20 「これまで」そして「これから」 *

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20 「これまで」そして「これから」 *

「おーい靖羽(やすは)、これはどこに置けばいい?」 背後から呼びかけられて、靖羽は運んでいた段ボールを床に下ろして振り返った。段ボールを抱えた藤堂(とうどう)が、がらんとしたリビングの入り口で立ち往生していた。 「ごめん、場所書き忘れてた。洗面所にお願いします」 「うぃっす」 藤堂が来た廊下を引き返していく。上背のあるその背中に「ありがとう」と靖羽は改めて声をかけた。 ぐるりと部屋を見回す。真新しいダイニングテーブルとチェア、数個のキャビネットが無造作に置かれたまっさらなリビング。部屋の隅には大量の段ボール箱が積まれている。 今日からここに、(だん)と二人で住む。恋人としての共同生活が、今日から始まる。 三週間前、暖と晴れて恋人同士の関係になってからすぐに部屋を探した。五月という半端な時期ということもあってか、物件数自体はそれほど多くなかったものの、ちょうど運良く空きが出たこの物件に申込みを通すことができた。靖羽の勤務先の病院から近く二人で暮らすにも十分な広さがあるこの物件は、駅から少し遠く築古ではあるものの、それゆえに家賃が相場より控えめだった。 暖と休みの合う日曜日に引っ越しをすることに決めた。そのことを藤堂に報告したところ、「手伝うよ、引っ越し。俺車あるし」と手伝いを申し出てくれたのだった。靖羽は元々物が少ないほうだし、暖もまた引っ越しを機に貰い物などをかなり処分したようで、藤堂のバンにすべての荷物を積み切ることができた。 「靖羽さーん」 再び声をかけられて、靖羽は声の方向を再び振り返る。今度は(りょう)が二つ重ねた段ボールを器用に抱えて立っていたいた。 「これ、寝室っすよね? 服って書いてあるし」 「うん、寝室で大丈夫。ありがとう。……それ、結構重くない? 二つも重ねて大丈夫?」 「大丈夫っす。けっこう鍛えてるんで」 にかっと陽気に笑って、遼は寝室に続く廊下に消えていく。 てっきり藤堂が一人で手伝いに来るものだと思っていたから、迎えのバンの助手席に遼がいるのを見て靖羽は驚いた。「あきら」で出会ってから店外でも会って遊ぶ関係が続いているとは聞いていたが、思った以上に仲がいいようだ。そろそろまた彼氏が欲しい、とぼやいていた藤堂の姿を思い出す。このまま遼とうまくいってくれたらいいな、と靖羽は自分のことのように期待を持つ。 ふう、と息をついて、改めて部屋を見回す。 決して広くも新しくもないけれど、これから自分と暖が一緒に生活をし、恋人として関係を深めていく部屋。そう考えると、喜びと期待と不安がないまぜになって心がふわふわと浮足立ってしまう。 再会して以来、自分の告白をかわし続けて煮えきらない態度の暖に焦燥感と苛立ちを感じ続けた三週間だった。明確な返事を避ける曖昧な態度に、もう暖の気持ちは自分にないのではないかと失望し、長年の彼への気持ちを諦める決心をつけようとしていたさなかで、暖がついに気持ちを聞かせてくれた。恋人を作ることへの怯えや恐怖心がどうしても拭えないこと、それでも自分と一緒にいたいということ。まっすぐに吐露された暖の言葉を靖羽が受け止めて、初めて自分たちの関係に「恋人」という明確な名前がついた。 交際を始めてからのこの三週間は、毎日まめにメッセージを交換して、少しでも時間があれば電話をかけて互いの声を聞き、他愛のない話をした。生活リズムがもはや真逆に近いということ、単純に靖羽が激務ということもあり、実際に会えるのは週末や暖の仕事終わりの平日深夜など限られた時間だけだったが、それでも愛おしい暖と一緒にいられる時間は幸せで、身も心も融けてしまうのではないかというほどの高揚感を感じていた。 