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 猫橋咲さん。大学一年生。実家は都内で現在は一人暮らし。前の彼女とは何ヶ月も前に別れていて、連絡はとっていない。  一週間前のこの時間。私は猫橋さんにナンパされた。歴代の彼氏達でも吐かないような甘い言葉に翻弄され、まんまと連絡先を交換してしまい今に至る。  そして今日、私は猫橋さんと会う約束をしていた。  私ったらなんてちょろい女なの。旧友にはいつもの如く約束をドタキャンされて、退屈で、淋しかった。そこを上手く転がされた。  どうして私、お洒落しているの。  洗面台の前で前髪が崩れていないかチェックをする。服装は春っぽい桜色のワンピースに薄い白のカーディガンを羽織って、埃や髪の毛が付いていないか入念にチェックをする。これではまるで初デートみたい。  いや、確かに初デートなんだけど。相手は先週会ったばかりの女の子なんだよ? 年下で、私よりもずっとかわいい女の子。  もう行かなきゃ。スマホの時間を見てはっとする。玄関で靴を履いてからの足取りは軽かった。  待ち合わせ場所に着くと既に彼女はそこに居た。彼女は私がきたのに気が付くと、嬉しそうに笑っている。 「良かった、きてくれた」 「……約束したんだからちゃんときますよ」   黒いワンピースの腰の辺りに大きなリボンが付いていてかわいいと思った。白と黒のワンピースが並ぶとオセロみたい。 「かわいいね、絵里。あたしの為にかわいくしてきてくれたの?」 「ち、違うよぉ」  早速きた甘い言葉に頬が熱くなる。お洒落してきて良かったなんて思ってないんだから。絶対にそんなこと思ってないんだから。 「ふふ。じゃあいこっか。ご飯なに食べたい?」  駅の近くにこんなお店があったなんて知らなかったな。  ピザとパスタが美味しいイタリアンレストラン。デザートに映えが狙えるクリームたっぷりのパンケーキはいかが? だって。ついついメニュー表をガン見してしまう。これ食べたい、これ食べたい、これ食べたーい。  注文したパンケーキは写真よりもボリュームたっぷりで、ますます食欲がそそられる。今からこれを口に含むんだと思うと……くうう。  あ、写真撮らなくちゃ。  カシャコー、と撮影をすると、いい感じに撮れたので満足する。ここでようやくナイフとフォークを手に持った。 「いただきます……ん、おいしー」 「くすくす。それは良かった」  そうだった。今は猫橋さんと居るんだった。  すっかり自分の世界に入り込んでしまい、恥ずかしさと罪悪感でいっぱいになる。 「絵里、すきだよ。あたしの彼女になって」  まだ食べている途中なのに告白されて、思わず手が止まってしまう。しかも彼氏じゃなくて彼女なんだ? なんだかむず痒くて髪を耳にかけて誤魔化した。  彼女になってどうするんだろう。デートを繰り返して、一緒に居る時間が増えて、手を繋いだりキスをしたり、それ以上のことだって。  それ以上ってなに。やだ、こんなのまるで期待してるみたい。  女の子となんてしたことないよ。やり方だって分からない。 「か、彼氏じゃなくて、彼女なんだ?」 「うん彼女。かわいいかわいいあたしの彼女」  それとなく誤魔化すつもりがそのまま突っ込まれて事故っちゃった。もうどうしてくれるの。このままじゃ故障しそう。 「ね、猫橋さんは、私のどこがすきなの?」 「かわいいところ、綺麗なところ、あたしに口説かれて困ってるところ、声も仕草も反応も全部すき」 「……っ」 「ねえ、あたしのこと、咲って呼んで」 「は、恥ずかしい……よ……」 「あたしは絵里って呼んでるのに、絵里は猫橋さんのままなの?」  猫橋さん、いつの間にワンピースの一番上のボタン外したんだろう。上のボタンっていうか、上から三つくらい開いている。だからかな。胸の谷間が見えて目のやり場に困っちゃう。これってわざとだったりする? 「さ……咲……」  恥ずかしい。女の子の名前を呼ぶことがこんなに恥ずかしいと感じる日がくるなんて思わなかった。 「ご飯食べたらどこいこっか。映画とかなにやってるかな。あ、うちでDVD借りて映画鑑賞とかはどう?」 「い、家に行くのはちょっと……っ」  流石にそれは早すぎるというかなんというか、初デートで相手の家に行くのはハードルが高すぎるよ。  結局、ご飯を食べて解散という話になった私と猫橋さんは待ち合わせ場所だった駅まで戻ってきたのだけれど、てっきりどこかに行くんだとばかり思っていたのでなんとなく、本当になんとなくショックだった。  私がさっき断らなければもう少し一緒に居られたのかな。もう誘ってくれなくなったらどうしよう。そうなったら私、きっと一生後悔する。 「じゃあ気を付けて帰ってね」 「あ……うん」 「今日は本当にありがとう。会えて嬉しかった」  猫橋さんは、私をそっと抱き締めた。心臓の音が伝わってしまいそうで嫌な反面、密着できて安心している自分が居て困惑する。  私は結局のところ、猫橋さんとどうなりたいんだろう。  私が今、猫橋さんを抱き締めたら二人の関係は変わってしまうのかな。  迷っているうちに猫橋さんは私から離れてしまった。 「あ、今のはありがとうのハグね! 