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食堂を出て女子寮へ向かう。
そろそろ朝食を、という生徒が増えて来た。女子寮から食堂へ続く渡り廊下は男子寮にも続いてる。
俺はひとり逆走するかたちになった。人波が途切れたところで早歩きだったのが小走りになる。授業開始まで時間は十分にあるとわかっていてもキティの忠告がある。俺はともかく、ナタリーは真面目さんなのだ。ついでに小心者でもある。おっかない先生と聞くと、今から心臓がばくばくして──。
視界に前方に人影を捉えて俺は速度を落とす。その時だ。
「「「きゃあ」」」
背後で複数の悲鳴が上がった。加えて男子の笑い声。口笛も聞こえる。
振り返ると女子生徒のスカートが捲れ上がっていた。つむじ風が纏いついている。みんな両手で押さえているがつむじ風はしつこく太股や下着があらわになっている女子も居た。しゃがみこんだり壁際に背中を押し付けてスカートを押さえている女子もいる。真っ赤な顔で唇を噛みしめていたり泣き出した女子もいる一方で、男子はといえば。
知らん顔で食堂に向かう奴、かがんでスカートの中を覗こうとしたり、けらけら笑っている奴。
……わかるよ、俺も前世は男だし。このくらいの年齢って男の子つーかガキだから。風の魔法とか使えたなら一度はやってみたい悪ふざけ。
でも。
女子を泣かしてる時点で悪質だ。女子ほったらかしにしてる奴も同罪。許さねえぞ、俺は。テメーらの顔は覚えたからな?ゼッテー好きになんかなんねーぞ。後で吠え面かくな?
俺は渡り廊下の向こうの物陰でニヤニヤ笑っているクラスメイトを見つけた。名前は忘れたが風魔法使いなのは知っている。去年も風魔法を使ったスカートめくりやいろんな悪戯を俺たち女子に仕掛けてたサイテーのヤロウだ。
俺が奴に気付いたように奴も俺、ナタリーに気付いたんだろう。渡り廊下から風が吹き付ける。足を伝ってスカートの内側に。
「きゃあ!あっ!!」
俺は慌ててスカートの前後を押さえ──ようとして、抱き締めていた大事な大事なアル様の本を手離してしまった。
痛恨の極み。
俺が必死に伸ばした指先を掠めもせず落ちていくアル様(本だから)。床にはでも落ちはせず、アル様(本だから)はキャッチされた。俺、ナタリーよりもふた回りくらい大きな白い手に。
同時にパチッ、と音が鳴るとあれだけ荒れ狂っていたつむじ風は止んだ。魔法を魔法で打ち消したんだ、発動者を攻撃することもなく。それは魔法発動者の格の違い、絶対的な能力差を示してるということ。
俺に向けてアル様(本だから)が差し出される。見上げると俺を見下ろす艶やかな翡翠色の瞳に俺、ナタリーが映っていた。ぽかんと口を開けたちょっと間抜けなびっくり顔も可愛い俺。
「……アル様」そんな可愛いナタリーがうっかりこぼした呟きに、切れ長の瞳がぱちり、と瞬く。
アルディス・レティウス・ムスペルヘイム。
八カ国のひとつグランナディア王国の王族で『炎帝』の二つ名を持つムスペルヘイム公爵家の四男。魔法学園在学中にもかかわらず討伐や戦闘に参加している超級の魔導師。俺みたいなモブでも知ってるぞ。
お前、原作メインキャラだよな?こんなエピソードあったっけ?つーかお前、一学年上だろう。なんで二年生エリアに居るんだよ?
俺とナタリーが混乱しているのを当然無視して、アルディスは顔を上げた。絹糸みたいな白金髪がさらさらと制服の肩を滑る。
俺は、というかナタリーはアルディスの一挙一動に釘付けだ。
確かに見上げる横顔は美しい。肌はなめらかで白く、軍務に就いているというのに肌荒れや傷のひとつもない。翡翠色の瞳は意志の強さを示すように少しキツめだが縁取る睫毛は豊かで長く憂いを与える。形の良い鼻梁に薄い唇。
その唇が開いて言葉を紡ぐ様子さえ、ナタリーはうっとり見つめている。
このぶんだとキティの忠告は忘れたな。
「パル・ニック。学園内では指定されたエリア外での魔法発動は緊急時を除いて禁じられている。二年生が知らないではすまされない」
声変わり前の柔らかさも感じる声はひんやりと冷たく、大きく張り上げなくてもよく通った。パニック気味だった女子も、女子を冷やかして笑っていた男子もしんとなっていた。渡り廊下の向こうの犯人にも充分届いたようだ。
「お前だって魔法使っただろ‼俺だけ責めんのはっ」
「緊急時を除いて、と言った」
喚き立てる相手に彼は冷ややかに言い放った。
「目の前で女子生徒が貴様の魔法に窮している様を素通りして教務課まで魔法使用の許可を得に行くのが正解とでも?まぁ処罰というなら甘んじて受けるまでさ、そのくらいの覚悟は持った上での行動だからね」
「そんな、アルディス様が処罰なんて」
「私たちを助けてくださったのに」
「見てみぬふりや、囃し立ててた連中こそ処罰されるべきです」
女子生徒が次々に声を上げると今度は男子達が狼狽え出す。
当事者の、えっと何てったっけ?は赤い顔してアルディスを睨んでいた。
誰かが通報していたのか指導課の指導員が駆け付けるとパル・ニックを引きずって行き──一方アルディスは自ら指導員に申し出て、去って行った。
渡り廊下に残された生徒達は慰めたり言い合いをしたりしていたが一時限目開始まで後十分を報せる予鈴が鳴ると、一斉に教室に向かい始めた。
もちろん俺も。
しかし──
「どうしよう。(リアル)アル様にアル様(本だから)を返して貰えていない」
ナタリーの足取りは絞首台に向かう死刑囚のようだった。
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