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彼は俯いていたが、笑っていることは何となく分かった。
思ったとおり……ではなく、会った時からずっと知っていた。彼は思いやりがあって、本当はとても繊細な青年なのだと。
「じゃあ改めて……乾杯!」
お店は座敷で、寛げる個室に入ることができた。雅冬さんも宗一さんも美味しそうにビールを飲んでいる。俺は文樹さんにカルピスサワーを頼めと言われたので、それにした。
ちょうど水炊きと同じ色をしてるなぁなんて考えながら、甘いサワーを飲む。ワインよりずっと飲みやすくて、ジュースみたいだ。でも調子に乗るとまた前みたいにフラフラになるから、ちゃんとご飯も食べよう。
「宗一さんは白希のどこが一番好きなんですか?」
すっかりいつもの調子に戻った文樹さんは、好奇心旺盛に質問する。それに対し、正面の雅冬さんが眉を下げた。
「ちょっと文樹君、ただの惚気話になるから訊かない方が良いよ? 白希は良い子だけど、宗一は無駄に話が長いし」
やっぱり、雅冬さんて普段から色々苦労されてそうだ……。正座して静聴してると、俺と文樹さんの器に美味しそうな鶏肉が入った。宗一さんが菜箸を持ち、食べるように促す。
「ま、それはともかく……。冷めないうちにどうぞ」
「ありがとうございます」
「あざーす。美味っ!」
初めての水炊きはとても美味しかった。シメの雑炊を食べる頃にはお腹がいっぱいで、そのまま倒れて眠りたいぐらいだった。
「そうか、文樹君は就活か……もし興味があれば、ウチの会社の説明会にもおいで。限りなくホワイトに近いグレーだよ」
「おい、その手の冗談はマジでやめろ」
殺気に満ちた目で袖を引く雅冬さんを華麗にスルーし、宗一さんは文樹さんに名刺を渡した。なにかあればいつでも連絡して、と微笑んでいる。
「ありがとうございます! すみません、俺今は名刺なくて」
「大丈夫だよ。それより今日は本当にありがとう。無理に誘ってごめんね」
「いえいえ。むしろめっちゃ嬉しいです!」
和やかに笑い合ってる三人を見て、心があたたかくなる。
なんて優しい空間なんだろう。俺の大事な人が集まってる……。
またこんな風に、皆で食事がしたい。何なら今度は文樹さんを家に招いたりとか。宗一さんにも相談してみよう。
程なくしてお開きの時間になった。宗一さんと雅冬さんは会計後店先でなにか話していたので、俺は文樹さんと駅に続く道を歩いた。
「白希、今日はありがと。宗一さん達にも、また後でご馳走様って伝えて」
「はい!」
じゃあまた明日、と言った時、文樹さんのスマホが鳴った。
「……っと。大我だ。こんな時間に何だよ……」
大我さん……。
少し気になったものの、文樹さんはスマホを片手に宗一さん達に別れを告げに行ってしまった。
何だろう。何でこんなに掌がじんじんするのか。
力が働いてるわけじゃないんだ。ただ、なにかを思い出して、反応している。
でも宗一さんに言って困らせることもしたくない。ぎゅっと握り、無理やり抑え込んだ。
「……それじゃあ、俺はここで。気をつけてな」
文樹さんと別れた後、雅冬さんとも駅で別れた。互いに路線が違う為、俺と宗一さんは少し離れた改札まで歩く。
「そういえば、白希とこんな風に家に帰るのは初めてだね」
「そうですね……! 宗一さんはいつもお車ですもんね」
「うん。ちょうど昨日車検に出しててね。明日には終わるから、それまで電車通勤だ」
二十一時を過ぎた頃。それなりに混んでいたので、ドア付近によって向かい合った。
「白希、何か嬉しそうだね」
「え。あはは、電車っていつも一人で乗ってたので。宗一さんと一緒に乗れたの、地味に嬉しいんです」
サコッシュが潰れないよう、前に回す。
「初めて村を出た時は、一人で電車に乗るのもすごい勇気がいりました。今でも知らない場所に行くのは不安で仕方ないんですけど……あの頃のドキドキとはちょっと違うから。懐かしいなぁ」
窓の先に映る街の明かりを眺め、疲れた目を擦った。宗一さんは静かに聴いてくれていたけど、じっと見つめられてるのも気恥しくて話題を振った。
「そういえば……! 宗一さんも、さっきまですごく嬉しそうに見えましたよ。なにか良いことありました?」
「お、ほんと? そうだねぇ……白希がお友達と楽しそうに話してたから、それが見られたのはすごく嬉しかったかな」
「ふえ……!」
思いがけない言葉に、顔が猛烈に熱くなる。周りの人に聞かれてないか気になってしまった。別に聞かれたってなんてことないはずなのに……。
「白希、顔赤いよ。今頃酔ってきた?」
「そ……そういうことにしてください」
背中に当たってる手すりが若干熱くなってることに気付く。
やっぱりまだまだ駄目だなぁ。恥ずかしい時はもちろん、嬉しいことを言われても力が働いてしまう。
他の人が触る前に、何とか手すりの温度を下げた。窓に映る自分の顔は、何とも情けないもので。
力をコントロールすることができるようになっても、彼との甘い生活には一生慣れないかもしれない。……そう改めて自覚した夜でもあった。
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