魅惑の箱

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俺は慌てて、下に落ちたかたまりに手を伸ばした。 太り気味の体にもさもさしたトラ毛、先の曲がった鉤しっぽ…… 「タマ、か……?」  ――ふにぃぃ 聞き慣れた間延び声に、思わずへたへたと膝の力が抜ける。 どうやら連れ去りの危機に直面したヤツは、どうにかして本来の姿に戻ったらしい。恨めしげに見上げる顔はひくひくと引きつっていたが、特に怪我はなさそうだった。 「よかった、タマ……無事でよかった……!」 そこが満員のホームであることも忘れ、その体をぎゅっと抱きしめる。久々の毛並みにもふりと顔を埋めて思い切り吸い込むと、ほんのり甘いメロンの香りがした。 「ちょっとお客さん!困りますよ、車内に動物を持ち込んじゃ!」 感動の再会も束の間、目ざとく騒ぎを発見した駅員がすっ飛んでくる。 「あ、いやその……車内でキャリーケースを落っことして、壊れちゃったものだから」 「キャリーケース?お仕事に動物連れてったんですか?壊れたケースはどこに?」 しつこく食い下がる駅員を何とか言いくるめて、ほうほうの態で改札を出た。だがこのなりではタクシーにも乗れない。 「まあいいか。とりあえず無事に戻ってきてくれたんだからな」 それにしても高級なメロンが入ったものと信じて抱えていた箱が、突如生きた猫に変化(へんげ)したのだ。盗んだ中年男もさぞ肝を潰したことだろう。その時の光景を思い浮かべると、つい笑いが込み上げてくる。 久方ぶりに猫の姿に戻ったヤツを片手に抱え、長くご無沙汰だったもふもふ感を満喫しながら、俺たちは月の明るい夜道を我が家に向けて歩いて行った。 それ以来、ヤツが箱化することは二度となかった。それどころか、箱を見せても見向きすらしない。あわや連れ去りの苦い体験が、よほど懲りたのだろう。 「おい。今から仕事するけど、邪魔すんなよ」 俺は足元にまとわりつくヤツに向かって声をかけると、パソコンの前に座った。ヤツはそれがどうした、とばかりに机の上に飛び乗ると、前足をきゅっと胸の下に織り込んでもこもこと丸まった。見事なまでに完璧な香箱座りだ。 「そうそう、そっちの箱にしておけよ」  こんもりと丸まった背中を撫でると、こっちの言葉を理解しているのかいないのか、親愛なる我が相棒は大きな欠伸をひとつ落とすと、うとうとと心地良さそうに夢の世界へと入っていった。
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