正月に酒が飲みたい弟を、号泣お兄ちゃんが阻止してくる

1/1
前へ
/1ページ
次へ

正月に酒が飲みたい弟を、号泣お兄ちゃんが阻止してくる

 静かなリビングに、プシュ、と心地よい音が響く。  そのままビールをぐっとあおり、燈次(とうじ)は感嘆の息を吐く。 「っかー。やっぱり酒は最高だ!」  テレビでは正月特番がやっていて、今年流行る物の予想ゲームをやっている。 「今年流行と言えば、こいつに違いなかろうね」  燈次は陶器の皿にバニラアイスクリームを置き、その上からワインを注ぐ。  それをつまみ代わりに、燈次はウォッカを飲む。 「虹そのものを飲んでいるような幸福感……」  金持ち男の燈次は、いつもメイドに酒の飲みすぎを注意されている。しかし今日はそのメイドが実家に帰省中。  フリーダムな燈次は、酒瓶をラッパ飲みしはじめた。 「俺を止められる者は誰もいなーい!」  突然、廊下からバタバタと音が聞こえた。燈次は幻聴かと思って無視をしたが、ドアが勢いよく開けはなたれた。 「また酒を飲んでいるのか、燈次いいい!」 「うわ、兄貴」  飛びこんできたのは燈次の10歳上の兄、領一(りょういち)だ。領一は燈次の手から酒を取りあげ、次々とゴミ袋に放りこんでしまった。 「まだ中身残ってるのに!」  そう叫ぶ燈次を領一は睨む。その10秒後、領一の目に悲しみの粒が浮かんだ。そしてすぐに、領一の頬は大量の涙に濡らされた。  領一は燈次に正面から抱きつき、大声で訴えた。 「酒は毒物。森羅万象の敵。そんなものを飲みふけって……兄は悲しくてたまらんぞおおお」 「力いっぱい抱きしめるな、痛い!」 「アメリカから久方ぶりに帰ったと思ったら、燈次がbadな姿に。うおおおん!」 「もっと静かにできんのか。深夜1時だぞ」  燈次はやれやれと首を振り、領一の腕を逃れて自分の部屋に戻ろうとする。  しかし領一は彼の背中に飛びつき、がっしりと掴んではなさない。  領一はそのまま燈次の上着のポケットを探り……。 「燈次、これは何だ」 「えーと。お薬?」 「酒の小瓶ではないか」 「ぐ……」 「何が楽しくて飲むのか俺には分からん。こんな悪魔のよだれも同然の物を」 「比喩きもいな」  領一はギリギリと奥歯を噛みしめ、怒りの表情で宣言をする。 「今日から5日間、俺は燈次から目を離さない。お前に酒を飲ませないために」 「正気か!」  燈次は離れようともがいたが、領一は燈次の背中にびたっとくっつき、燈次の背中にぐりぐりと頬を押しつける。  領一は顔を離したかと思うと、燈次のパーカーのフードに手を突っこんだ。そこから出てきたのはチョコレートボンボン。  燈次はぺろっと舌を出しておどける。  その直後、領一の目に大粒の涙が再登場した。 「俺は燈次を守る。この忌まわしきdrinkから!」  翌日。燈次は近所の神社に来ていた。  神社は初詣の客でにぎわっている。  イベントごとが好きな燈次だが、今日は帰りたくて仕方なかった。  何故なら……。 「おい兄貴、早く離せ」 「この手を離せばお前は、地獄の水を探しにいくだろう」 「酒は飲まないから解放しろ!」  燈次はバタバタと手足を動かした。しかし、領一はいっそう強く彼を抱きしめるだけだった。  燈次は家からこの神社に来るまでの20分間、燈次は領一に後ろから抱きしめられていた。道を歩くときも、信号待ちのときも。すれ違った人に何度笑われたか分からない。 「毒を欲する燈次が悪いのだぞ」 「酒を毒扱いするな」 「昨日は燈次の部屋を探したら、あらゆる場所から酒が出てきたな。本棚の中、引き出しの中、布団カバーの中……。他はどこに隠した?」 「もうない。本当に」  燈次が自室に隠していた酒はひとつ残らず没収されていた。  満足そうな領一は、上機嫌に燈次に話しかける。 「見ろ。神社の中に屋台が出ているぞ。何かほしい物はあるか?」 「兄貴の手を離れる権利」 「うん?」 「お好み焼き」 「駄目だ! 