【番外編・八神くんと名塚くんのスクールライフ】八神くんと名塚くんの姫はじめ

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【八神くんと名塚くんの姫はじめ】  ふと、八神(やがみ)(とおる)は布団の中で目を開けた。  自分の部屋の、自分の布団。  いつもと違うのは、今日が新年最初の日だということ。 「ん……」  そして、幼馴染で、同性だけど昔からの想い人で、ついには恋人関係にまでなってしまった名塚(なつか)(まこと)が、同じ布団の中でこんこんと眠っていたことだ。その衝撃で、早朝の微睡みにいたはずの八神の脳は一気に覚醒していた。  こいつ……客用の布団で寝ろって言ったのに……。  昨晩、というかここに至るまでの出来事が思い起こされ、八神は頭が鈍く痛むのを感じていた。  きっかけは、八神の母の何気ない一言から始まる。 「あら徹さん、今年は真くんと初詣に行くの? それなら家に来てもらったらどう? 真くんさえよければ大晦日から」 「……はい?」  一家三人が揃った、食卓での一幕。母がいれてくれた食後のコーヒーを口に運ぼうとしていた八神の手は、不自然に止まっていた。  昔から、というか小学生の頃なんかは名塚もよく八神の家に遊びに来ていた。親同士の交流もあるし、母は名塚の家事情もよく知っている。  だからその誘いに他意はない。と、思いたい。 「いや、母さんそれは……」  正直、八神にとっては全く気乗りしない提案だった。  恋人という関係になってしまった以上、そしてそれを打ち明けていない以上、両親もいる家で名塚と一晩を過ごすのは、いろんな意味で苦労しかしない気がしたからだ。  しかも名塚を誘えば、二つ返事どころか冬休み中居座りそうな勢いで快諾するのも目に見えている。もはや名塚とは十年来の付き合いだ。世の中絶対、なんてものは存在しないが、それは十中八九、九分九厘そうだと八神は言えた。  あんな奔放な男と、堅実な自分の両親との板挟み。それはやはり八神の精神衛生上つらいし、それなら年越しは家族で穏やかに過ごして、年始を名塚と二人でいる方が都合がいい。いろんな意味で、間違いなく。  だから、母には悪いがやんわり断ろう。この場をどうにか切り抜け、自分が名塚を誘いさえしなければこの話はここで終わる。  そう、思っていたのだが。 「徹さんがお友達の話をするなんてあんまりないじゃない? だからわたし、なんだか嬉しくなっちゃってね」 「え……。あ、いや」  嬉しそうに語る母を前に、八神は一瞬言葉をなくしていた。そう、だっただろうか? 「ねえ? あなた。あなたはどう思いますか?」 「そうだなあ」  母の隣で新聞を読んでいた父が、おもむろに顔を上げる。「賑やかな年越しもいいんじゃないかい? 真くんと久々に囲碁をするのもいいかもしれない」 「いや、父さん。真は囲碁は……」  言おうとした言葉も、母に「あら! いいわねえ」と遮られて終わる。 「徹さんもいれて、なんならトーナメントでもしたらいかが?」 「いやあの、母さん? だから真は囲碁はあまり」 「おお、いいねえ。人数が少ないから総当り戦の方がいいかな。優勝賞品はお年玉にしようか。いやーなんだか楽しくなってきたね? 真くんも食べ盛りだろうし、そうなったら母さんも料理の腕が鳴るなあ」 「そうねえ、久々に大きい重箱出そうかしら。徹さん、真くんはなにか食べ物の好き嫌いあったかしら? 聞いておいてくれる?」 「いや、あの……」  自分抜きで盛り上がる二人に、八神は完全に進言する機を逃していた。  『父さん』『母さん』。そう呼んではいるが、八神と両親は本当の親子ではない。いや、養子縁組をしているので法律上の親子ではあるのだが、実際に血が繋がってはいないのだ。  とはいえ、縁組自体も八神が小学校に上がる前の話だし、その前は施設にいた。