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「平さんは反対されたりしましたか?一人暮らし」
今度は憂が質問してくる。
俺はなんとなく自然を上に向け、考える素振りをした。
「まさか。そんな事全然無かったよ。
もうね、どこにでも行っちまえって感じ」
俺が言うと憂は困ったような顔をした。
「それはちょっと言い過ぎじゃないですか」と言って笑うと、憂はふと下を向いた。
俯き加減の憂の横顔が何故か急に少女のように見え、愛おしくなる。
「すみませんーーーストラップ、取れちゃって」
憂は地面にかがみ込むようにして、パンプスの足首のところについたストラップをはめようとしている。
ストラップはなかなかはまらず、憂が何度か押しつけても取れてしまう。
「壊れちゃった?」
俺も屈んで、憂のパンプスのストラップを見た。
見た感じは、壊れているわけでも無さそうだけど、パンプスのストラップは少し角度を変えてつけようと、力を入れて押し当てようと、何をしても外れてきてしまう。
憂は残念そうにため息をつくと、俺の方にくるりと顔を向けた。
予想外に近くにある、憂の顔。
その瞬間理性という糸が、ぷつんと切れたような気がした。
「最近ちょっと調子悪かったんですよね…
もう何年も履いてるから…そろそろ潮時かなーーー」
言いかけた憂の頬に手を伸ばし、俺は憂に口付ける。
これがいけない事だとは、分かってる。
既に別の男ーーー黒谷丈と恋人関係にある憂に、こうやってキスをする事。
それでも俺は自分の欲求を止める事が出来ない。
小さくて柔らかい唇は温かい。
10年前もこうやってーーーよく俺たちはキスをして、愛し合ったのだ。
憂は固まったまま、動かない。
呆然として、俺のキスを受け止めたままの憂。
先程黒谷の話をしたばかりなのにーーーそんなの一気に、どうでもいい事のように思えた。
黒谷はアメリカに行ってーーー今此処にはいない。
そもそも憂は10年前、俺のものだったのだ。
再会した憂に、黒谷が捻じ曲げて伝えた真実を、正確に伝える権利だってある。
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