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正月に酒が飲みたい弟を、号泣お兄ちゃんが阻止してくる
静かなリビングに、プシュ、と心地よい音が響く。
そのままビールをぐっとあおり、燈次は感嘆の息を吐く。
「っかー。やっぱり酒は最高だ!」
テレビでは正月特番がやっていて、今年流行る物の予想ゲームをやっている。
「今年流行と言えば、こいつに違いなかろうね」
燈次は陶器の皿にバニラアイスクリームを置き、その上からワインを注ぐ。
それをつまみ代わりに、燈次はウォッカを飲む。
「虹そのものを飲んでいるような幸福感……」
金持ち男の燈次は、いつもメイドに酒の飲みすぎを注意されている。しかし今日はそのメイドが実家に帰省中。
フリーダムな燈次は、酒瓶をラッパ飲みしはじめた。
「俺を止められる者は誰もいなーい!」
突然、廊下からバタバタと音が聞こえた。燈次は幻聴かと思って無視をしたが、ドアが勢いよく開けはなたれた。
「また酒を飲んでいるのか、燈次いいい!」
「うわ、兄貴」
飛びこんできたのは燈次の10歳上の兄、領一だ。領一は燈次の手から酒を取りあげ、次々とゴミ袋に放りこんでしまった。
「まだ中身残ってるのに!」
そう叫ぶ燈次を領一は睨む。その10秒後、領一の目に悲しみの粒が浮かんだ。そしてすぐに、領一の頬は大量の涙に濡らされた。
領一は燈次に正面から抱きつき、大声で訴えた。
「酒は毒物。森羅万象の敵。そんなものを飲みふけって……兄は悲しくてたまらんぞおおお」
「力いっぱい抱きしめるな、痛い!」
「アメリカから久方ぶりに帰ったと思ったら、燈次がbadな姿に。うおおおん!」
「もっと静かにできんのか。深夜1時だぞ」
燈次はやれやれと首を振り、領一の腕を逃れて自分の部屋に戻ろうとする。
しかし領一は彼の背中に飛びつき、がっしりと掴んではなさない。
領一はそのまま燈次の上着のポケットを探り……。
「燈次、これは何だ」
「えーと。お薬?」
「酒の小瓶ではないか」
「ぐ……」
「何が楽しくて飲むのか俺には分からん。こんな悪魔のよだれも同然の物を」
「比喩きもいな」
領一はギリギリと奥歯を噛みしめ、怒りの表情で宣言をする。
「今日から5日間、俺は燈次から目を離さない。お前に酒を飲ませないために」
「正気か!」
燈次は離れようともがいたが、領一は燈次の背中にびたっとくっつき、燈次の背中にぐりぐりと頬を押しつける。
領一は顔を離したかと思うと、燈次のパーカーのフードに手を突っこんだ。そこから出てきたのはチョコレートボンボン。
燈次はぺろっと舌を出しておどける。
その直後、領一の目に大粒の涙が再登場した。
「俺は燈次を守る。この忌まわしきdrinkから!」
翌日。燈次は近所の神社に来ていた。
神社は初詣の客でにぎわっている。
イベントごとが好きな燈次だが、今日は帰りたくて仕方なかった。
何故なら……。
「おい兄貴、早く離せ」
「この手を離せばお前は、地獄の水を探しにいくだろう」
「酒は飲まないから解放しろ!」
燈次はバタバタと手足を動かした。しかし、領一はいっそう強く彼を抱きしめるだけだった。
燈次は家からこの神社に来るまでの20分間、燈次は領一に後ろから抱きしめられていた。道を歩くときも、信号待ちのときも。すれ違った人に何度笑われたか分からない。
「毒を欲する燈次が悪いのだぞ」
「酒を毒扱いするな」
「昨日は燈次の部屋を探したら、あらゆる場所から酒が出てきたな。本棚の中、引き出しの中、布団カバーの中……。他はどこに隠した?」
「もうない。本当に」
燈次が自室に隠していた酒はひとつ残らず没収されていた。
満足そうな領一は、上機嫌に燈次に話しかける。
「見ろ。神社の中に屋台が出ているぞ。何かほしい物はあるか?」
「兄貴の手を離れる権利」
「うん?」
「お好み焼き」