だから本当の親のことなど知りもしないし、知りたいとも思わない。八神にとって、全てを与えてくれたこの両親こそが親なのだ。感謝だってしているし、敬愛している。むしろそれしかない。この二人には、感謝してもしきれないくらいの深い愛情を持っている。  だからこそ、なんの関係もない他人なら無下にするような提案でも、断ることができないのだ。あんなに嬉しそうにしている母を、楽しそうに応じる父を、悲しませるようなことはしたくない。そう思ってしまう。  ちなみに両親に対して敬語なのは強要されたわけでもなんでもなく、ただの八神の癖だった。 「まあ真くんが、こんなおじさんおばさんたちと一緒でもいい、って言ってくれればだけど」  母が、ため息混じりに苦笑する。「やっぱり、若い子には若い子の遊びがあるだろうしねえ……」 「いや」そこだけはきっぱり否定していた。「真は、そういうことは気にしないと思いますが」  実際、名塚は昔からうちの親を好いていたし、誘えば喜んで来るだろうと八神は思っていた。まあその背景には、名塚を取り巻く環境も大きく関わっているとは思うが。  名塚の家は、放任というわけではないが、父が海外転勤、母と、歳の離れた姉もカレンダー通りの休みではない仕事に就いているため、とにかく家族が一堂に会することが少ない一家なのだ。年末年始もその例外ではなく、だから名塚はあまり家にいようとしない。いてもどうせ一人だからだ。懐いていた祖父が亡くなってからは、その行動が顕著になった。昔は八神もよく遊んでもらっていた、おおらかで豪快な人だった。ちなみに八神の囲碁の師はその名塚の祖父だ。  その寂しさを埋めるように、彼はいつなん時でも自分といてくれる誰かを求めている。おそらく、無意識のうちに。  八神と付き合うまえ、去年の暮れも確か友達と遊び歩いて過ごしていたはずだ。クラスメイトやオタク仲間のような面々から、あまりガラのよくなさそうな先輩まで。  今年も、八神が誘わなければ名塚はまた他の面々と遊び歩くつもりなのだろうか。連日、よもや毎夜?  考えた末に、八神は。 「……わかりました」  絞り出すように、そう言っていた。 「真に、うちに来るよう声を掛けてみます」  *  そしてその通り二つ返事で八神家を訪れ、囲碁大会やら夕飯やら、いつも通りの賑やかさで大晦日を過ごした名塚は、いま現在八神の隣で気持ち良さそうに寝息を立てている。  八神といると名塚はとにかくよく喋るし、わざとこちらの気を引くような行動をすることも多い。顔を落ち着いて見られるのなんて、寝ている時くらいしかないかもしれない。  勿体ない、黙ってればそこそこ綺麗で整った顔なのに。そっと、八神は目の前の細い茶色の髪を指で掬う。 「んー……」  ぴくりと眉間が動き、重たそうな瞼がゆるゆると持ち上げられる。暗がりでもわかる、赤みがかった綺麗な瞳。八神が好む色のひとつだった。 「んん、とーる……? おはよ……」 「……おはよう」  名塚は、生活態度はいい加減で学校も適当なくせに挨拶は忘れないし、八神の親への礼儀もそれなりに弁えている。こういうところを見ると、やはり好きだと思ってしまうのだ。癪だけど。 「んー……なに、もう朝……? はえーな……」  むにゃむにゃと寝返りを打って、名塚はまるで猫のように八神に擦り寄ってくる。微睡みのなかの、おそらくこれも無意識な行動。  このままでは、別のところが起きてしまいそうだ。八神は、反射的に顔を反対側へ向けていた。 「まだ早朝だ。もう一回寝ろ」 「ったって……とおる起きてんじゃん……。とーるが寝るなら俺も寝る……」 「俺が二度寝できない性質なのはおまえも知ってるだろうが。というか俺が寝るなら寝るってなんだ、子供か」 「あーそっか……二度寝……そっか……じゃあ、俺も起きる……」 「だから、子供か」  収まりのいいポイントでも探しているのか、ぼんやりとした会話を交わしながら、名塚はなおも八神の懐に潜り込もうとしてくる。  