王城では

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王城では

「お待ちください殿下!」 正午も過ぎた王宮の廊下に切羽詰まった側近の声が響く。 ハルナイトーーーアルディア王国の第一王子は、側近の言葉をさも煩そうに一瞥しただけで、足の進みを止める事はなかった。 代わりに床を鳴らす靴音が、激しく荒々しいものになった。 子供の癇癪じみた行いに、側近のトリスタンは溜息を飲み込み、辛抱強く言い募る。 「殿下、何故あのような事を!ガレール公爵令嬢がやったとの証拠は何一つありません。子爵令嬢を毒殺しようとしたなどと、どのようなーーーッ」 トリスタンの言葉を遮るように、カツンっと一際大きく鳴らした靴音の後、振り返った王子の目は血走っていた。 血気に走った行動から、興奮冷めやらぬ状態なのか、一種の狂気の様を感じる。 「何度言わせるッ!証拠ならばいくらでもあるだろう!」 「ですから、それは調べられ、裏取りされたものでしょうか?細い齟齬や矛盾がいくつも御座います。それを殿下の一存で、王子の持つ権限を超えた沙汰を下されたのです。そうーーー法を蔑ろにした」 トリスタンは腹に力を込めた。 次に掛かる言葉によっては、自らも王宮を辞さねばならぬだろう。 「フィリアナが嘘をついているとでも言うのか、お前は。呆れた奴だ」 トリスタンは耐えた。ひたすら。 拳を握り締め、奥歯を噛み締め、爪の当たる手の平から幾度血を流したか。 ーーーーーーもういいだろう。 「ーーーーーーはい」 言った瞬間、頬に強い衝撃が走った。それに気が付いたのは、身体が冷たい大理石の廊下に投げ出された時だ。 立ち上がり、飛んだ眼鏡を拾うとヒビが入ってる。 「もういい。下がれ、側近の任を解く。二度と俺の前に現れるな」 親衛隊と呼ばれる非正規の集団を引き連れて遠ざかる後ろ姿を見ても、トリスタンにはもう何の感情も浮かばなかった。 ただ、あの方がいらしたらと。 「ーーー何処にいってしまわれたのですか。アレク様。アレクスト第二王子殿下」 ハルナイトが荒く自室の扉を開けると、激しい音が自身の鼓膜を叩いた。 舌打ちすると、勢いのまま、ソファーに腰を落とす。 尊大な姿勢で侍従に酒を言い付ける。 その高圧的で、どこかの醜悪な酒場の親父のような所作は、王族としての影も見当たらない。 先日成人を迎えたばかりのハルナイトは用意されたグラスを使わずに、直接便から酒を呷る。 それは酒精の弱い果実酒で、炭酸水で割ってある婦人の好む飲み物だった。 ーーーガシャンッ 盆上のグラスを叩き割る。 自分を馬鹿にしているのかと思う。 果実酒を炭酸水で割るのは、婦人達が好む飲み物だ。 繊細にカットされたグラスを持ったフィリアナを想う。 今日は級友を集めて舞姫達との親睦会を開いた。 あの毒婦ならば、きっと良からぬ事を企み、フィリアナに害を齎そうとするだろう事は予想出来た。 フィリアナを守りつつ、決定的な罪状を突き付ければ、いかな公爵家といえども口を噤むしかあるまい。神殿も。 ーーーそう舞台を整えた。 美しく着飾ったフィリアナを伴い、会場ヘ行ってみれば、最新流行のドレスを身を包んだ平民の娘達。 レイティティアと談笑しながら、洗練された淑女の所作を披露していて、少しレイティティアに所作を直されながらも、嬉しそうに微笑んでいた。 ふと、エスコートをしていたフィリアナの様子がーーー顔色が悪くなった。 聞けば、流行遅れのドレスで恥ずかしいと。 平民はドレスなど無いだろうと、王宮の控室にあるドレスはどれも流行から外れた定番の型しか無いだろうからと、自分は控えたのだと。 見渡せば級友達も貴族の舞姫達も、皆流行りのドレスなのだと言う。 ーーー私と一緒にいたら、殿下も笑いものになってしまいます•••でも、私は大丈夫ですから。 儚げに微笑んで、側から離れようとするフィリアナの肩を引き寄せ、安心させるよう、笑った。何も心配は要らないと。   親睦会が始まるとハルナイトは早速レイティティアに問いただした。 平民に貸し与えた王宮にあるドレスとは違うようだが、と。 『王宮にあるドレスはどれもサイズが大きめですから。舞姫達は皆さんほっそりした方が多く。サイズを直すにも時間がありませんから、僭越ながら、わたくしが用意させて頂きました』 フィリアナを貶める為に平民を利用したのか。 相変わらず底意地の悪い女だ。 ハルナイトには分かっている。 アレはさも優しげな微笑の仮面を張り付けて、その下でほくそ笑む邪悪な毒婦。 他の令嬢は自分で用意したと言うが、フィリアナの家ーーーシャルーマ子爵家の財政情況が良くない事ぐらい知っていただろうに! やはりフィリアナがドレスは要らない、と言っても用意すべきだったのだ。 