そして今日からは、暖と同じ部屋に暮らし、同じ部屋に帰り、同じベッドで眠る。 同棲を決めたときも、部屋を決めたときも、旧居で荷造りをしていたときもどこか夢のようで現実味を感じられなかったけれど。こうして少しずつ自分と暖の持ち物を新居に運び入れていくと、少しずつ実感が湧いてくるような気がする。 すでにだいぶ多くの荷物を部屋に運び入れており、搬入作業もおそらく終盤だろう。早く作業を終わらせて、藤堂と遼を解放してやりたい。リビングから廊下に出ようとしたところで、玄関側から来た人影と危うくぶつかりそうになる。 「お……っと、」 「わっ、靖羽、ごめん! 前見えてなかった」 二つ重ねた段ボールの上からひょこりと暖が顔を覗かせる。 「危ないでしょ、無理して重ねちゃ」 「だって……遼くんがやってたから、真似したくなっちゃって」 「マッチョと張り合わないで」 靖羽は段ボールを引き取ってリビングに運び、すでに積み上がっていた段ボールの山の一番上にそれを置いた。 「ありがと。……これで終わりだね、荷物の搬入」 「あ、ほんと?」 「うん。このあと藤堂くんと遼くんが運んできてくれるやつで最後だよ」 「すごい……思ったよりもずっと早く終わったね」 「ほんとにね。二人にはちゃんとお礼しなきゃ」 暖はふう、と息をついて手の甲で額を拭った。白い額がじんわりと汗で濡れていて、前髪が数束張り付いていた。思わず手を伸ばして、張り付いた前髪を指先でそっとよけてやると、暖は照れくさそうに笑って「ありがと」とささやいた。 「……これ、やっぱすごくいいよね」 「え?」 「テーブル。床の色ともすごく馴染むし、これにしてよかった」 暖の視線は、キッチンカウンター前に置かれたダイニングテーブルに注がれていた。 温かみのある自然木でできた、円形のテーブル。二人暮らしにぴったりなコンパクトサイズのそれは、週末に一緒に訪れたインテリアショップで暖が選んでくれたものだった。 「……うん。俺、丸いダイニングテーブルって初めてだったけど、思った以上にしっくりくるね。ころんとしてかわいいし」 「でしょ。僕、テーブルは丸いやつがいいなってずっと考えてたんだ。ほぼ横並びで近い距離で食べられるし、ちゃんと顔も見えるし」 そう言って暖ははにかんだように笑った。そんなことを考えて丸いテーブルを選んでくれたのかと思うと、愛おしさで胸がきゅんと甘く疼く。 ダイニングテーブルをはじめ、ソファやベッドなどといった大型家具はほとんど今回新しく買い揃えた。ワンルームで一人暮らしを始めたばかりだった靖羽はそもそも大型家具の類を持っておらず、暖は暖で旧居のマンションで使っていたものをすべてそのまま旧居に残してきたからだ。 暖の退去に伴い、部屋を借りてくれていた暖の客がそのまま部屋を別宅として使うことになったという。「(けい)くんが使いやすいように、使える家具はできるだけ残していこうと思うんだ。テーブルにしろベッドにしろ、もともと圭くんが買ってくれたものだし」と暖は話していた。靖羽としても、他の男が暖に買い与えたものは極力新居に入れたくなかった。 とりわけ、暖が過去に他の男と肌を重なるのに使ったであろうソファやベッドは、暖がなんと言おうと新しく買い揃えたいと主張するつもりだった。だから、暖の方から買い替えを提案してくれて靖羽は内心ほっとしてもいた。 「暖さん。前のマンションの鍵の返却ってまだだよね?」 「うん。大家さんじゃなくて、圭く……ええと、部屋を借りてくれてたお客さんに返すから」 「俺も立ち会おうか。返すとき」 「え……? いや、大丈夫だよ。お店に来てもらうついでにその場で返すだけだし」 暖は「心配しないで」と微笑んだ。 はっきりと言葉にはできないけれど、靖羽はもやもやと黒い靄のような不安が胸に渦巻くのを感じていた。 