こいつは、本当に。  観念した八神は、名塚の方に身体を向け、そのまま彼を緩く抱き寄せた。  些細な抵抗を続けて掻き乱されるより、いっそ腹を括って受け入れてしまった方が精神衛生的にも良い。そう判断して。  その証拠に、なのかはわからないが、腕の中からは安心したような穏やかな息遣いが聞こえてくる。  まあ、たまにはこんな日があってもいいのかもしれない。八神は深く考えるのをやめることにした。油断すると情欲が顔を覗かせてくるから、そこは必死に自分を制しているけども。 「なあ……いま、なんじ……?」 「まだ六時前だ。だからまだ寝てていいって」 「やだ……とおるが寝ないなら寝ない……」 「だから、子供か」  名塚は未だ目もろくに開けていないのだが、それでも体勢は変えないし寝る気もないらしい。  これ以上は押し問答だな。そう思った八神は別の話題を振ることにした。 「というかおまえ、なんで俺の布団にいるんだ」  八神たちが寝ている布団の横には、誰も寝ていない布団が敷かれている。昨晩八神の母が、名塚にと用意してくれた来客用のそれだ。昨日眠りにつく前は、確かに名塚をそこに寝かせたはずなのに。 「んー?」名塚が、寝ぼけ眼をぱちぱちとさせながら応じる。「とおると、寝たかったから?」  なんだ、その破壊力抜群の答えは。やめてくれ、頼むから。 「そういう問題じゃない」  自らを戒める意味も含めて、八神はきっぱり言い捨てていた。 「こっちの、客用の布団で寝ろって言ったはずだろ、昨日。それがなんで」 「夜中にふっと目が覚めたから、そのとき徹の布団に潜り込んだんだよ。確かに最初に擦り寄ったのは俺だけど、そっから俺のこと抱き寄せて離さなかったのは徹だかんな?」 「嘘だ」 「嘘じゃねえって」  無意識下の行為だとでもいうのだろうか? そんな馬鹿な。  潜在意識を制御する術なんて知るわけもない。八神は、気が遠くなるのを感じていた。 「え、でも別によくね?」  なにが悪いんだ? とでも言いたげに、名塚はあっさり言い放つ。「俺ら付き合ってるんだし?」  やはり、口調同様こいつは軽く捉えている。八神はあからさまにため息をついていた。 「うちの親はまだ知らないだろ。いやおまえの親にも言ってないけど」 「まあなー。でもいずれわかることなんだし?」  そんな簡単に打ち明けられたらどれほど楽か、と八神は思う。 「そのいずれが今日になってもいいって言うのか? おまえは」 「え、今日?」そこで名塚の目がぱっちりと開いた。「なんで? 言いてえの? 徹が言いたいんなら俺は止めないけど」 「なんでそうなるんだ」むしろ止めろよ。そんな気持ちで八神は再度息を吐く。 「そうじゃなくて、俺たちが一緒の布団に入って仲良く寝てたらそう取られかねないだろって話だ。例えばいまこの瞬間に母さんが部屋に入ってきたとしたら」  そうなったら、自分だけが必死に弁明して、名塚はそれを眺めているだけのような気がする。いや、名塚が口を開くと余計なことしか言わないからそれはそれでいいんだが、どちらにせよぞっとする。なんの覚悟もなくいきなり臨める場ではない。  まあ実際、父も母も年頃の息子を思いやってくれているから、ノックもなしにいきなり部屋に入ってくる、なんてことはしないのだが。  考えの浅い名塚を諭すために八神はあえて口にしたのだ。おまえもちょっとは危機感を持て。そういう意を込めて。 「え、そう?」  しかし、そこはやはり名塚だ。彼はどこまでも、こちらの意を介さない。 「別に同じ布団で寝ててもどうってことなくね? 決定的瞬間でも見られない限り、『あらあら仲のいい二人ねえ』ってな具合で微笑ましい顔してそっと襖閉めて」 「そんなわけないだろ、小学生じゃないんだから。どこの世界に高校生になってまで男二人で同じ布団に寝るやつが」 「ここの世界に?」 「いや俺たちは……」  付き合ってるからだろうが。  