そこから、動くな

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 売人として生計を立てていた俺の生活はある日、何の前触れもなく唐突に終わりを告げた。  俺が担当していた地区は都内でも屈指の高級住宅街で、犬を抱き上げたサングラス姿のババア相手にはドラッグを、玉の輿になった途端望んでいたはずの生活に飽き始めた女には草を売り捌いていた。権力を持つ人物やその関係者も多い土地柄だった為、仕事は安定していたし需要は尽きないしで、まさか無くなるなんて夢にも思ってもなかった。つい先日、その週の稼ぎを胴元へ渡すと多めのバックを返された。 「なんか多くないっすか?」 「あれ、山ちゃん聞いてない?」 「なんも聞いてないっすけど。何かあったんですか?」 「うちの組さ、今さらだけどクスリから手ぇ引くことになったんだわ。だから、今回で最後ってことで」 「ちょっと、突然過ぎません?」 「うちにもさぁ、言いたかねぇけど色々あんだよ。これからも山ちゃんがクスリでやって行きたいなら別に構わないけど、見つけたら殺すよ。いいね?」  邪魔臭いとばかりに俺は事務所を追い出され、持ちつ持たれつした数年の信頼関係は一瞬のうちに吹っ飛んだ。クスリ関係の仕事は今後素人同然の華僑の連中が請け負うことになり、日本人でかつ形式上カタギの俺は用済みとなった。組と関係なくとも使用者責任が及ぶからナンタラと、ヤクザの癖に弁護士みたいな屁理屈をベラベラダラダラ垂れていた。畜生。今さらどうやって普通の商売で食って行けと言うんだろう。   それからしばらく、貯金を切り崩しながらハローワークへ通ってみたり、経験がなくとも勤まりそうな土木関係の仕事に単発で拾われることもあった。   しかし、根が飽き性で根気も無い俺はどの現場も長続きはせず、安定した収入を得る機会に恵まれることが無かった。日に日に貯金が減って行くのは分かっていても、一日八時間も拘束されて一万円にしかならないオモテの仕事をすることに今さら身体が納得する訳がなかった。結局、オモテの仕事を探す傍らで裏の仕事も探すようになってしまった。  仕事も無く部屋でごろ寝しながらスマホをいじっていると、裏バイト掲示板で見つけたとんでもなく好条件な仕事に俺はすぐに食いついた。なんと、日給十万。実働午前九時から夕方四時まで、出張にはなりそうだが期間は一週間と短い。それに仕事内容は「誰でも出来る交通量調査」とある。  この手のサイトで見つかる求人の大半は犯罪絡みだ。高級車の窃盗、特殊詐欺グループの尻尾役、偽造クレカを使っての買物、口座売買、スマホの代理契約、他には怪しげで中身のないビジネスセミナーの手伝いなんかもある。俺はクスリや草の専門にしていたから、畑は違えどやっていける自信は十分にあった。ただ、損切りされるのは勘弁だった。  日給十万の交通量調査。何かしらの犯罪には関わっていそうな事は承知の上で応募フォームを入力し、電話の折り返しを待つ。すぐに掛かって来た電話を取ると、相手はずいぶんと気の抜けた喋り方をするオッサンだった。
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