怒りに打ち震えるが何とか堪え、冷静さを失わぬ様に、頭を冷やさねば。 喉の乾きを覚えれば、レイティティアが侍従ヘ視線をやった。 心得た侍従がいくつかのグラスを銀の盆に乗せて持ってくる。 赤いチェリーが入ってるのが林檎の果汁を炭酸で割った物、レモンが白葡萄だ。 昼食会などでは定番の飲み物だが、先日、成人を迎えたハルナイトは物足りない気がした。 ハルナイトは白葡萄をフィリアナにも選んだが、フィリアナはレモンが苦手だったと思い出し、盆に一つだけだった林檎を選んだ。 冷たい水分が喉を下り、葡萄の香りに幾分気を落ち着かせる。 この時、隣で林檎の炭酸水を飲んだフィリアナがーーー倒れた。苦しげに喉を抑えて。 よもや毒か!? 王族たる自分が出るのだ、事前のチェックは厳しい。公爵令嬢とはいえ、時間が無い中での細工は難しい。 ならばーーーどうやって!? フィリアナのグラスはハルナイトが取った。白葡萄を選びかけてーーーそうかそう言う事かと思い至った。 フィリアナがレモンを苦手な事は周知の事実。態々侍従に目配せしていたのは用意した盆を持ってくるように指示した為だろう。 レモンの入った白葡萄を避ければ、残るのは一つしか無かった林檎の炭酸水だけだ。 レイティティア達は既にグラスを持っていた。選ばなくても不自然ではない。 何かするなら、お得意の自分に従う聖霊を使って事を起こすだろうと、対聖霊の魔導具を用意し、フィリアナに張り付いていたが、毒で害するとは!! 急いでフィリアナを治癒師に託すと、ハルナイトはレイティティアを断罪した。 言い訳ばかりで良心の欠片も無いのか、澄ました顔がハルナイトの怒りを余計に煽る。 親衛隊を呼び、レイティティアを拘束させると、婚約破棄と国外追放をハルナイトは高らかに言い渡したのだ。 魔導師達に用意させていた馬車は、なんとか間に合った。 レイティティアに聖霊を呼ばせぬ為に死者が眠る為の柩も用意した。 柩には聖霊が近寄れない呪いが施されるのが一般的だからだ。 聖霊避けをするのは理由があるのだが、ハルナイトにとっては、興味が無いし、知らなくても構わない事だった。 騎士団の飛竜馬は黙って借りたが、無事に返せば問題は無かろう。 フィリアナは軽症ですんだ。 口にした量が極僅かだったのが幸いして、少し休めば問題ないと治癒師が言っていた。 ハルナイトはもう酒を飲む気が失せ、下げるように侍従を呼ぶ。 が、いつまで立っても侍従は動かない。痺れを切らしたハルナイトが一喝しようと顔を上げた所で、見知ったトパーズの瞳が責めるようにハルナイトを見ていた。 「お前を呼んだ覚えは無いが、アルブレフト」 責めるように見えたトパーズの瞳はハルナイトの心情を投影しただけかも知れなかった。 何故なら、アルブレフトのその瞳には一切の感情が消え、ただハルナイトを見ていただけだから。 ーーー嫌な眼をする。レイティティアも、トリスタンも、このアルブレフトもだ。 同じ瞳でハルナイトをガラス玉のような瞳に写しているだけだ。 「殿下、何故ーーー」 「お前も言うのか!?レイティティアには相応しい罰だろう」 アルブレフトは力無く首を振ると、トリスタンとは全く違う事を聞いてきた。 「殿下、飛竜馬を何故、無断で連れて行かれたのですか。飛竜馬はとても貴重で、扱いが難しい生き物です。特に若い調教の済んでいない馬はーーー」 「無事に戻したからいいだろう!煩いぞ!騎士団の所有とはいえ、王家の物でもあるだろう!それを俺が使って何が悪い!?お前もーーーもういい、二度とその顔を見せるな」 激情に任せて酒瓶を投げつけるが、アルブレフトの顔色一つ変えることは出来なかった。 アルブレフトは黙って頭を下げるとハルナイトの前から静かに出ていった。 どうしてこうも、自分の周りには使えない奴らが多いのか。 元々第二王子の側近だったからなのか。 あのーーーーーーアレクストの。 暫し眼を瞑る。 優しいフィリアナは側近であるあの二人を気に掛けていた。 ーーー気に入らない。 学園でも、王宮でも。観劇やお茶会等にも声を掛けてもらっていたくせに、いつも素っ気なく断るのだ。 レイティティアには見せる笑顔も、そこには無かった。たかが廷臣だろうに! 苛立ちが募った所で控えめなノックの音に我にかえる。 短いハルナイトの応えに、侍従が恭しく礼を取る。 そのまま厳かに伝えられたのは、ハルナイトが待っていたものだった。 神々の時間は人の感覚とはズレる事がある。もう少し待たされると思っていたが、嬉しい誤算だ。 「花神フロース様が一刻後ーーー東の君様を伴い御降臨なされます」 ##### 読んでいただきありがとうございました! 本棚、☆応援もとても嬉しいです(*´꒳`*)
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