この瞬間は永遠

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「お姉ちゃん?」  背後から呼びかける声に目頭は熱くなり、振り返るとガラス戸は開いていて美加が私をじっと見ていた。  なぜだか涙はまったく出てこない。けれどじんわりと熱を帯びていることだけはわかる。  存在を示そうとひたすらに鳴き声を響かせると、美加は私を抱きかかえお互いに視線がしっかりと合った。 「ねえ、あなたお姉ちゃんなんでしょ?」  ――うん。こんな姿だけど彩加(あやか)だよ。  血色は悪く頬もほっそりとしている。その表情をうまく読み取ることができないまま、問いかけにと応えると美加は私の手を優しく握った。 「おかえり。ずっと帰ってくるの待ってたよ。あたし、お姉ちゃんと比べられてるって思い込んでひどいこと言っちゃった。本当にごめんなさい」  ――私の方こそ叩いてごめんね。  首を横に振ると、それが伝わったのか美加からは涙が落ちてきて私の顔を濡らす。 「お姉ちゃんと一緒にいられるように説得してみるから、どこにも行かないで待ってて」  その震える声が、想いがどんなものよりも嬉しい。  次の日から私は美加の膝の上で過ごすようになり、当の本人は染めていた髪を黒く戻し勉強に取り組み始めた。両親に掛けあって成績が上がるのを条件に私を飼う約束を取り付けたのだという。 「ここ正解だったら二回鳴いてよ。そういうのできる?」  参考書を二人覗き込み視線が合う。  ――美加は覚えてるかな? まるで中学の時みたいだよね。  それは双方向とはお世辞にも言えない、私達にしかわかりあえない会話だけれど、心だけはしっかりと繋がっていて暖かい気持ちが体じゅうを満たしていく。  迎えた試験日は雪が降っている。私はいつもの縁側で美加のマフラーに包まりながら、助けた子猫を二人で甲斐甲斐しくお世話する、そんな夢を見ていた。 「見てほら。お姉ちゃんほどじゃないけど学年三十位に入ったんだよ!」  ――本当によく頑張ったね。  満面の笑みを浮かべる美加は褒めてと言いたげに頭を近づけ、私は爪を立てないよう優しく撫でたあと抱きつく。この先、今日という日を忘れることはないだろう。  正式にこの家の一員となって月日は経ち、春を迎えると美加は私より一つ上の年齢になった。髪型や両親への接し方はどこかかつての私に似ていて、もしかすると美加なりに私の分まで生きようとしているのかもしれない。 「これからもずっと一緒だよね?」  美加が私の頭を撫でて微笑んだ。  ――ねえ、でもそれは永遠じゃないんだよ?  私が突然いなくなってしまったように、生きているものはすべて何の前触れもなく旅立ってしまう。ましてやこの体は十年と持たないだろう。  そう遠くないうちに訪れる、美加にとって二度目となる別れを思えばどうしようもなく胸が締めつけられる。  そのはずなのに、美加に触れられただけで不思議と苦しみが和らいでいく。美加の瞳に映る私が、以前の姿をしてと笑ったような気がした。  ――そうだとしても、今この瞬間だけは。  桜舞う並木道を二人歩いている。  不意に心地のいい風が私のひげを優しく揺らし、見上げれば美加が私を見ていた。 「行こ、お姉ちゃん。あたしまだまだ話したいことがあるんだ!」  その言葉とともに、成長した私達が手を繋ぐ幻影が浮かんでくる。それがたまらなく嬉しくて愛おしくて、ただ、ひたすらに切ない。 「みゃあ!」  私が元気一杯に頷くと美加は幸せそうに微笑んだ。  永遠の別れとなるその日まで、私達は残された日々を懸命に駆け続ける。
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