言おうとして、八神は口を噤んだ。言ったところで名塚の言い分は変わらないし、普段気持ちを言わない自分が直接的な言葉を口にしたら、かえって名塚を喜ばせる。そんな気がしてならなかったからだ。  ひとつの布団の中で、好きな相手と密着しながら睦言を交わす。  このただでさえ理性を保つギリギリの状態に、いい雰囲気、などという要素が加わったら終わりだ。完全に。早朝とはいえ、もう起きているかもしれない両親のいる家でそれは避けたい。絶対に。  八神がそんな雑念と格闘し、修行僧のごとく悟りを開こうとしている間に、名塚はすっかり目が覚めたらしい。開き切った目で、しかも真顔を通り越した、どこか難しい顔つきでこちらを見つめている。なんだ。今度はどうした。 「……俺の顔になにか付いてるのか?」 「いや」と、名塚が自身の口元に手を添える。「徹ってそんなイケメンだったか? と思って」 「は?」  言葉と表情がまるで合っていない賞賛に、八神は間の抜けた声を上げていた。  そんな面白くなさそうな顔で褒められても、どんな反応をしたらいいのかわからない。いやそもそもこれは褒められているのだろうか? 突拍子もない名塚が相手では、それさえ疑わしかった。 「なんだろ、ギャップ萌えか? 眼鏡のない徹が新鮮でイケメンに見える。おまえ絶対コンタクトにするなよ? 女子が群がりそうでやだ」 「……なんの話をしてるんだ、おまえは」  イケメンに見える、というのはつまりイケメンではないのか、とか、いや別におまえにイケメンだと思われたいわけではないが、とか、コンタクトにするのにおまえの許可はいらないだろとか、いや別にコンタクトにする気は無いんだがとか、やだって子供か、とか。  褒められてるのか、貶されてるのか。どこからツッコんだらいいのかわからなくなった八神は、結局面倒になってそう言っていた。  そもそも、真面目な話でもしてない限り、名塚は言葉のほとんどを直感で紡いでいるのだ。  考えるだけ無駄だ。そう判断した八神は、ひとり目を瞑っていた。 「あれ、徹?」そこにすかさず、名塚から質問の矢が飛んでくる。「どうした? 寝るのか?」 「俺が寝るならおまえも寝るんだろ」 「とーる二度寝できないんじゃなかったっけ?」 「努力する。だからおまえももう一回」 「徹って意外とまつ毛長ぇんだなー。普段眼鏡越しだもんなあ。気付かなかったぜー、新発見」 「だから寝る努力をしろって」 「って言ったって、もう目ぇ覚めちまったもん。寝れねえよー」 「うるさい黙れ。俺は寝る」 「寝るなって。なあーとおるー」  以降は、名塚にいくら声をかけられても揺さぶられても一切答えず、頑として目も開けなかった。  二度寝できないのはわかっていたが、結局八神が相手をし続ける限り名塚は元気で、そして無自覚にこちらを煽ってくるのだ。でも無視をし続ければいずれ名塚も諦めて、寝れなくても携帯電話やゲームなどでひとり時間を潰し始めるだろう。  そう踏んだ八神は、瞳を閉じたまま穏やかに呼吸を繰り返した。剣道をやっているおかげか瞑想には慣れているし、なんなら黙想の時間だとでも思えばいい。そうすればきっと自身の煩悩だってなくなる。そう高を括っていた。  名塚が下半身を、その硬くなった熱を、八神の太腿に擦り付けてくるまでは。 「はっ? おま、なにしてっ」  八神が思わず目を開け、身体を動かすものの名塚は離れない。八神の衣服をしかと掴む名塚の指が、それを阻んでいるのだ。 「ごめ、徹ぅ」  腰の動きを止めないまま、名塚が、先程までとはまるで違う声色で囁く。「でも、むり……っ、おれ、がまん、できな……っ」  これは、まずい。  早朝とはいえ、布団の中とはいえ、名塚はすっかり性的なスイッチが入ってしまっている。完全なる想定外だった。  まさか、昨日の今日で。  八神は慌て、だけど両親の部屋までは届かないよう、しかと声をひそめて訴えた。 