【1】

6/22

53人が本棚に入れています
本棚に追加
/62ページ
「ーーー…ヤマさんは食べないんですか? …お昼ーーーー」 「俺もう弁当食ったよ」 ヤマさんはゲストハウスの受付の椅子に寄っ掛かるように座り、長い足を組んだ。 「男だらけの職場だしーーー ーーーたまには美人と食事してこいよ」 小声で言われ、俺はまたしても絶句する。 美人ってーーー間違い無く憂のことだ。 その美人と顔を合わせるのが気まずいんだよと言い返したいが、それはできない。 憂と同じく、俺も憂と付き合ってるのがバレる事は避けたいのだ。だって絶対面倒くさい。 「ーーーじゃあ……お言葉に甘えて…」 俺はヤマさんと同じような小声で言うと「ありがとうございます」と言う代わりに軽く頭を下げた。 俺は一応休憩室のロッカーから財布を取り出し、財布とスマホだけを持って3人の元へ合流する。 「じゃ、行こっか」 微笑んだ東堂さんに頷いてから、俺は3人に着いていく格好をとった。 俺の気持ちなんて知るはずもなく、東堂さんは先頭に立ってノーヴまでの道案内をしながら歩き出した。 俺は一番後ろを歩き、よりによって憂の真後ろを歩く格好となった。前から東堂さん、駒場さん、憂、俺の順番でノーヴへと歩く。 気まずくて仕方ない俺とは正反対に、憂は肩まである髪を揺らして平然と歩き、自分の前を歩く東堂さんや駒場さんと話したり笑ったりしている。俺と付き合っていた時かなり明るめの茶髪だった憂の髪は、今はすっかり綺麗な黒色になっている。 ーーーーなんでそんなに自然に笑ってられるんだよ…俺に愛想つかして……関わりたくもないって思ったからーーーあの時別れたんだろーーーー?ーーー俺からの連絡を一切無視して…自然症滅なんて姑息な手を使ってーーーー 憂の明るい声や柔らかい笑顔が目や耳に入るたび、俺はイライラしてしまう。まるで俺が存在していないかのように、駒場さんと東堂さんと会話をする憂。 憂が歩く度に髪の毛からはシャンプーの香りがしてーーーその香りも10年前とは違う。 10年前まで憂が使っていたのは、俺が好きと言ったバニラの、甘い香りのシャンプーだった。 俺と付き合ってから一気にオシャレになり垢抜けた憂は、ファッションも小物も流行を取り入れ、一緒に街を歩いているとモデルと間違われることもあった。 憂は俺と付き合っていた時使っていたそのシャンプーを既に使ってはおらず、このジャスミンのようなーーー華やかな香りのシャンプーを今は使っているのだろう。
/62ページ

最初のコメントを投稿しよう!

53人が本棚に入れています
本棚に追加