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早朝、ご家族からの電話で起きた私は、母の運転する車で彼女の元へと急いだ。
最期は、言葉を交わすことはできなかったけれど、旅立ちの瞬間には立ち会うことができた。
そのあと、一緒にいられたのは少しだけで、朝早かったこともあり、私は一旦自宅に戻って朝食と身支度をし、改めて彼女の元に戻ったのだった。
けれど、ほんの二時間ほど前まで彼女が眠っていたベッドはすでにきれいに片付けられていて、彼女が使っていた日用品や荷物もなくなっていた。
唯一、窓際の棚の上にガラスの花瓶が残っているだけで、それ以外は跡形もなく彼女の気配が消されていたのである。
私は、ひとりきりの病室で、今朝まで確かにカスミ草が生けられていたその花瓶に静かに触れた。
昨日、私はここに確かに二人分のカスミソウを生けたのだ。
私と、彼女が ”魔法使い” と呼ぶあの男性の分のカスミ草。
なのに今目の前の花瓶は空っぽで、昨日の出来事が全部夢か幻だったんじゃないかと疑ってしまいそうになる。
………………彼女は、もう、いないんだ
花瓶から手を離し、ぼんやりと、実感が満ちてくるのを感じていた。
彼女の年齢を考えれば、出会ったときの状況を思えば、そう遠くない未来にそのときが訪れること、わかっていたはずなのに。
わかっていたからといって、覚悟までできるわけじゃないんだな………
どれくらいそうしていたのか、私は背後で扉の開く音がして、我に返った。
「ああ、来てたのね。ご家族の方とはもう会えたのよね?」
顔馴染みの看護師が病室には入らず、廊下から声をかけてくれた。
「はい……」
そのご家族は色々と手続きとかで忙しいらしいけど、彼女は今、別の場所で家族水入らずで過ごしているはずだ。
「皆さん、あなたに感謝してらしたわよ。いいボランティアさんと出会えて良かったって。あなたと会ってから新しい友達ができたってすごく楽しそうにしてたんですって」
「そうですか……」
「じゃあ、帰る時は顔見せに来てね。スタッフにもあなたのことを気にかけてる人がいるから、顔を見せて安心させてやって」
看護師はそう言うと、いつも通り仕事に戻っていった。
その背中を見送りつつ、この看護師とこうして普通に話せるようになったのも彼女のおかげだったな……なんて、ぼんやり記憶を辿ったりしていた。
彼女のおかげで………
思いを馳せながら、いつものようにベッドに向き合う。
寝具が片付けられて、彼女がいた痕跡がなくなってしまったベッドは、ひどく無機質に感じた。
どれくらい経っただろう。
ふと、扉も開いてないのに背後でふわりと空気が揺れる気配があった。
そして
「大丈夫かい?」
軽やかに、彼の声が舞った。
突然のことだったけど、私は驚きはしなかった。
どうしてだか私は、彼がここに来るような気がしていたから。
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