「おまえ、昨日もしただろうが……っ!」  そう。八神と名塚は前夜、しかとまぐわっているのだ。しかもこの布団で。  念には念をと、年越しを迎え、さらにしばらく時間を置いてから事に及んだ。この時間ならさすがに両親も寝てるだろう、というもはや深夜帯。それでも極力音を抑えてこっそりと。名塚はかなり眠そうで、「もうそろそろいいんじゃねえの?」と度々急かしもしてきたが、八神は断固として譲らなかった。万に一つでも、両親に気取られることは避けたかったから。  じゃあ家でするなよ、と言われてしまえばそれまでなのだが、そこは八神も普通の高校生であり、年頃の少年だ。付き合っている、しかもずっと前から好きだった名塚と夜を過ごすのに、なにもしないなんてことはできるわけもなく。むしろ八神の部屋で年末の特番を見ながら、容赦なくスキンシップを働いてくる名塚を相手に、その時間まで耐えた自分を褒めて欲しいくらいだった。いや、冷静に考えなくてもよく耐えた。こちらに引っ付いたり、服の中に手を突っ込んでまさぐったりと、人の家にも関わらず、名塚はどこまでも自由かつ天真爛漫に煽ってきたのだから。 「んんっ、そうなんだけど……、っ、あ」  ごり、と。硬いもの同士が当たる感覚に、八神はぴくりと眉根を寄せていた。 「おい真っ、やめろって……!」 「っん、とおるだって、ガチガチ、だろぉ」 「う、るさい」  確かに、こんな状態では抗議しても説得力がない。だけどどうしたって身体は疼くし、下半身は熱く昂ってしまう。  頭では止めるべきとわかっていても、身体は正直だ。底から湧き上がる色欲を、理性で抑え付けるのには限度があった。  ましてや目の前の名塚は、お構いなしに感じ入っている。 「なぁ、いれなくていいからぁ、こえ、気を付ける、からぁ……っ」  ひとたびスイッチが入った名塚は、快楽に対してどこまでも正直だ。切なげな声で訴え、八神の下着から陰茎を引きずり出すと、それを自らのと触れ合わせ、扱く。  服や下着越しではなく、肉体同士が擦れる直接的な愛撫。自然と二人の息は上がり、布団の中の温度は一気に上昇していた。 「おい、ま……っ」 「ふぁ、あ……っ、徹……っ、は」 「や、めろって、っおまえ……っ」  言っても、それほど強く制止しないのは、八神自身も内心はそれを望んでいるからだ。  名塚に触れたい。もっと、深く感じたい。  そう思っているから。  もはやどっちのかは判然としないが、亀頭の先端から溢れた蜜が、名塚の手指の動きをより円滑にしていく。 「あ、っん、ん……っ!」  でも、足りない。八神は率直にそう思っていた。  快感がないわけではない。むしろ気持ちいい。名塚だって良さそうだ。  でも、自分ならと、そう考えてしまうのだ。  俺なら、もっとおまえを感じさせられる。おまえ以上に、おまえの快楽を引き出せるのに、と。 「っ、あ……っ、とーる、とぉ、る……っ」  名塚が感じ、乱れ、溺れゆくこと。  それがなによりも、八神の情欲を掻き立てるのだから。  その瞬間、八神は自らのスイッチが入ってしまったのを感じていた。こうなったら、もうダメなことも。  すっかり悦に入っている名塚の手を掴んで止めさせ、抗議させる暇も与えずに唇を塞ぐ。驚きからか名塚の動きが止まったが、それも一瞬だ。次の瞬間には八神の首に手を回して、深いキスを求めてくる。  口内を犯され、酔い痴れる名塚を前に、それでも八神の中にあるのはある種の焦りだった。  八神は名塚が好きで、彼以外は抱けるとも抱きたいとも思っていないし、後にも先にもこれ以上の存在はいない。確信にも近く、そう思っている。  でも、名塚が同じように思っているかはわからない。名塚が求めているのは、『自分といてくれる誰か』で、相手は誰でもいいのかもしれない。その矛先が、今はたまたま八神に向いているだけで。  こちらが「好きか?」なんて聞けば、おそらく笑って「好きだぜ」と答える。