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忍耐の臨界
真岡さんとの「初会合」の後、帰途についた。
7月ともなると夜でも蒸し暑い。歩いているだけで汗をかく。
自宅付近のコンビニで最近お気に入りの75円麦茶を買って帰る。メーカーはよく分からないけど1000mlはあるから、少なくともこの一晩と朝までは持つだろう。
帰る道すがら、真岡さんとの話を思い出していた。
既にご主人と別居している真岡さんは離婚のことをよく調べていて、俺はこのままだと離婚できないと言った。
この10年、悪妻と離婚できる日を夢見て耐え忍んできた。
こういう真夏の暑い日も、寒い日も、荒天の日も、365日朝7時から夜10時まで、家にいられない生活を送ってきた。
体調の優れない日もあったし、土日祝日や長期連休は一日が経つのが遅すぎて辛かった。
全ては娘を妻から守るため。
俺ががんばれば何とかなるものだと思っていた。
でも俺より若い真岡さんも体調を崩した話を聞いて、俺はどこまで踏ん張れるのだろうかと思った。
確かに家庭不和だけじゃなくて、職場の状況もパワハラ上司の赴任から明らかに悪くなってきている。大きなミスでなくても、大勢の前で理不尽に怒鳴られるのはさすがに堪える。これまで以上に精神的負荷が大きくなっている。
この10年で暑さも酷くなってきているように思う。エアコンなしの環境で夜を過ごすのにどこまで耐えきれるだろうか。
自宅に帰って洗面を済ませて、自室もとい三畳の物置部屋の戸を開ける。
モワッとした熱気が疲れた顔や身体にまとわりつく。
買ってきた麦茶の入った袋の表面からたちまち滴が落ち続ける。コンビニの冷蔵庫からの温度差が相当あるからだろう。
いつも帰宅したら、すぐに手を伸ばすものがないことに気づく。
「…あれっ?」
小型のサーキュレーターだ。
エアコンのないこの部屋で俺の命を繋いできたもので、少し戸を開けて部屋の熱気を逃がすためにまずつけるのだが、狭い部屋を探してみてもない。
あれがあるのとないのとでは全然違う。
…娘が使ってるのかな。
同じ廊下にある娘の部屋の電気がまだついてたから、ノックしてみた。
「なに?」「開けてもいい?」「いいよ」
娘は涼しい部屋でくつろいでいた。
「お父さんの部屋にあったサーキュレーター知らない?」
「サーキュレーター…?あ!」
「どこにあるか知ってる?」
「お母さんが午前中捨ててたよ」
「は?!」
「『こんなゴミどこで買ったの?!』とか言ってたような…。その後すぐ出かけなきゃいけなかったから、なんで捨てたのかとかは分からないけど」
怒りのあまり、頭が真っ白になって言葉を失った。
「どうしたの?」
「………いや、おやすみ」「おやすみー」
そのままドアを閉めた。
同時に娘の部屋の快適な空気に顔を冷たく撫でられて、まるで嘲笑われたかのように思えた。
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