大丈夫、なにもしないよ。じゃあまたね!」  またねということは次があるのだろうか。いつくるかも分からない次に期待してもいいのだろうか。  なにもしないよということは、関係が変わればなにかするということなのだろうか。私は猫橋さんになにかをされたかったのだろうか。  その日の夜は、いくら考えても答えの出ない疑問について悶々と考えて続けていた。  猫橋さんから次のデートの誘いがきたのは、それから一週間後のことだった。  今日も天気は晴れ。桜はだいぶ散っている。  今日は先週とは雰囲気を変えて、大人っぽい服装を選んでみた。黒いロングスカートに紫寄りのピンクのニット。これなら年相応といったところだろう。  今日も猫橋さんと出会った駅で待ち合わせ。遠目から見ても分かるくらい、猫橋さんはかわいかった。  スマホを弄る猫橋さんの耳にはイヤフォンが付いている。こんなに近くに居ても気付かないなんて、いったいなにを聴いているのかな。  私は猫橋さんの腕にぽんと触れてみた。  合法。これは合法。猫橋さんに気付いてもらうために触れただけ。  猫橋さんは私に気が付くと、イヤフォンを外してにこりと笑った。 「あ、おはよう絵里。今日もかわいいね」  開口一番、そんな挨拶の一部みたいに口説かなくてもいいのに。 「お、おはよう」 「今日はどこに行こうか」  猫橋さんの隣を歩くこの瞬間が心地良い。手を伸ばせば届くのに、触れようとはしないんだね。  今日は二回目のデート。なにか進展があるとしたら、それはきっと今日じゃない。性急に求められても困るから、なにもないのはいいことだ。そう感じるのが普通なはずなのに、私はどうしてそれを淋しいと感じてしまうのだろう。 「そういえばさっき、なんの音楽を聴いてたの?」 「絵里の」 「え?」 「絵里の声によく似た声優さんのボイス」 「な、なんのボイス?」 「人前では聞けないような、聞いてるだけでドキドキするような、とても恥ずかしいボイスだよ」  それってつまり、そういう。 「……っ」 「嘘、冗談だって。あたしの好きなアニメの映画の主題歌だよ」  びっくりしたびっくりしたびっくりした!  そりゃそうだよねうんうんそうだ。あんなに人が沢山居る中で昼間からそんなの聴くわけないじゃん。まったくなに考えてるのよ私ったら。  風が吹き、桜が舞う。また桜の花弁が散ってしまった。春が終われば夏がくる。夏にはいい思い出がない。  地面に散らばる桜の花弁を見つめながら感傷に浸っていると、猫橋さんが下から私の顔を覗き込む。 「今日はお花見でもしよっか?」 「え?」 「桜ももうだいぶ散っちゃったけど、ここから少し歩いたところに公園があって、そこならまだ咲いてるみたい」  辺り一面、桜だった。どうしてこの公園だけこんなに咲いているんだろう。 「この公園の桜はね、一年中咲いているんだって」 「え?」 「いつきても桜が咲いてるなんて、なんかロマンティックだよね」  確かにロマンティックだと思った。夏がきて、秋がきて、冬がきてもこの公園だけは春なのだ。  春。私の一番すきな季節。  こんなに素敵な公園があったなんて知らなかった。  またこよう。猫橋さんと一緒に。 「絵里、笑ってる」 「え?」 「ここね、あたしのお気に入りの場所なんだ。だから気に入ってもらえて嬉しいよ」  手と手が触れる。恋人がするそれとは違うけれど、それでも私は嬉しかった。猫橋さんに触れてもらえて嬉しかった。  このきもちが恋じゃないというのなら、なんと呼べばいいのだろう。私には分からない。  それから私と猫橋さんは公園のベンチで桜を見ながら他愛もない会話をして過ごした。  本当に話すだけ。一度触れた手がまた触れることはなかったけれど、それでも私は楽しかった。  猫橋さんのことを知る度に私の心が満たされていく。  私、猫橋さんのことがすきなんだ。  実感した瞬間、涙が出そうになってきた。私は今まで男の人としか付き合ったことないし、これから先もそれが当たり前だと思っていた。だけど、当たり前とは違った世界があることを猫橋さんが教えてくれた。 「絵里」 「ん?」 「すきだよ」  伝えるならきっと今。  私も猫橋さんのことがすき。  私がそう言うだけで、二人の関係は変わるんだ。 「わ、……私……」 「ごめんね」 「え?」 「会う度にすきとか言われても困るよね」 「そ、そんな……ことは……」 「今日はもう帰ろうか」 「え」 「また連絡する」  猫橋さんはそう言うと、ありがとうのハグをした。  私が言い淀んだ所為で、猫橋さんが帰っちゃう。次があると分かっていても、私の選択は間違いだったような気がして不安だった。  まって。  たった一言だけでいい。私がそう言えたなら。  桜舞う公園のベンチに一人取り残された私は、もう振り向きもしない猫橋さんの背中に手を伸ばし続けるしかなかった。  今日は駅まで送ってはくれないんだな。  こんなふうに思ってしまう自分が嫌だ。  伝えたいことがあるのに上手く伝えられない自分が嫌だ。  次こそは伝えるんだ、私のきもち。二人の関係を今よりも一歩前へ。
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