鉄板の消毒にアルコールを使ってるかもしれん!」 「それも駄目なの?」 「たこ焼きもあるな。あれも調理工程で料理酒を使っている恐れがある。視界に入れることも許さんぞ」 「ハードモードだな。じゃああれは?」 「射的ゲーム?」 「お子さまも対象の遊びなら、酒が景品にはならないだろ」  領一は台に並んだ品物を1商品につき30秒ずつ眺めた。その上でようやく許可が出る。 「1回だけなら」  やったー! と言って燈次がコルク銃を取ったのも束の間。領一はバッと取りあげた。 「dengerous!」 「デンジャラス? アルコール消毒されているから?」 「コルクは酒瓶を連想させる」 「それもか」 「兄が代わりに取ってやろう」  正直、燈次は「どの景品もいらないな」と思った。領一の気を逸らしたくて言っただけだから。仕方なしに見ていると、ある商品に目が止まった。  それは龍のぬいぐるみだった。辰年だから選ばれたのだろう。  全長50センチ、太さも15センチと大柄だ。  龍の背中にはチャックがついていて、中にはそれなりに物が入れられそうだ。大きくて長いポーチといった具合だった。 「あれほしい」  燈次が指をさすと、領一はコルク銃を構える。しかし手元が震えてまったく当たらない。領一の目に悔し涙が溜まっていく。  燈次が気まずくなったそのとき。  別の人の打ったコルクがぬいぐるみに命中した。その大柄なぬいぐるみは不思議なことにその1発でぽとりと落ちた。  燈次が呆気に取られていると、そのぬいぐるみは何故か燈次の手に渡される。 「ありがたく思えよ、小僧」  上から目線な言葉が頭上から降ってくる。見上げると、そこには見覚えのある顔が。 「げっ、課長?」  燈次は露骨に顔をしかめた。コルク銃を撃ったのは燈次の直属の上司だったようだ。課長はニヤニヤと意地悪そうに笑っている。 「せっかくの正月休みに、上司の顔なんぞ見たくなかったか?」 「当然だ」 「ところで燈次。年末にお前が作った資料の数式の参照先が、全部間違っていた件だが」 「休日に仕事の話をするんじゃなーい!」  落胆する燈次とは裏腹に、領一は妙に嬉しそうだ。 「久方ぶりだ、加藤。元気にしていたか?」  領一は課長と年が近いので、仲がよかったりする。ふたりは自然と会話に花を咲かせた。  一方の燈次は、少し離れた場所で酒盛りをする集団を見つけた。知らない人たちだったが、愛嬌を振りまけば1缶くらい分けてくれるだろう、と考えた。  人の懐に入るのは、燈次の特技のひとつだ。  抜き足差し足忍び足、そろりそろりと足を進める。上手く兄たちから離れられそうだった。  しかし、課長が余計なことを言いだした。 「実は少し前からお前たちを見ていたんだが。領一、弟にやたらベタベタしてたな」 「実は燈次が……あっ!」  見つかってしまった。燈次は領一にしっかりホールドされる。逃げる隙は見つからない。  課長は燈次をじっと見る。 「今度は何が理由で兄貴の怒りを買ったんだ?」  領一が鼻をすすりながら訴えた。 「alcohol!!」 「アルコール? ははあ、領一に飲みすぎを注意されたのか。それでもやめないから、ベッタリ見張られているってわけだ」  バッチリ当てられて、燈次は顔を真っ赤にする。  しかし燈次はフー……と息をゆっくり吐き、穏やかに笑ってみせた。 「酒はもう飲まないよ。改心したんだ」 「兄は嬉しいぞ。うおおーん!」  領一は神社中に聞こえる声で嬉し泣きをする。燈次はニコニコと笑いながら、もらったばかりの龍のぬいぐるみを抱きしめる。  ぬいぐるみはチャックの中に何も入っていないため、燈次の腕の中で身体がくにゃくにゃになっていた。  その様子を見て、課長は少し難しそうな顔をした。  家に帰ってからも、燈次はニコニコ笑いながら龍のぬいぐるみを抱きしめていた。  領一はすっかり上機嫌だ。  背が低く童顔な燈次は、兄の目に可愛く映っているに違いない。 