高級マンションの部屋まで借りてくれるような客のことだから、暖への執着心もきっと半端なものではないはずだ。暖が店を辞めるからといって、すぐに暖への気持ちの整理がつくものなのだろうか。これで最後だと思ったら、何か思い切ったことをしてくるかもしれない。ましてや、店を辞める理由が「男ができたから」だと知られたら。 「……約束して」 「え?」 「絶対にそいつと二人きりにならないで。もしアフターとか同伴するってなっても、密室とか周りの目が届きにくくなるところには絶対に行かないで。鍵の返却ついでに部屋の状態確認したいとか言われたら、俺も一緒に行くから必ず連絡して」 「靖羽、そんなに心配しなくても……」 「お願い、約束して。わかった?」 暖は戸惑った様子だったが、靖羽の真剣な様子にやがて「わかった」とぎこちなくうなずいた。 二人の間に沈黙が落ちる。暖が戸惑っている様子が嫌でも伝わってきて、靖羽は耐えきれずついと視線を逸らした。 「……藤堂たちの様子、ちょっと見てくる。暖さんはここで……」 「靖羽」 暖に背を向けて廊下に出ようとしたところで、後ろからとん、と軽い衝撃を感じてよろめく。後ろから回された暖の腕が腰のあたりでするりと交差する。 「ごめんね。不安な思いさせちゃって」 暖が靖羽の背中に顔をうずめるようにして、くぐもった声で言った。 「……まあ、大丈夫。あと二週間くらいだし」 「二週間もないよ。十日くらい。そしたらもう、夜の仕事はしない。最後の出勤日までちゃんと気をつけて、靖羽が心配するようなことが何もないようにする。だから、大丈夫。ね?」 「……うん」 暖の力強い言葉に、背後から感じる愛おしいぬくもりに、こわばっていた心身から少しずつ力が抜けていくのを感じる。 身を翻して、正面から暖の顔を見下ろす。ぱちりと視線が合う。今日は目のきわの部分を中心に、目元がほんのり上気したように淡いピンク色をしているように見える。いつもと違う化粧を使っているのだろうか。まるで泣いたあとのようにも見えるその目元は、思わず背筋がぞくりとするような底知れない色気を孕んでいて。シーツの上で自分に体を開かれて、甘くすすり泣く暖の姿がふと脳裏に連想される。 思わずかっと下半身に熱が宿りそうになって、靖羽は暖の体をぐいと優しく引き剥がした。予定が合わなくて一週間ほどご無沙汰だったから、欲求が溜まっているのかもしれない。 「……そうだ、暖さん。これ」 靖羽は部屋の隅に置いておいた自身の鞄を探る。取り出したものを暖の手にそっと握らせる。 暖の手のひらにぴったりと収まった、ピンク色のころんと丸い陶器のケース。それは、暖が「靖羽を置いてもうどこにも行かない」という約束への担保代わりに、靖羽に持たせてくれていた遺骨ケースだった。中には、若くして亡くなった暖の最愛の妹、(はじめ)の遺骨が入っている。 「あ……春の、」 「返すよ。これからは一緒の家に住むし、それに……あんたはもう、俺の前からいなくならないだろうって、ある程度納得がいったから」 「……うん」 暖はこくりとうなずいて、優しい手つきでそっと骨壺を撫でた。 「春、僕引っ越したよ。靖羽と一緒で……初めての同棲をすることになったよ」 「きっと春さん、ずっと見てくれてるよ」 靖羽の言葉に、暖はきゅっと下唇を噛み締めながら、それでもなんとか微笑みを浮かべて再びこくりとうなずいた。 「そういえば、お墓参りのほうは定期的に行ってるの? 春さんと、ご両親の」 「……実は、あんまり行けてないんだ。長野に帰るの、なんだか後ろめたくて……箏もやめてしまって、春のこともちゃんと守ってあげられなくて、両親にも合わせる顔がないなって思うと、つい足が遠のいちゃって」 「最後に行ったのっていつ?」 「もう、二年か……三年くらい前かもしれない。