同胞の勝利

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同胞の勝利

 「真岡さん、なんで離婚したんすかねー」  「さぁな…。いろいろあるんだろ」  年が明けてから、我が同胞の噂を嫌というほど耳にした。 人の離婚なぞどうでもいいだろう。 放っておけばいいのに。 彼女は隣の職場に異動してくる前から結婚していたのだから、みんな結婚相手が誰だったのかすら知らないのに。  ただ俺は我が同胞の勝利を喜ばしく思っている。 彼女が好きだから? 否、彼女に対して恋愛感情なぞ一切ない。 これは俺たち"離婚共同戦線同盟"の最初の大きな勝利だからだ。  「真岡さんかわいそうねー。30歳過ぎてるんでしょ?」  「えー、寂しいわよね」 彼女は離婚という大きな幸せを勝ち取った。 かわいそうなどという言葉は全くふさわしくないのだ。 むしろ祝いの言葉を贈ることにしようと思う。  我々同盟のアジトは移動式で、もっぱら安い半個室の居酒屋か、カラオケボックスだ。 なぜかって、それは作戦の機密に関わるからだ。 特別旨い酒や料理や演出など全くいらない。 ただカラオケボックスのときだけは、たまに憂さ晴らしに歌うこともある。 これは我々にとって、自由を勝ち取るための闘いを表現したフランス国歌「ラ・マルセイエーズ」と同じなのだ。 フランス革命のように血は流さない表面的には平和な闘いだが、士気を鼓舞するために、時には必要なのだ。  「真岡さん、おめでとう!!」  「あざーーーす!!」 新年一発目の会合は半個室での祝杯となった。 なんと喜ばしいことだろう。 彼女の命がけの、たった一人の塹壕(ざんごう)戦を聞いてきた俺にとっては、この勝利は我が事のように嬉しい。  「…いやー、本当に良かったねぇ」  「もう本当に良かったですよ…。太田さんが話を聞いてくださらなかったら、いまごろ私はただの(しかばね)でしたね」  「真岡さんの話は誰が味方か分からない状態だったもんなぁ」  「そうなんですよ。実家からも銃弾が飛んでくる酷い状況でしたんで」 真岡さんは実家に帰るという手段すら失った、撤退の出来ない塹壕戦を繰り広げていたのだ。  「電話の向こうで『もっとがんばりなさいよ!』って言ってくるわけですよ。 いや、もうそんなところをとっくに越えているから、仕方なく親に話しておくべきかなと思ったのに。 まぁうちの親は世間体第一なんで、娘の本当の幸せとかどうでもいいんですよ。『何があったの?』とかすら一度も心配してこないんですよ」 前からだけでなく、背後からも狙われる状況というのはさぞかし苦しかっただろう。 今日はとにかく彼女の勝利を祝い、彼女のこれまでの苦闘を(ねぎら)った。  先に勝利を収めた彼女は言った。  「次は太田さんですね。がんばりましょう!!」 彼女の言う通りだ。 次は俺の番だ。
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