「駄目だ! 鉄板の消毒にアルコールを使ってるかもしれん!」
「それも駄目なの?」
「たこ焼きもあるな。あれも調理工程で料理酒を使っている恐れがある。視界に入れることも許さんぞ」
「ハードモードだな。じゃああれは?」
「射的ゲーム?」
「お子さまも対象の遊びなら、酒が景品にはならないだろ」
領一は台に並んだ品物を1商品につき30秒ずつ眺めた。その上でようやく許可が出る。
「1回だけなら」
やったー! と言って燈次がコルク銃を取ったのも束の間。領一はバッと取りあげた。
「dengerous!」
「デンジャラス? アルコール消毒されているから?」
「コルクは酒瓶を連想させる」
「それもか」
「兄が代わりに取ってやろう」
正直、燈次は「どの景品もいらないな」と思った。領一の気を逸らしたくて言っただけだから。仕方なしに見ていると、ある商品に目が止まった。
それは龍のぬいぐるみだった。辰年だから選ばれたのだろう。
全長50センチ、太さも15センチと大柄だ。
龍の背中にはチャックがついていて、中にはそれなりに物が入れられそうだ。大きくて長いポーチといった具合だった。
「あれほしい」
燈次が指をさすと、領一はコルク銃を構える。しかし手元が震えてまったく当たらない。領一の目に悔し涙が溜まっていく。
燈次が気まずくなったそのとき。
別の人の打ったコルクがぬいぐるみに命中した。その大柄なぬいぐるみは不思議なことにその1発でぽとりと落ちた。
燈次が呆気に取られていると、そのぬいぐるみは何故か燈次の手に渡される。
「ありがたく思えよ、小僧」
上から目線な言葉が頭上から降ってくる。見上げると、そこには見覚えのある顔が。
「げっ、課長?」
燈次は露骨に顔をしかめた。コルク銃を撃ったのは燈次の直属の上司だったようだ。課長はニヤニヤと意地悪そうに笑っている。
「せっかくの正月休みに、上司の顔なんぞ見たくなかったか?」
「当然だ」
「ところで燈次。年末にお前が作った資料の数式の参照先が、全部間違っていた件だが」
「休日に仕事の話をするんじゃなーい!」
落胆する燈次とは裏腹に、領一は妙に嬉しそうだ。
「久方ぶりだ、加藤。元気にしていたか?」
領一は課長と年が近いので、仲がよかったりする。ふたりは自然と会話に花を咲かせた。
一方の燈次は、少し離れた場所で酒盛りをする集団を見つけた。知らない人たちだったが、愛嬌を振りまけば1缶くらい分けてくれるだろう、と考えた。
人の懐に入るのは、燈次の特技のひとつだ。
抜き足差し足忍び足、そろりそろりと足を進める。上手く兄たちから離れられそうだった。
しかし、課長が余計なことを言いだした。
「実は少し前からお前たちを見ていたんだが。領一、弟にやたらベタベタしてたな」
「実は燈次が……あっ!」
見つかってしまった。燈次は領一にしっかりホールドされる。逃げる隙は見つからない。
課長は燈次をじっと見る。
「今度は何が理由で兄貴の怒りを買ったんだ?」
領一が鼻をすすりながら訴えた。
「alcohol!!」
「アルコール? ははあ、領一に飲みすぎを注意されたのか。それでもやめないから、ベッタリ見張られているってわけだ」
バッチリ当てられて、燈次は顔を真っ赤にする。
しかし燈次はフー……と息をゆっくり吐き、穏やかに笑ってみせた。
「酒はもう飲まないよ。改心したんだ」
「兄は嬉しいぞ。うおおーん!」
領一は神社中に聞こえる声で嬉し泣きをする。燈次はニコニコと笑いながら、もらったばかりの龍のぬいぐるみを抱きしめる。
ぬいぐるみはチャックの中に何も入っていないため、燈次の腕の中で身体がくにゃくにゃになっていた。
その様子を見て、課長は少し難しそうな顔をした。
家に帰ってからも、燈次はニコニコ笑いながら龍のぬいぐるみを抱きしめていた。
領一はすっかり上機嫌だ。
背が低く童顔な燈次は、兄の目に可愛く映っているに違いない。
「燈次、ぬいぐるみが手に入って嬉しいな」