好きになったのは確実に自分の方が先だと八神は思っているが、告白してきたのは名塚の方だ。彼は飾らないし、不必要な嘘もつかない。常にその感情を全身で表している。  でも、明日の名塚はわからない。ある日唐突にそこからいなくなっていそうな、流れのままにどこかに行ってしまいそうな、そんな危うい自由さが常に彼にはある。「好きだぜ」と答える時と同じように、緩く笑いながら。  だから、捕まえる。繋ぎ止める。名塚が、なにかの流れに飲み込まれてしまわないように。この手から、彼がいなくなってしまわないように。  そんな不安が、常に八神には付き纏っているのだ。  八神は、なにかに突き動かされるように唇を離して起き上がり、キスの余韻で惚けている名塚のスウェットを下着ごと剥ぎ取った。露わになった下の口に指を這わせながら、掛け布団と共に上から名塚に覆い被さる。 「とお、……っ、あ、……っ」  八神が孔の周りを擦れば、名塚の性器が過敏に反応する。もっと欲しいと、触れて欲しいと言わんばかりに。 「っとに、おまえは……」  誰でもいいのか、なんて、怖くて聞けるわけがない。  そんな、意気地のない自分に対する苛立ちを掻き消すように、八神は唾液を絡めた指を強引に名塚の中に押し込む。 「い、って……!」  最初こそ名塚は苦痛に顔を歪めたものの、その蕾は八神の指を難なく呑み込んでいた。指を中で動かす度に、名塚が甘く声を上げる。 「昨日出したのがまだ残ってたんだな。まあ、どうせまた出されるんだから一緒か」 「んぁ……っ、と、おる……? なに、言って」 「うるさい、煽ってきたおまえが悪い」  ずるりと指を引き抜いて、八神自らも衣服の下を脱ぐ。  膝立ちになって名塚の脚を開かせようとする中で、なにか言いたげにしている名塚と目が合った。緩慢な動作ではあるが、肘をついて上体を起こそうとしている。 「と、お」 「真」  小さく名を呼んで、そっとその頬に触れた。指先に気持ちを乗せるように、慈しむように、優しく。  八神は普段から、特に本人の前では、名塚の名をあまり呼ばない。  だから八神に呼ばれると、名塚はいつもほんの少し息を飲んで、一瞬動きが止まる。 「声、出すなよ」  その隙をついて、八神は有無を言わさず名塚の中に押し入っていた。昨晩も使われた蕾は、そそり立つ性器の侵入もさほど抵抗なく受け入れていく。 「あ……っ、ぁ、あ……っ!」  ほとんど前戯もしていないが、そこに苦痛がないのは名塚の恍惚とした反応からも明らかだった。 「んんっ、とーるぅ、とおるの、入ってぇ……っ」 「おい真、声」 「あ……っ、だ、って……っ! で、ちま、んんっ?」 「じゃあ咥えてろ」  短く言って、八神は名塚の口に、彼自身が着ているスウェットの襟首を押し込んだ。捲られた服から胸の突起が顔を覗かせ、八神がそれを指で摘めば、塞いだ口元の隙間から官能的な吐息が漏れる。  くぐもった喘ぎが、衣擦れの音と共に締め切った部屋に響く。  涙混じりの、艶を含んだ視線。八神の腕に絡む指。腰を動かす度に、びくびくと跳ね上がる身体。  声という手段を失ったぶん、全身で快感を現す名塚はこれ以上ないくらい扇情的で。 「……だから、嫌なんだ」  その言葉が、八神の口をついて出ていた。そのまま名塚に覆い被さり、より深く繋がって奥を穿つ。 「だから嫌だったんだ、おまえが、うちに泊まりに来るの……っ。こうなるの、目に見えてた」  自分が、剥き出しにされるのを。 「ふぁ……っ、と、おるぅ」  快楽に溺れる名塚には聞こえていなかったのだろう。自分から口を放した名塚は、八神の首に腕を回し、切なげな声で懇願してくる。 「も、むり、イきそ……っ、なあ、キスしたい、とおるぅ」 「……っ、ああもう」こいつは、本当に。  快感と、それに勝る歓喜。  不安と、焦燥。自分の中の、ちっぽけな矜恃。  欲望に、衝動。どうしようもないくらいの、深い愛慕。  