ここのところ、ずっとあっちには帰れてない」 暖はうつむいた。 やはりそうだったのか、と靖羽は合点がいく。 暖を探していたこの数年間、暖の両親と春が眠る墓地を何度も訪れた。桜佳苑(おうかえん)に帰ってはこれなくても、家族の墓参りには来ているかもしれないと思ったからだった。けれど、いつ訪れても墓には誰かが訪れた気配はなく、墓石には枯れ葉が積もり周囲は雑草が生え、端的にいえば荒れてしまっているような状態だった。 「近いうち帰らないとな。もう何年もお墓参りしてないから、きっと荒れちゃってるだろうし」 「利羽(としは)が、」 「……え?」 「利羽が、まめにお墓見てくれてる。俺も帰省のたびにお線香上げたり、掃除したりしてるけど……基本的にあいつが月一くらいで見てくれてるよ」 「……利羽さんが」 ぽつりとつぶやいた暖の声が細くかすれていた。 靖羽とは十以上も年が離れた、腹違いの兄。暖にとっては幼馴染かつ元上司で、そして一時期体の関係を持っていた因縁の相手でもある。暖が屋敷を出るきっかけになった相手でもあり、暖にとってはもしかしたら思い出すことすらあまりしたくない相手かもしれない。 靖羽としても、利羽が暖にしたことは一生かかっても許せることではなかった。今でも特別仲がいいわけではない。けれど、暖が屋敷を出ていってしまってから、利羽は目に見えてふさぎ込むようになった。暖にしたことや言ってしまったことを悔いて、「せめてもの詫びになれば」と彼が暖の家族の墓をまめに訪れて掃除や供え物をしていたこと。それだけは、暖に伝えておきたかった。 「だから、焦らなくて大丈夫。心の準備ができたタイミングで大丈夫だから」 「……うん」 「暖さんが帰れそうって思ったら、そのときは一緒に帰ろう」 暖は小さくうなずいて、そして「……ありがとう」と細くつぶやく。靖羽は宥めるように、慈しむように、暖の髪をそっと撫でた。いつも大抵下ろされているさらさらと柔らかい髪が、今日は珍しく後ろで無造作に束ねられている。シンプルな細いゴムからぴょこんと飛び出た短い髪の束を、靖羽は指先でくるくるともてあそんだ。 「髪、結んでるのもかわいい」 「ん……今日、引っ越しでいっぱい動くかなと思って」 「そういえば、なんで髪伸ばすことにしたの? これも垢抜けの一環?」 「……からかってるでしょ」 「そんなことない。すごく似合ってるし、かわいいよ」 直球の褒め言葉に、暖の頬がさっと淡く染まる。何年も店子(みせこ)をやってきて、容姿を褒められたり甘い言葉を囁かれることなどとっくに慣れているだろうと思っていたけれど、自分が何か言うたびに暖はこうして意外なほどに初心で素直な反応を返してくれる。あまりにもいじらしくて、愛おしくて、これは相手が自分だからなのかな、などと少しうぬぼれたくなってしまう。 ふと、耳の後ろ、生え際やうなじのあたりに髪が数束まとわりついているのが目についた。比較的短い毛で、束ねきれず落ちてきてしまったのだろう。 「ここ、ちょっとほつれてきてる」 「え? ……っ、ん」 うなじの部分を指先でそっと探った途端、白いTシャツの肩がぴくりと震えて暖がかすかに息を詰める。はっとして暖の顔を見ると、暖もまた自らの反応に驚いたように目を見開いていた。が、みるみるうちにその頬が桜色に染まる。 「……ぴくんってなった、かわいい」 「ぼ……僕も自分でびっくりした。体が、勝手に……」 「なにそれ、えっろ。もう一回触っていい?」 「や、やだよ……ちょっと、靖羽!」 うなじを探ろうとする靖羽から逃れようと、暖がくすくす笑いながら身をよじる。攻防を繰り返していたところで、廊下から声がかかる。 「いちゃこいてるところ失礼しますよー」 見ると、藤堂と遼が段ボールを抱えてリビングに入ってくるところだった。暖が靖羽の胸をぐっと強く押しのけて気まずそうに離れていく。 