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老人ホームのロビーで老人達が騒いでいる。
「ワシが書いた書き初めがないぞ。確かに、ここに貼っておいたのに」
元書家のゲン爺が叫んでいる。
「私の描いた七福神の絵もなくなってるわ」
元高校の美術教師、ミカ婆も叫ぶ。
「そう言えば俺の作った弥勒菩薩の木彫りの置物も見当たらないぞ」
手先が器用な元自動車整備士のヒロ爺も、ウロウロと辺りを探し回る。
「私まだ冬休みの宿題やってない。どうしよう。冬休みっていつまでだっけ?」
自分を小学生だと思っているユカ婆は、近くのソファーに腰掛けているトモ爺に尋ねる。
「はぁてな? 冬休み? まだまだ続くんじゃねぇの。それより僕はテレビドラマを見てるんだから。コマーシャルが入るまでは話しかけないでくれよ」
トモ爺はテレビの画面から視線を離さずに、そう言って少し声を荒げた。
「るっせぇ〜な。テメぇの声の方が、よっぽど、るっせぇんだよ!」
トモ爺の隣に腰掛けていたカメ爺は、トモ爺の脇腹を肘でド突いた。
「なにすんだよ。僕が何したってんだ。八つ当たりすんなら、僕に話しかけたユカ婆に当たりゃいいじゃねぇか」
そこへ若くて可愛い介護士のリカちゃんが登場する。
「皆さん、七草粥の準備が整いました。食堂へ移動して下さい」
皆、のろのろと食堂へ移動する。
「おや?!ワシの書き初めが、こんなところに貼ってあるぞ」
喜ぶゲン爺の隣で、ミカ婆も笑顔になる。
「あったぁ〜。七福神の絵。こんなところにあったのね」
「俺の弥勒菩薩もあった。良かった〜。びっくりしたぁ〜」
ヒロ爺も満足そうだ。
この3人の動揺と安心は、毎日、朝昼晩の3回繰り返される。
ロビーに集まり、必ず自分の作品がないと騒ぎ立て、食堂に移動しては安心するのである。
テレビ大好きなトモ爺とカメ爺の小突き合いも毎度毎度のこと。
「私のランドセル知らない? どこに置いたか思い出せないの。どうしよう」
ユカ婆はいつも自分の世界を彷徨っている。
老人ホームの職員たちは、そんな彼らに対してもセクハラ、パワハラ、モラハラに当たる言動を行わないよう細心の注意を払い、丁寧に対応している。
なぜなら、入所者の一人である元弁護士のタカ爺が常に厳しく睨みをきかせているためだ。
半年ほど前、ベテラン介護士のツネさんが、このタカ爺の証言のもとパワハラで訴えられ、有罪判決が下された。
それ以前にも、モラハラで2人、セクハラで3人の職員が、タカ爺に訴えられ有罪になっている。
「私は一人の入所者として生活していて、理不尽だと思ったことを解決しているだけ」
タカ爺は裁判のたびに、TVカメラの前で、そう語った。それでも、こうも立て続けに職員が訴えられ有罪判決が出てしまうとマスコミは放っておかない。
職員の間には、ある事ない事、いろいろな噂が蔓延していた。
天井の隙間という隙間に監視カメラが仕掛けられているとか、すべての入所者のベッドの下に盗聴器が仕組まれているとか。
職員の中に、タカ爺に告げ口するスパイがいるとか、タカ爺は労働基準監督署の回し者だとか。
「おい、リカちゃん。君ら職員は正月休みはあるのかね?」
「ありますよ。私は年末年始3日間、休ませていただきました」
「俺の正月休みは、いつ貰えるんだ?たまには家に帰って、湯豆腐に熱燗でキューッとやりたいもんだ」
「そうですよね。寒い日は湯豆腐に熱燗・・良いですね〜」
若いリカちゃんは、モラハラ、パワハラに気をつけて頑張って返事を考える。
「だからさ。俺の正月休みは、いつ貰えるんだって聞いてんだろうが・・・」
聞き分けのない認知度の低い高齢者の相手は本当に難しい。
「いつでしょう。課長に聞いて参ります」
リカちゃんは、そう言い逃れて事務室へと消えていく。多分30分もすれば、当事者自身この話題は忘れてしまう。
ここで生活する高齢者は皆、幸せだ。
誰もが『自分が一番であたりまえ』なのだ。
「西さん。今日はどんな小説書いたんですか?見せて下さいよ。私、西さんの小説読むの楽しみにしてるんです。本当ですよ。お世辞じゃありませんから」
俺のベッドメイキングをしながら、介護士のリカちゃんは、そう言って爽やかに微笑んでくれる。
「あははは。お世辞でも嬉しいよ」
僕は棚から大学ノートを引っ張り出して、リカちゃんに広げて見せるのだった。
了
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