硝子玉

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「……っ」 直忠は驚いていた。 これがなにかの演技でもいい。……例えそうだとしても、彼がこんなにも真っ直ぐ、臆せず振る舞えることに安堵している。 「お世辞なんかじゃないと思うよ」 宗一の言葉に、直忠は息を飲んだ。 「白希は優しい。それに、私達が思ってる以上に強いから」 人は変わっていく。それがどれだけちっぽけな変化だとしても。 彼はもう、誰かに守られるだけの存在じゃない。そう易しく教えてくれているようだった。 「白希……ごめん。ごめんな……」 「あ、謝らないでください。俺は、兄さんが無事ならそれでいいんです」 兄もやはり、閉鎖的な環境に生まれて育った。長男であることから両親の期待を背負い、皆の力になれるよう行政保健師になった。 勉強が苦手な自分と違い、優秀で、努力家で……もう充分、あの村に捧げてきたと思う。 これからは自由、自分の為に生きてほしい。 「ありがとう。……俺達に関しては、一家離散が一番良い選択だったな」 直忠は立ち上がり、背もたれにかけていたコートを羽織った。 「もう行くのか。今夜ぐらい泊まっていけばいい」 「いや、両親が心配だから行くよ。今は親戚の家に世話になってるんだ。またいずれ引っ越すと思うけど」 白希も慌てて立ち上がり、直忠の傍に駆け寄る。 「父さんと母さん、どこか悪いんですか?」 「いいや、大丈夫だ。どちからと言えば、お前に対する罪悪感でまいってる。……とは言え合わす顔もない、というのが実情だ」 小さなため息の後、直忠は振り返った。 「全員で村から出られたけど……お前を危ない目に合わせたことは事実だ。協力してくれる宗一がいたからできたことでもある」 確かに、今回のことは水崎家の支援があってことだ。宗一さんとの関係がなければ、俺はまだあの家の中にいた。 「父さんと母さんはお前の誕生日が近付くにつれ冷静さを失っていったからな。……お前が誰かに襲われるんじゃないかって……身勝手だけど、お前が心配だったのは本当なんだ」 「……」 いつだって思い出すのは、無表情な両親の姿。 それでも、家族の縁は確かに続いている。 「白希。……いつか、父さん達にまた会ってくれるか?」 無理にとは言わないからと直忠は零した。それに答えるのに、そう時間はかからなかった。 「もちろん。元気そうな顔を見て……それからちゃんと、結婚のご報告がしたいです」 迷いなく告げ、微笑む。 直忠は目を見張り、それから静かに頷いた。 「宗一。本当にありがとう」 「私は何もしてないよ。白希を迎えに行ったのは私の意志だ」 「はは。……それじゃ、弟を頼む。あと本当に少しだけど、迷惑料を振り込んどいた」 彼は眼鏡をかけ直し、玄関へ向かう。白希は宗一と一緒に彼の後を追った。 「そんなの気にしなくていい。余川さん達もまだ休んでた方がいいし、大変だろう? むしろ困ったことがあればすぐに連絡してくれ。……もう、今は義理の家族になるんだし」 「そうか、そうだったな。でも大丈夫だよ。二人のことぐらい、俺に任せてくれ。白希に何もしてやれなかった分、後は俺が回していく。手伝いの人もいるし、村とも縁が切れたし、今度は遠い所でのんびり暮らすさ」 宗一さんと兄は、彼らにしか分からない関係を築いているようだ。 改めて彼らに感謝する。今回のことは全て、俺がきっかけで起きたことだからだ。 俺のせいで、結果的に家族は村を出ることになった。 「兄さん。ごめんなさい……」 かつては村を先導した余川家と水崎家が離れることになり、村では新たな大家がまとめ役を買って出ているはず。 俺の責任と重さは計り知れない。 暗い気持ちで俯いていると、不意に頭を撫でられた。 「お前はあんな場所にいたら駄目だ。これで良いんだよ」 兄さんは優しく笑い、俺の左手を見た。 「今まで我慢させてごめん。……そういえば、力の方はどうだ」 「あ、昔よりはずっと……勝手に暴走することも減りました」 宗一さんも隣にきて、笑いながら腕を組む。 「白希もここに来てから、特訓頑張ったんだよ。やっぱり、孤独な環境は逆効果だったようだ」 「そう……だよな」 直忠はもう一度、申し訳なさそうに俯いた。 だがハッとして、靴を履く。後をつけられてるわけではないが、ここに長居すると自分達に迷惑をかけてしまうと話した。 「村の奴らがこっちにも来てること、知ってるだろ? くれぐれも気をつけてくれ、宗一」 「ああ、……君もね」 宗一さんは真剣な表情で頷いた。 でもあることに気が付き、思わず前に出る。 「あ、兄さん……警察には連絡したんですか?」 現状、彼らは行方不明扱いのはずだ。俺もしばらく警察から何の連絡もないから失念しかけていた。 すると彼は思い出したように、首を横に振る。 「すまない、それも隠していたな。実は今は行方不明じゃないんだ。捜索はされてないよ」 「え? どうして」 「あの後すぐに不受理届を出したから。村の人間に居場所が分からないようにお願いしたんだよ」 そうか。 事情があって誰かから逃げ隠れないといけないとき、不受理届を提出すれば警察の捜査を断ち切ることができる。でも、 「宗一さんは知ってたんですよね?」 「う、うん」 火事の後の落ち着きよう、段取りの速さ。間違いなく、宗一さんは全部知っていたんだ。兄さんと話し合って、全て見越していた。 教えてくれたら良かったのに、とは言えない。俺が知ったところで彼らの負担がなにか減ったとは思えないし、────全部俺の為にやってくれたことだから。 「白希、怒ってる?」 「お、怒ってませんよ」 宗一さんが不安げに顔を覗きこんできたので、慌てて手をかざした。 「何となく、皆無事だって気がしてたんです。その予想は当たりました」 「ふふ、そういえば言ってたね。私も、実は見抜かれてるんじゃないかと思って少し焦ったよ」 彼は口元を押さえ、上品に笑った。 その様子を見て、兄さんはホッとしたように肩の力を抜く。 「……落ち着いたら、また連絡する。気をつけてな」 「兄さん……も、気をつけて」 家の前まで出て、彼を見送る。するとまた頭を撫でられた。彼は懐かしそうに目を細めた。 「……大きくなったな」 「……!」 大きな手のひらが離れていく。時間が止まったみたいに、彼が立ち去った後もしばらくその場に留まっていた。 家族。 それが全てではないし、家族だからこそ、胸が張り裂けそうな痛みを伴うことがある。 それでも俺は、何も後悔はしてない。 「白希。そろそろ戻ろう」 「……はい」 宗一さんの手を握り、顔を隠すように俯いた。
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