場の様子から考えるにその余裕が無かったとも言えるが。 (後遺症が残らないといいのだけど)  魔獣は容赦という言葉を知らない。彫像になっていた彼が、ちゃんと元の生活に戻れることを祈った。
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