その想いの全てを飲み下すように、八神は名塚に口付けていた。抱き寄せる身体と同じように、深く。  名塚が、見境なく八神を求めてくる。なにも恐れず、自由に。欲するがままに。  それが狂おしいほどに愛おしくて、八神の自制心を奪う。他の誰にも、渡したくないと強く思う。  だから八神は、その度に見境なく名塚を抱くのだ。 「あっ、ああ、や、徹っ、とーるぅ」 「真……っ」 「とお……っあ、んん―――ッ!」  名塚が、どこにも行ってしまわないように。  深く、深く。その身体に、心に、刻み込むように。  * 「あけましておめでとうございます」  父と母が並び、その向かいに八神と名塚も座って、四人で食卓を囲む元旦の朝。 「え、朝飯ってパジャマで食うもんじゃねえの?」と寝間着姿のまま出て行こうとした名塚は八神が着替えさせたので、一応は四人とも私服姿で。  八神の母が用意した雑煮や煮物を誰より美味しそうに食べていたのも名塚で、「これってそこらの切り餅じゃなくて、ちゃんとしたのし餅すか?」とか、「煮物なんてここ数年食べてないっすよ、うちの親料理しないんで」などと言いながら、母との話に花を咲かせていた。  母も母で、「真くんが来てくれるっていうから、今年はお餅も多めにお願いしたのよ」なんて楽しそうに応じている。  毎年食べている料理は確かにおいしいと八神も思っていたが、それがどこで頼んだ餅かとか、どうやって作られてるのか、なんて考えもしなかった。こういうことを自然にやってのけるのが名塚なのだ。  こんな嬉しそうな母の顔を見たら、悔しいが、やはり名塚は純粋にすごいと思わざるを得ない。まあ決して本人には言わないけれど。  名塚と初詣に行く、と言った時も、家に連れてくる、となった時も、どちらも父と母は嬉しそうだった。実際昨日だって、名塚を混じえて四人で楽しく過ごした。今まで、心配をかけたくない一心であまり自分のことを話してこなかった八神だが、親とはそういうものでもないのかもしれない、と思い始めていた。世の中、手がかかる子ほどかわいいとも聞く。まあ名塚は少々奔放すぎる気がするし、現実として名塚の両親が彼をどう捉えているかはわからないが。  すぐ調子に乗る名塚はともかく、父や母にはもう少し素直に感情を伝えられるようになろうと、八神は雑煮の汁を啜りながら、ひとり今年の抱負を決めていた。  うん、やはり母の味は今年もおいしい。 「すんません、家族水入らずのところにお邪魔しちゃって」 「そんなことないわ、誘ったのはこっちの方だし。真くんがいると徹さんも嬉しそうだし」 「母さん、俺はいつも通りです」  素直になろうとした矢先に母がそんなことを言ってくるので、八神は虚勢で返すことしかできなくなっていた。そしてそれは、当然のように笑って流される。 「真くんのおかげで久々に賑やかで楽しかったわぁ。昨日はよく眠れた?」 「はい、そりゃもう。徹ともいっぱいできてよかっ、いてっ」  言葉の途中で、八神は思い切り名塚の足を踏んでいた。素知らぬ顔で、「いっぱい遊んで、だよな」と切り返す。 「すみません、二人とも。真が騒がしくて」 「え、俺だけかよー。徹もよさそうだっ、いってぇ」  もう黙れ、とばかりに八神はもう一度踏み付けた。当たりどころが悪かったらしく、名塚が小声で「踏みすぎだろ、徹っ」と抗議してきたが、完全に向こうの自業自得なのでこれは無視をした。おまえは黙っててくれ。頼むから。 「昨日は結構遅くまで遊んでいたのかい?」  そう尋ねたのは、今までにこやかに相槌を打つくらいで、あまり会話に参加していなかった八神の父だ。 「ああいや、うるさいとかじゃないんだけどね、なんだか夜遅くまで物音が聞こえたものだから」  ごくりと、八神は咀嚼していた餅を強く飲み込んでいた。昨晩遅くに二人がしていたことなんて言わずもがなだ。 