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「でもやっぱり、悪いことは出来ないよね。何も気づいていないあなたの心を騙してオレに向けさせようと思ったけど、気づいちゃったんだね。自分の心に」
まるで自分が悪者のように言うその子だけど、そんなことはない。僕はその子がとても優しい子だと知っている。
「騙してなんてない。本当のことを教えてくれてただけ。それに、君はすごく優しくていい子だよ。僕は君に会えて良かった」
それは本当の僕の気持ち。
だから自分を悪く言わないで欲しい。
「さっさと行けよ、好きな人のところにさ。で、また別れたら戻ってきていいよ」
そんな僕にそう乱暴に言うけれど、その子の顔はすごく優しかった。だから僕はもう一度『ありがとう』と言ってその子の家を出た。
途中深夜スーパーに寄って必要なものを買い、また彼の家に行く。
起きてしまっただろうか?
そう思いながら開けたドアの向こうは相変わらず静まり返っている。そこにそっと入り、自分の荷物をとりあえず自室の前に置いてキッチンへ行くと、買ってきたものを冷蔵庫にしまってまた自室に向かう。そこに荷物を入れて、僕は部屋の片付けを始めた。
まだ荷物は解かない。だって彼の本意はまだ分からないから。だから戻ってきた僕を見て怒ってまた追い出されるかもしれない。その時にすぐに出て行けるように、僕は荷物をそのままにしておいた。
ゴミ袋を出し、部屋に溜まったゴミを分別しながら片付けていく。
本当に飲み物とお酒と、ゼリー飲料のゴミしかない。その中でも驚くのはお酒の缶の多さだ。僕がいた時はほとんど家では飲まなくて、たまにある飲み会でもあまり飲んでいなかったのに、下手したら飲み物の容器よりも多いかもしれない。なのに食べ物のゴミは本当に一切なかった。それがまた身体に悪くて心配になる。
ゴミの後に彼の洋服も片付け、つぎにベッドメイクをしようと上掛けをめくったその時、ベッドの中にあるものに気づいた。
それは彼のと色違いの僕の部屋着。
なぜここに?
あの日着ていた部屋着は、確か洗面所の洗濯カゴに入れてあったはず。なのになぜここにあるのか。
彼が洗濯した?
でもそれならベッドの中にあるのはおかしい。
僕はそれを手に取る。するとそこから彼の匂いがした。一瞬サイズが変わって僕のを着ていたのかと思ったけど、ベッドの上にはちゃんと脱ぎ捨ててあった彼の部屋着もあった。
さっき彼の部屋着を抱きしめた時、そこから彼の匂いがした。だったら僕の部屋着からは僕の匂いがしたはずで、それがベッドの中にあったということは、彼の匂いが付くほど彼はこれを抱きしめて・・・。
胸がぎゅっとなる。
本当のことは分からない。
全く違っていて、やっぱりここを追い出されるかもしれない。
だけど、だけど・・・。
彼を本当の意味で愛していると自覚した思いが、心の中から溢れ出す。
違っててもいい。
この思いを知る事が出来ただけで十分だ。
僕はベッドメイクを終え、キッチンに向かった。
出来るだけ常備菜を作っておこう。もしも追い出されてもしばらくは食べられるように、僕は彼のために料理をし、冷蔵庫の空っぽのタッパーに詰めていく。そしてそれがいっぱいになると、今度は朝食を作り始めた。そろそろ時間もいい頃だ。彼も起きてくるだろう。
そう思っていたら、彼の部屋からすごい音がした。その音の大きさに心配になっていると、ドアが勢いよく開き、中から慌てた様子の彼が出てきた。
「おはよう」
昨夜寝かせた時のままの格好で、信じられないものを見るようにこちらを見る彼に、僕は2週間前まで毎日行われていた朝の挨拶をして、いつもの目覚めのコーヒーをテーブルの彼の席に置いた。
それを半ば呆然としながら見ていた彼はそのまま席に着くと、コーヒーを見てカップを両手で包み込む。
それを見て僕が出来た朝食をテーブルに並べていくと、彼はまた僕を見上げた。そしてまたコーヒーを見る。
寝ぼけてるのかな。
そう思っていると、彼がぼそりと呟いた。
「せっかく逃がしてやったのに・・・」
その声は本当に小さくて、まるで独り言のようだったので、僕は聞こえなかった振りをした。そしてそのまま朝食を自分の分も置くと、僕も席に着いた。そんな僕を見ながら、彼がコーヒーを手に取った。
「・・・自分から戻ってきたんだから、覚悟しろよ。俺は重いからな」
一口飲んでそう言うと、僕が作ったごはんを食べ始めた。だから僕も箸を持って答えた。
「大丈夫。僕もきっと負けないくらい重いから」
そう言って僕もごはんを食べ始めた。
そうして僕達の日常は、何事もなかったかのように再び始まった。そしてそれはきっと、ずっとこの先も続いていく。
了
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