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蜩(ひぐらし)(1)
——妙だな。
男の勘はよく当たった。
◇
童の時分によく遊んでくれた長屋の娘が斬られて死んだときも、好々爺を演じる大家の仕業だとすぐにわかったし、病が流行ったときは井戸を真っ先に調べた。すぐに藪医者が袋叩きにされた。藪医者が殺した妻の骸が井戸から出たからだった。
藪どころか、自分が元凶のくせに高値で効き目のない牛の糞を混ぜた薬を売り捌く糞野郎だった。『悪薬、鼻に臭し』という言葉がしばらく流行った。
大家の爺も糞医者もたんまり金子を溜め込んでいたのでばら撒いてやった。金子の隠し場所など考えなくてもすぐにわかった。勘だけで面白いように銭が見つかった。
それが五つの時だ。
男にとって泥棒は天職だった。
無一文で打首になった下衆どもも、今頃あの世じゃ閻魔様にこっぴどくやられていることだろう。よくいうじゃねぇか。
『地獄の沙汰も金次第』ってな。
◇
やはり妙だった。
簡単すぎた。
この町の顔役だなんて、ふんぞり返ってるだけあって、蔵には金銀財宝、古今東西の奇品、珍品が所狭しと溜め込まれていた。
十分すぎる成果だった。
あとはずらかるだけ。
引き側を見誤りお縄についた同業者は数えきれない。にもかかわらず、男の勘が告げていた。蔵の見張りが手薄すぎる。
——この屋敷にまだ何かある。
なにかに導かれるように屋敷に入ると、すぐにわかった。見張りどもが雁首揃えて、その場に集中していた。屋根裏を伝い、たどり着いた場所は風呂場だ。こんなに広い風呂場ははじめて見た。
光だ。
湯気の中に浮かぶ透き通る光だった。
眩しいのに目を背けられない。
おどろくことに湯よりも透き通ったそれは、それ自体が光を放っているようにも思えた。
——美しい。
声が出た。
まばゆき光。それは"女"だった。
財宝、財産一切悉く、投げうっても構わない。人生が、己が狂うとて厭わない。蔵で盗んだ金銀財宝の全てが、がらくたのように感じてならない。
——欲しい。
そう思った。——この女が欲しい。
これまでの人生、いつ死んでも良かった。その日が楽しければそれでよかった。盗んだものはすべてばら撒いた。何かを残すなんて考えたこともなかった。
その日暮らしの泥棒「蜩」
彼に盗めないものなどなかった。心の底から何かを欲したのはそれがはじめてのことだった。
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