【第9話】

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 腕時計へ目をやる。  午後6時半を指していた。  かれこれ、もう7時間ほど表参道をうろうろしていることになる。  途中、ランチと称してカフェで食べたクロワッサンサンドも、ほとんど味がしなかった。  味わっている余裕などあるわけがない。 「大丈夫ですか、サクラさん?」  店の外で座り込んでいる私を気遣い、滝沢さんが声をかけに来てくれた。 「ありがとうございます。ちょっと疲れちゃって……」 「ですよね。今、尊流さんがお会計しているので、もう少し待っていてください。これで買い物は終わりになりますので」 「本当ですかっ?」 「ええ」 「やったぁー!」思わず立ち上がり、ガッツポーズまで繰り出してしまった。 「ふふ、ご苦労様でした」滝沢さんが微笑みながら、優しく労いの言葉をくれる。  そうこうしていると、霧島尊流が荷物を持って店から出てきた。  荷物を滝沢さんに渡しながら、霧島尊流が言う。 「よし、それじゃいくか。――サクラ、晩飯は何がいい? 何でもいいぞ」  不意の思わぬ問いかけに、一瞬呆けてしまった。 「わ、私が選んでいいの?」 「ああ」 「自由に?」 「そうだ」 「私好みの汚い町中華でも?」 「しつこいぞ! 何でもいいと言ってるだろう! とりあえず車に乗れ。何を食べるかは、車の中でじっくり考えろ」  そう言い捨て、スタスタと車の方へ歩いていってしまった。  怒らせちゃったかな……。  すると、滝沢さんがクスリと笑った。 「どうしました、滝沢さん?」 「ふふ。尊流さん、今日一日サクラさんを連れまわしたことを悪いと思っているんですよ。サクラさんにとっては、居心地がよくなかったでしょ?」 「そう、ですね……。正直、合わない街だし合わない店ばっかりだったし……」 「ですよね。当然、尊流さんだって気付いてます。だから、『晩御飯は何でも好きな店を選んでいい』っていうのは、フォローのつもりなんですよ。尊流さん、ああ見えて結構『気にしい』なんで」 「あの霧島尊流が、気にしい?」 「ええ。意外と人情味のある人なんです」  傍若無人、傲岸不遜といったイメージがぴったりだと思っていたので、驚いた。  でも、確かに思い当たる節はある。  言動こそ厳しいし、偉そうに聞こえるものの、私が仕事を辞める時の配慮や妹の扱いなどを見ていると、心遣いが垣間見える。  超大金持ちで不愛想。でも実は優しい一面もある。だけどめちゃプライド高そうで鼻につく。とはいえ周囲の人からは好かれているイメージ。  実際、滝沢さんも七咲君も、霧島尊流のことを悪く言っているのを聞いたことがない。滝沢さんは執事だから当然かもしれないけど、それにしたって嫌っているならわざわざ褒めるようなこともしないはず。  霧島尊流。本当は、どんな人なんだろう。  素の霧島尊流は、日々何を考えながら生きているのだろう。  どういう生い立ちを経て、今の彼が出来上がったのだろう。  無性に、そんなことが気になってきた。  ぶっちゃけ、整っていることは認めるけどあまり好みの顔ではない。オレ様系の顔は好きになれないのだ。  そして出会い方もわりと最悪だった。  そんな彼のことを意識する瞬間がくるとは、夢にも思わなかった。  惹かれる、っていうのとは少し違うと思うけど、不覚にも彼のことをもっと知りたいと思ってしまった。  ……でも、向こうは私に全然興味ないんだっけ。  さっき、行きの車内ではっきり宣言されたもんね。  うまくいかないな。
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