2人が本棚に入れています
本棚に追加
プロローグ
私、初めてだったんだ。初めてあんなふうに言われてびっくりして、だけど嫌じゃなくて。
あの日の出会いは偶然で、奇跡で、運命だった。運命の王子様って本当に居るんだね。
桜舞う月の休日。私は一人、駅の構内で友達にドタキャンされていた。
彼女は中学の時の同級生で、高校は妊娠をきっかけに中退していて、今では二児の母になったらしい。
性別はどちらも女の子。私も会ったことがある。
旦那さんにも会ったけど、彼女とはお似合いの二人だった。
彼女のドタキャンはよくあることで、遊びたい会いたいと言うくせに当日になって断ってくる常習犯。私ももう、慣れていた。
『そっか、お大事にね』
子供が熱で行けないという連絡に、テンプレの言葉を投げつける。これももう四回目。連続四回目。本当に子供が熱なのかと疑うくらい、タイミングが悪すぎる。昔から何かと理由を付けては断られてきたけど、今度は子供を理由に断っているだけなのでは?
まぁ、子供は本当に熱を出しやすいと聞くし、本当なのかもしれないから強くは言えないけどさ。
あーあ、また暇になっちゃったな。流石に今日はくるかと思ったからばっちり化粧してお洒落もしてきたのに無駄になっちゃった。このまま帰るのもなんだかなぁ。
「あの、すいません」
「はい?」
さてどうしようかと考えているとふと、声を掛けられた。こういう場合は大抵ナンパか勧誘か道案内か。この人は女性だからナンパはないかな。この駅広くて迷子になりやすいし、多分道案内だ。
「待ち合わせですか?」
「あ、はい」
たった今、ドタキャンされたけどね。
「今、お時間ありますか?」
「……少しなら」
全然あります。お時間余りまくってます。誰かさんの所為で。
「あの、お姉さん、綺麗ですね」
「え?」
「あたし、あの、ナンパなんですけど」
「はぁ……」
この子が何を言っているのか、さっぱり分からなかった。だってこの子は女性で、私も女性で、ナンパっていうのは男性が女性にするもので。だからこの子が何を言っているのか、さっぱり分からなかった。
「お姉さん、かわいいなって」
黒い髪が肩の辺りまである可愛らしい女の子。声なんてまるで声優みたいに萌え声で羨ましい。
そんな可愛らしい女の子が白昼堂々、私をナンパしているなんて信じられる? 答えは否。信じられない。
それに女の子からナンパされた経験のない私は、どう断ればいいのか悩んでしまう。
そうだ、嘘でもいいから私に彼氏が居ると伝えれば諦めてくれるんじゃない? そう思い、息を吸う。
あの、私、彼氏居るんで。
自分の中では声にしたつもりだった。そう、つもりだったのだ。
「良かったらデートしませんか? 待ち合わせの人がくるまでの五分でもいいんで。それでもしまた会ってもいいなと思えたら、連絡先交換してください」
たった五分でどうデートする気なのだろうか。それはそれで気になるけれどどうしよう。
五分どころか二十四時間暇ですなんていまさら言えない(というか言いたくない)し、こんな経験二度とないだろうから敢えて乗っかるのも手かもしれない。
揺れる揺れる。その間ずっと、挙動不審なリスみたいに「あの、えっと」を繰り返している。
いい加減決めないと。
「ご、五分、だけなら」
目の前にいる女の子の瞳がキラキラと光る。嬉しそうな笑みで私を見ては、子供のように無邪気にはしゃいでいた。
「やったぁ! じゃあ、五分だけ。あたしは猫橋咲。彼氏も彼女も居ません。好きな女性のタイプは綺麗な人で、見ているだけでドキドキします。お姉さんのお名前は?」
「わ、私は綾瀬絵里」
「絵里……名前までかわいいなんて……かわいいね、絵里。絵里と待ち合わせしている人が羨ましいよ。こんなにかわいい絵里を独り占めできるなんて」
「い、いやぁ……そんな……」
言いながら猫橋さんは私の頭をよしよしと撫でてくるので、私は首が擽ったい。
なんだろうこの感じ。まだ会って数分の仲なのに、どうしてこんなに甘ったるい声色で私を口説いてくるの?
もしかしてゲームかな?
近くに誰か隠れていて、猫橋さんが女の子をナンパして成功するかどうかのゲームをしてる。
もしくはこれはドッキリで、何処かにカメラマンが隠れて居るの。
そうでなければおかしいよ。女の子が女の子を口説くなんて。偏見があるわけではないけれど。ううん、偏見なのかな。だけどそれも仕方ないよね。だって私の恋愛対象は男の子だし。
「絵里、すきだよ」
耳元で声がした。
首筋は相変わらず擽ったいはずなのに、それと同時に全身がゾクゾクして変な感じ。
女の子に告白されたの初めて。でも、嫌じゃない。むしろこれは。
「絵里、あたしとデートしよ。大丈夫、ご飯行くだけ。何もしないから。ね?」
「な、何もしないって……」
「絵里のこと口説くだけだよ。嫌ならこなくていいし、途中で帰ったっていいよ」
五分だけ。猫橋さんはきっと五分で私を口説く気なんだ。次に繋がるように甘い言葉を餌にして。
こんな言葉、彼氏にだって言われたことないのに。
私の耳は、脳は、次にくる言葉を今か今かと待ち望んでいた。
「絵里」
名前を呼ばれる度にその言葉の先を期待する。次はいったいどんな甘い蜜を垂らしてくれるのかと期待する。
「五分、経ったよ」
「え?」
「連絡先教えてくれますか?」
どうやら既に五分が経過したらしい。スマホを見れば、確かに五分経っていた。
連絡先はどうしよう。最初は断るつもりだったのに、断れば二度と聞けない言葉ばかりで手放せない。
近すぎた距離は離れ、猫橋さんは私を見てにこにこしている。
答えはもう決まっていた。
最初のコメントを投稿しよう!