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やっと会えた魔法使い
――――どうして私は、みんなみたいに上手くできないんだろう………
”おはよう”
そのたったひと言さえ言えず、私は今日も、おしゃべりの輪を広げる同級生達から離れたところで、俯くことから一日が始まってしまった。
”人見知りなところがあるので、次学期はもっと積極的にお友達に話しかけてみましょう” とは、小学生時代の成績表に必ず記載されていた担任教諭陣からの言葉だ。
人見知りだからこそ、積極的にクラスメイトに話しかけられないというのに、なぜか辻褄の合わない総評は毎年ほんの少しのニュアンス違いで必ず私の成績表に記されていた。
私だって、自分が極度の人見知りだということは自覚もあるし、どうにかした方がいいことだってわかってる。
でも、高所恐怖症の人には無理強いしないくせに、対人恐怖症はどうにかしろだなんて、それって恐怖症差別じゃないの?
………なんて馬鹿げたこと考えてもしょうがないことだって、ちゃんと理解しているのだ。
高所恐怖症は生きていくのに問題ないケースがほとんどだけど、対人恐怖症を背負ったままでは生きにくいなんて、四六時中実感中だったのだから。
でも、どうにかできるものなら、とっくの昔にどうにかしている。
心の中でいくらおしゃべりしていても、いざ誰かを目の前にすると、言葉が急に引っ込んでしまうのだ。
男子女子、大人子供関係なく。
物心ついた頃から、ずっとこうだった。
心配した親が医療機関に相談したり、お稽古事に通わせて同年代の子供と触れさせたり、色々試してみたらしいけど、一向に改善の兆しはなかった。
そのうち、担当医からは無理な強要は大きなストレスになるからと告げられ、私の人見知り改善大作戦はあえなく一時休止となったのだ。
確か、小学校中学年くらいのことだったと思う。
逆に言えば、その年齢までは親も私もどうにかしなきゃと躍起になっていたわけで、頑張ればどうにかできるんじゃないかという、僅かばかりの淡い期待も持っていたのだ。
でも、ドクターストップがかかってしまった。
つまり、これはもう、努力や頑張りなんかではどうにかできる問題じゃないのだと、専門家にお手上げ宣告を出されたようなものである。
我ながら、卑屈な考え方だと情けなくなるけれど、実際、私も周りも、この人見知りには完全にお手上げ状態なのだ。
だって、時々出会う、社交性の塊のような、世界人類皆友達!みたいな人でさえ、その手腕を私の前では発揮できずじまいだったほどなのだから。
けれど、世の中には不思議なこともあるもので。
青天の霹靂が起こったのだった。
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