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泣き虫の王弟殿下
ラインハルトの背中にしがみつき、ひたすら返してくださいィ!と叫ぶビビリ(仮)さんは、『とらない、預かるだけだ』『少し落ち着け』『どうでも良いが、背中から降りてくれないか?』と語りかけるラインハルトを無視して、遂には嘔吐きながら、同じ事を繰り返す。
カリンの気配がするけど、この惨状を見て、姿を消して様子を伺っている。
転移で追ってきたはいいけど、この状態でいきなりカリンが現れたら、ビビリ(仮)さんが余計に混乱しかねないからだろう。
あ、ビビリ(仮)さんが、ラインハルトの背中で鼻水拭いた。
プスって笑う気配。カリン、後で扱かれても知らないよ?
ラインハルトの輝く前髪の隙間から、その秀麗な額に青筋がたったのが見えたけど、何も言わないのは、マフィア真っ青の威圧で脅したのを自覚しているからだろう。
かなり強引で、容赦無く、いきなりの取立てだ。悪徳金融も裸足で逃げ出す迫力があったと思う。
でもビビリ(仮)さんーーーーもうビビリさんでいいやーーーーも、あの転移の一瞬でラインハルトにしがみついて、来てしまうなんて根性あるなぁ。
背中でわんわん泣かれて、困惑で弱りきったラインハルトを見れば、膝を着いて何とかビビリさんを降ろそうとしている。
ーーーーあのラインハルトに膝を着かせた!!
ビビリさん、何気に凄い人なのかも知れない。
でも、落ち着いてもらわないと話も出来ないし、柔らかい女性の声ならビビリさんに届くかも知れないと、ラインハルトとビビリさんの間に入る事にした。
「あのーーーー」
私が思い切って声を出した所で、部屋の空気が揺れた。
くゆるーーーーこの優しい香はロウだ。次いで、チュウ吉先生を肩に乗せたディオンストムも現われる。
この二人は衣に焚きしめる香の趣が似ているのか、甘さの中にも清涼感があって、私は好きだ。
互いに気を使っているのか、香りが喧嘩しないもの良いよね。
ロウの香りは伽羅が僅かに混じっている。優美でどこか懐古的。
ディオンストムも多分ベースは一緒。でも妖艶さが出ていて、夜空を思い浮かべる。
その優しく流れる薫りに、ビビリさんの気が逸れた。泣き叫ぶ声がピタリと止む。
「一体何事ですか、ラインハルト?」
ロウはいつも穏やかに話すが、今は殊更、声調が優しく緩やかだ。
一目見て現状を把握したんだろう。
ディオンストムはラインハルトの手の平に乗っている黄金の姫林檎をチラリと一瞥して、大きく頷く。
ゆったりとした衣がしなやかに波打つと同時に、ビビリさんに歩み寄る。
そして、膝を着いてビビリさんと視線を合わせると、大神官スマイルを披露した。
場に合わせてか、チュウ吉先生もキュルルンと愛らしさの皮を被っている。
「お久しぶりですね。わたくしを覚えていらっしゃいますか?シャーク殿下」
デンカ、電化••••••殿下!?
ピーピー泣いていたビビリさんがシャーク殿下!?
「ーーーーは、い。大神官様」
ビビリさんは、ぼうっとディオンストムを見ながら問われるままに応えると、漸くラインハルトの背中から剥がれた。
ディオンストムに背を擦られ、しゃくりを治めたビビリさんは、私が気にしていた、ムーダンの国王ラウゼン二世の末の弟、シャーク殿下その人だった。
一先ず黄金の姫林檎はディオンストムが預かる形で落ち着き、モリヤにお茶を淹れてもらう。
私はカリンが買って来てくれた冷えた果実水だ。ライチの味がして、美味しい。
コップを傾けながら、シャーク殿下をコソッと盗み見る。
なんというか、普通だ。
今年で二十九歳になるという青年は、第一印象の、うだつの上がらない万年助教授っぽい風貌で、観覧席に居た美形キラキラしいサジル王子とは似たろころが少しもない。
王族らしくもなくて、平凡に平凡を重ねて平凡で包んだような、所謂モブ、村人その③、辺りでいそうなキャラだ。セリフは『そーだそーだ!』だけの。
焦げ茶の髪に焦げ茶の瞳。
派手な印象は無くて、日本の記憶がある私としては、馴染みの深い、落ち着く色合いだ。というか、安心する。
周りがキラキラ通り越して、燦然と輝いちゃってるから余計に。
「大神官様、取り乱しまして、申し訳ありません。情けない所をお見せしました」
シャーク殿下は、少し猫背気味の背中を更に丸めてディオンストムに頭を下げる。