「燈次、ぬいぐるみが手に入って嬉しいな」 「うん。俺、ぬいぐるみ大好き」 「加藤にお礼は?」 「言った」 「いい子だなー! これでこそ我が弟!」  夕食中も、風呂の前の脱衣所でも、燈次は龍のぬいぐるみを大事そうに抱えている。  風呂から出ると、燈次は自分の部屋に戻った。そして龍のぬいぐるみをじっと見た。  いつの間にか、ぬいぐるみは背筋をピンと伸ばしている。まるで中に何かが入っているようだ。  燈次はぬいぐるみの背中にあるチャックをゆっくり下す。  すると、中から一升瓶が出てきた。瓶の中身はもちろんお酒。  昨晩、燈次が自室に隠した酒は領一に没収された。しかしこの酒瓶は、こんなこともあろうかと脱衣所の棚の中に隠していたものだ。  ラベルに書かれた文字は「龍ごろし」。アルコール度数は驚きの20度。  燈次はケケケッと不気味に笑う。 「今夜は勝利の美酒に酔わせてもらおう!」  そのとき――燈次の眼前に龍の頭が見えた。その龍は至近距離から燈次を真っ直ぐ睨む。  燈次は鳥肌が立った。  燈次は目をこする。すると、龍の幻覚は消えた。 「何だ今の……」  しかし嫌な感覚は消えていない。奇妙な威圧感が肌をピリピリと刺激する。  グルル……と低い唸り声が聞こえた。それは廊下に通じるドアの先から聞こえる。 「本物の龍のお出ましか?」  皮肉っぽく言うと、燈次はゆっくりとドアに近づいた。酒瓶は武器代わりに抱えている。  不気味な声はまだ聞こえている。緊張を伴う雰囲気も。  覚悟を決め、燈次は一気にドアを開ける。  次の瞬間、領一が部屋に飛びこんできた。 「燈次いいい!」 「うわ、兄貴!」 「お前またこんな! poisonを飲んだりして!」  ぐおおん! と激しく声を上げて領一は泣いている。どうやら先ほどの唸り声は彼のものだったようだ。  解決してひと安心。と燈次は思った。  しかしふと違和感を覚える。 「この威圧的な雰囲気は、一体?」  背筋が凍るような嫌な感覚はむしろ高まっている感じがする。その気配は、声を上げて泣く兄のものとは思えなかった。  では一体どこから。  それに疑問は他にもある。 「兄貴は完全に俺の嘘を信じていた。それなのに何故、俺が酒を持ちこんだことに気づいたんだ」 「知りたいか?」  ククッと居丈高な笑い声がする。その声に燈次は嫌というほど覚えがあった。 「まさか、そこにいるのは」  ドアの陰からぬっと大きな男が現れる。その男は嫌味っぽい笑みを浮かべ、得意げに言う。 「お前の考えなどお見通しだ。俺はお前の上司だからな!」 「うわあ。課長―!」  課長は燈次の部屋の中で、堂々とあぐらをかく。 「お前の上司であるこの俺が、ひと晩中お前を見張ってやろう」 「休みの日の夜に課長の顔なんか見たくない」  領一は号泣しながら、ぎゅっと燈次を抱きしめる。 「燈次、今日は俺と一緒に寝ような。夢の中でも俺が監視してやるからな!」 「うわあああ」  龍も怯えるほどの圧をかけてくる課長。龍もたじろぐほどの声で泣く兄。  恐ろしいふたりに気圧されて、燈次の欲望は消えていった。 「分かったよ。酒は控える。本当に」  領一は燈次に頬ずりをする。 「分かってくれるか!」 「俺は代わりにこれを飲むぞ。よければふたりも一緒に」  そう言って燈次は冷蔵庫からペットボトルを出してきた。領一は不思議そうに燈次の手元を覗きこむ。 「ドラゴンフルーツのジュース?」  紙コップにそれぞれ注ぎ、3人で飲んでみる。最初に感想を言ったのは領一。 「ドラゴンフルーツかは分からんが……意外と美味いな」  課長も燈次を褒める。 「辰年にちなんでドラゴンか。面白いチョイスじゃないか」  燈次はエヘンと胸を反らした。 「実は他に、なます伊達巻仕立ての昆布こんにゃくジュースもあるんだが」  領一と課長は口を揃えて拒絶する。 「それはちょっと」「いらない」
/1ページ

最初のコメントを投稿しよう!

2人が本棚に入れています
本棚に追加