「うん。俺、ぬいぐるみ大好き」
「加藤にお礼は?」
「言った」
「いい子だなー! これでこそ我が弟!」
夕食中も、風呂の前の脱衣所でも、燈次は龍のぬいぐるみを大事そうに抱えている。
風呂から出ると、燈次は自分の部屋に戻った。そして龍のぬいぐるみをじっと見た。
いつの間にか、ぬいぐるみは背筋をピンと伸ばしている。まるで中に何かが入っているようだ。
燈次はぬいぐるみの背中にあるチャックをゆっくり下す。
すると、中から一升瓶が出てきた。瓶の中身はもちろんお酒。
昨晩、燈次が自室に隠した酒は領一に没収された。しかしこの酒瓶は、こんなこともあろうかと脱衣所の棚の中に隠していたものだ。
ラベルに書かれた文字は「龍ごろし」。アルコール度数は驚きの20度。
燈次はケケケッと不気味に笑う。
「今夜は勝利の美酒に酔わせてもらおう!」
そのとき――燈次の眼前に龍の頭が見えた。その龍は至近距離から燈次を真っ直ぐ睨む。
燈次は鳥肌が立った。
燈次は目をこする。すると、龍の幻覚は消えた。
「何だ今の……」
しかし嫌な感覚は消えていない。奇妙な威圧感が肌をピリピリと刺激する。
グルル……と低い唸り声が聞こえた。それは廊下に通じるドアの先から聞こえる。
「本物の龍のお出ましか?」
皮肉っぽく言うと、燈次はゆっくりとドアに近づいた。酒瓶は武器代わりに抱えている。
不気味な声はまだ聞こえている。緊張を伴う雰囲気も。
覚悟を決め、燈次は一気にドアを開ける。
次の瞬間、領一が部屋に飛びこんできた。
「燈次いいい!」
「うわ、兄貴!」
「お前またこんな! poisonを飲んだりして!」
ぐおおん! と激しく声を上げて領一は泣いている。どうやら先ほどの唸り声は彼のものだったようだ。
解決してひと安心。と燈次は思った。
しかしふと違和感を覚える。
「この威圧的な雰囲気は、一体?」
背筋が凍るような嫌な感覚はむしろ高まっている感じがする。その気配は、声を上げて泣く兄のものとは思えなかった。
では一体どこから。
それに疑問は他にもある。
「兄貴は完全に俺の嘘を信じていた。それなのに何故、俺が酒を持ちこんだことに気づいたんだ」
「知りたいか?」
ククッと居丈高な笑い声がする。その声に燈次は嫌というほど覚えがあった。
「まさか、そこにいるのは」
ドアの陰からぬっと大きな男が現れる。その男は嫌味っぽい笑みを浮かべ、得意げに言う。
「お前の考えなどお見通しだ。俺はお前の上司だからな!」
「うわあ。課長―!」
課長は燈次の部屋の中で、堂々とあぐらをかく。
「お前の上司であるこの俺が、ひと晩中お前を見張ってやろう」
「休みの日の夜に課長の顔なんか見たくない」
領一は号泣しながら、ぎゅっと燈次を抱きしめる。
「燈次、今日は俺と一緒に寝ような。夢の中でも俺が監視してやるからな!」
「うわあああ」
龍も怯えるほどの圧をかけてくる課長。龍もたじろぐほどの声で泣く兄。
恐ろしいふたりに気圧されて、燈次の欲望は消えていった。
「分かったよ。酒は控える。本当に」
領一は燈次に頬ずりをする。
「分かってくれるか!」
「俺は代わりにこれを飲むぞ。よければふたりも一緒に」
そう言って燈次は冷蔵庫からペットボトルを出してきた。領一は不思議そうに燈次の手元を覗きこむ。
「ドラゴンフルーツのジュース?」
紙コップにそれぞれ注ぎ、3人で飲んでみる。最初に感想を言ったのは領一。
「ドラゴンフルーツかは分からんが……意外と美味いな」
課長も燈次を褒める。
「辰年にちなんでドラゴンか。面白いチョイスじゃないか」
燈次はエヘンと胸を反らした。
「実は他に、なます伊達巻仕立ての昆布こんにゃくジュースもあるんだが」
領一と課長は口を揃えて拒絶する。
「それはちょっと」「いらない」
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