「構いませんよ、聞けば、うちの者も失礼を働いたのでしょう。それから、わたくしはもう、神官ではありません。ただの冒険者です。改めて、謝罪を。わたくしの冒険者パーティーの者が無礼を働きました事、申し訳無く、ご容赦下さいませ」
大神官ではない、の部分で、シャーク殿下の顔が歪む。力無く首を振って、謝罪の不要を示す
事の顛末は聞いているのだろう。甥のサジル王子の罪を。
キツそうに伏せた睫毛に滲む涙が追加されると思いきや、グッと唇を噛んで耐えている。
そして、意外と長かった睫毛を、つと上げてディオストムを揺るぎ無く、真っ直ぐに見た。
こうして見ると、シャーク殿下の平凡だと思った面立ちが、各パーツごと品良く並んでいるのが分かる。
美貌を褒めそやす綺麗さではないけど、清涼感、透明感のある水のような綺麗さがある。
シャーク殿下は一度大きく深呼吸をする。
「謝罪をしなくてはいけないのはムーダンです。神殿の情報網ならば、聞き及んでおりましょうーーーー僕が追われる身である事は」
震える手を抑えるような形で、握りこぶしを作って膝に押し当てて、それでもシャーク殿下は毅然と顔を上げた。
「今は、まだ。僕は、貴方に謝罪をする事はできません。今の僕は何の力もない、何も出来ない人間です。それでも。何も出来ないからと言って、僕が動かないでいる事はーーーー逃げる事は••••僕は、王族として、許されない」
今謝ってもディオンストムは受け入れるだろうけど、でもそれでは駄目なのだと言う。今許されてはいけないと。
いかにも気弱そうな、腫れた瞼の奥の瞳が決然と真っ直ぐにディオンストムを見ていたから、私はちょこっとだけシャーク殿下の印象を改めた。
「僕は、サジルに会って、盗まれた天秤を取り戻さなければ。そして、天秤ーーーー神器を神殿へ、神々へとお返しします」
天秤の話は良くわからないけど、頭脳派に何か思い当る節があるのか、「盗まれた」の言葉に眉を動かしただけで、訳知り顔なので、後で解説を求めようと思う。
ん?今、テーブルの上に鎮座している姫林檎が一瞬動いた気がしたんだけど•••••
ディオンストムの肩から降りたチュウ吉先生が、林檎とにらめっこをしている。
「そうですかーーーー。シャーク殿下は今、お一人なのですね?」
確かめる様に、そう言いながら、ロウが恭しく林檎を摘むと、ディオンストムに渡す。
齧ってはいけませんよ、チュウ吉先生?って、言いながら笑っているけど。
ロウ、流石に食いしん坊の先生も、金属っぽい金色の林檎は齧らないと思う。
「はい。僕の他には誰も。逃げて、宰相のムスリに連絡を取れと。天秤が無いとーーーーそして、サジルの名を。兄が亡くなる際に言い残してくれましたが、あの時は無我夢中で。気が付いたら、神器、天秤の錘である姫林檎と一緒にこの街まで逃げていました」
この人って強運の持ち主なのかも。
今まで無事に、忍んでいられたんだから。
しかも身奇麗にしている所からきちんと宿に泊まっていたっぽいし。
それともーーーー自信が無いだけで、実は出来る子なのかも。
そんな殿下が不意に私を見た。
「不思議です。最初、神殿のローブを見かけた時は、逃げる事しか頭に無くて。縋って、神に懺悔して逃げる事を許してもらいたくて仕方がありませんでした。貴女は月光母神様の絵姿を思い起こさせます。末姫の女神様ーーーーメイフィア様が顕現なされたら、貴女の様なお姿をしていらっしゃるのではと。錘の姫林檎も、奪われても良かったのです。もう関係ないと。でも、貴女の瞳を見たら。苦しんでいた貴女には申し訳無いことをしましたが、やっぱり駄目だと。必死に彼の背に捕まりました。そうして此処へ。やはり女神メイフィア様のお導きだったのでしょう。ディオンストム様を始め、皆様にお会いして、不思議と心が決まりました」
イヤイヤ多分それは、貴方の勇気が目を覚ましただけだと思うのですが。
何と言うか、お尻に火が着いたのでは?
ーーーー導いたと言われましても。
あの、すみません、その女神ポンコツなので、ご期待にはそえていないかと。
私は内心でそっと呟いた。
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読んでいただきありがとうございました(*´꒳`*)
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