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金槌(1)
——鼓動、一閃。
手元の白刃に遅れて、遠くの空が瞬いた。
浪人が一瞥をくれると、汚泥にまみれ蟾蜍じみた動きで、男が地を這っている。北の都を恐怖に陥れた、女や童ばかり四十九人も手にかけた外道だ。
必死に逃げる外道の腰あたりを雪駄で踏み、柄を逆手に鋒で背をひと息に突いた。頬になにかがはねる。酷くぬるい穢れた男の血だった。男は体をくねらせ、呻いたのち、すぐに動かなくなった。
空が戦慄き、爆ぜる雷鳴が地を割るようだった。
ふたたび、空が瞬いた。
今宵の空はずいぶん機嫌が悪いと見えた。
刀を構える。目を閉じる。呼吸を整え、目をひらく。左手で握った柄に右手を添える。
耳鳴り。唐突に視界が白む。
目蓋が朱色に染まる。紅く、まばゆく
静寂。
刹那——轟音。耳鳴り。まぶたの裏が明滅する。
朱、橙、黄、白
鱗のように夜が剥がれていく。
耳の奥に音が戻ってくる。熱。炎。光。
背後で老木が燃えている。老木は中心からふたつに割れている。火花散り、爆ぜる。
ふたたび呼吸を整える。現との楔を断つ。
音が消え、景色が消え、雑念は去り、自分と男の骸だけになる。
対話するように、声を聞くように。
刀を構える。力を抜く。落下に任せ、振り下ろす。
熟れ柿の潰れる音がした。骸の首が泥地に落ちたのだ。——あとで拭いてやらねばなるまい。
ぽつり、またぽつりと雫が額を濡らした。
遠くの空が瞬く。
その慟哭は誰の無念だったろう。
炎はぼうぼう、ごうごうと燃えている。
その勢いをゆっくりと広げながら。
焼け野原を去る男に名はない。
友もなく、家族もない男を呼ぶものはいなかった。
渡世で呼ばれた字は「金槌」
その浪人
下衆、外道、罪人、悉く焼き滅ぼす憤怒の雷
日陰蠢く螻蛄のごとき卑き人斬り稼業也
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