「え、あ、いや」  直接的な問いかけにさすがの名塚も肝を冷やしたのか、二回も足を踏まれたあとだから自重しているのか。  どちらにせよ、この場を上手く切り抜けることなんて名塚には荷が重すぎるだろう。 「いや、それはですね父さん」八神がその先を言おうとした矢先のこと。 「やあねえ、あなた」  母が、八神の言葉を制していた。 「徹さんたちはもう高校生なのよ。大晦日の日くらい夜更かしして遊んだりもするでしょう。枕投げとかして。ねえ? 徹さん、真くん」 「えっ、まくら?」 「父さん、ちょっとそこの台拭きを取ってもらえますか」  これは、もはや。  居た堪れなくなった八神は、父から台拭きを受け取り、机を黙々と拭き始めていた。さて、どうしたものか。 「え、なにしてんの徹。そこ別に汚れてなくね?」  こちらを覗き込みながら名塚がそんなことを囁いてきたが、これもやっぱり無視をする。  考えた末に、八神が出した結論は。 「ええ、まあ」  眼鏡の位置を正し、何事も無かったかのように口を開く。「真が子供のようにはしゃいでなかなか寝なかったもので、仕方なく」  全面的に、母の言葉に乗っかることだった。 「え、俺のせいかよー。徹だって、っつーか俺たち枕投げなんて、いっっってえ!」  八神が渾身の力を込めて足を踏めば、名塚が声高に苦悶する。  そんな二人の心境をわかっているのか、いないのか。目の前の母は、ただ穏やかに笑っていた。 「本当に、徹さんは真くんといると子供みたいになるわね。小学生の頃に戻ったみたいでなんだか楽しいわ」 「母さん、俺はいつも通りです」 「おばさん、徹は小学生の頃のが可愛かったよ」  八神が隣を睨めつければ、名塚がさっと足を避ける。  父と母は、やはり笑顔でそれを見守っていた。 「でも、その割には今朝も早くから起きていなかった?」  母がふと、そう切り出す。「真くんはお寝坊さんだって徹さんから聞いてたから、今朝ももっとゆっくりかしらねえなんて思ってたんだけど」 「えっ、あ、いや」 「いや、それはですね母さん」 「なにを言ってるんだ、母さん」  今度は父が八神を制していた。先程の母同様、やはり穏やかに、かつ流れるように。 「徹は朝型で、早起きの習慣がついているじゃないか。大方徹が起きたら真くんも起きてしまって、二人で朝から遊んでいたのだろう。枕投げとかして。本当に二人は仲がいいなあ。なあ? 徹、真くん」 「おばさん、このお雑煮ほんと最高。超うまいっす」 「ああ、本当に。母さんの雑煮は最高だ。最高すぎて早く食べ終わってしまうよな? よし、初詣に行くぞ、真」 「お、おう。そうだな、徹」  一刻も早く、この場から立ち去りたい。  しかしそんな八神たちの努力も意に介さず、二人はやはり鷹揚に微笑んでいる。 「おやおや、餅は急いで食べるものではないよ、徹。喉に詰まらせたら大変だ」 「そうですよ、徹さん。それにおかわりもいっぱいあるのよ? たくさん食べていって。ね? 真くん。なんならもう一枚お餅焼く?」 「は、はあ……、えっと」  名塚としても、苦笑いするしかないのだろう。  八神が極力そちらを見ないようにしたのは、しおらしい名塚、なんてものを目にしてしまったら、また余計な煩悩が顔を覗かせると思ったからだ。父と母の前で、これ以上の醜態は避けたい。  父と母にもう少し素直になるのは努力するとして、時と場合は弁えよう。  自制しよう。  そしてしばらく、こいつを家に泊まらせるのはやめよう―――。  よし、今年の抱負は決まった、とばかりに八神が雑煮の汁を一気に飲み干せば、助けを求める名塚が、その決意を揺るがすかのように袖を引いてくる。 「とおるぅー……」 「………」  ああ、俺はこうして今年もこいつに流されるのか。  新年早々に出鼻をくじかれ、八神は、頭が鈍く痛むのを感じたのだった。
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