「いちゃこいてたわけでは……」 「いや、いいのよいいのよ。いちゃこきたくもなるっしょ。長年恋い焦がれた初カレと夢の同棲スタートだもんな。……これ、 リビングでいい?」 「う、うん……ありがとう」 藤堂と遼が段ボールをリビングの一角に積む。藤堂は手袋を外すと、腰に手を当ててぐいっと後ろに伸びをした。 「よーし、これで荷物は全部だな」 「藤堂、遼くん、マジでありがとう。こんなに早く終わるとは思わなかった。助かったよ」 靖羽に続いて暖が「ふたりとも、忙しい中本当にありがとう」と頭を下げる。藤堂は朗らかに笑った。 「全然っすよ。暖さんのことは俺も大学時代靖羽とずっと探し続けてきたから、なんだか他人事の気がしなくて。せっかくだからなんかちょっとでも関われたらなって思ってたんで」 「俺は普通に暖さんの奢りで焼肉連れてってもらえるって聞いたから来たっす」 「おい、遼太」 あっけらかんと言った遼を藤堂が肘で小突く。暖がくすくすと笑った。 「遼くん、ありがとうね。日曜はいつも出勤なのに、わざわざお休み取ってまで手伝いに来てくれて」 「こういうときのためのお休みっすから。暖さんお店辞めちゃうって聞いて、すげえ寂しかったんで……今日一日結構いろいろ話せて嬉しかったっす」 「なにそれ、かわいい。今日は食べたいだけ食べていいからね」 暖の言葉に遼が「やったー!」とガッツポーズをする。 靖羽は腕時計をさっと確認する。時刻はもうすぐ夕方五時を回るところだった。 「ちょっと早いけど、行きますか。焼肉」 「おう。あー腹減ったあ」 腹を押さえる藤堂の腕に遼が「俺もー」と腕を回してもたれかかる。 朝から引っ越し作業で存分に体を動かしたためか、まだ早い時間にもかかわらず靖羽も心地よい疲れと空腹感を感じていた。四人連れ立って、段ボールだらけの新居をひとまず後にした。 「それでー、(しのぶ)さんが全然折れてくれないんすよ。俺だって忍さんのこと抱きたいのに」 遼が七輪の上の肉をひっくり返しながら大仰にため息をついた。 繁華街のど真ん中にある、焼肉屋の半個室。入店してから時間は経過しているが、男四人で囲む焼肉ということでまだまだ箸の勢いは衰えず、常に肉を焼き続けている状態だった。上背のある靖羽や藤堂はもちろん人並み以上に食べはするものの、最年少の十代の遼の食べっぷりが中でも凄まじい。 「でも、いいんじゃないの? 今の状態で満足できてるなら。こないだもウケに目覚めそうとか言ってたよね」 暖が何杯目かわからないハイボールをあおって言った。少食な暖は数枚肉を口にしただけで、そのあとは野菜や一品物の小皿を時折ちょこちょことつまむ 程度で酒ばかり飲んでいる。次のグラスでとりあえずストップさせよう、と靖羽が内心で決意したところだった。 「満足……は、してるっすけど。忍さんすげえ上手だし。でも、やっぱ俺も男で、しかも今までほぼタチ専だったわけで! やっぱ、いいなあって思った相手は抱きたいじゃないっすか」 「どう来られても、俺は折れないからな。第一、暖さんの言う通り、ちゃんと満足できてるんだからいいじゃないか」 「だからーっ、しのぶさん、そういう問題じゃないんすよ!」 やいのやいのと言い合いを始めた藤堂と遼を、暖がにこにこと笑いながら楽しそうに見つめている。その手元の小皿に残った数枚の肉を指さして、靖羽は小声で問う。 「これ、もらおうか? 食べれそう?」 「ん、おなかいっぱいで無理そうだから、おねがいします」 さっと肉を暖の皿から自分の皿に移す。「ありがと」と微笑んで小声で囁き返してきた暖の唇がつやつやしていて、思わずどきりとする。肉汁のためかメイクのためかはわからなかったけれど、底知れない色気を放つそれに今すぐむしゃぶりつきたい衝動に駆られてしまう。 「ねえ、暖さんもそう思わないっすか?」 「へ?」 「やっぱり、たまにはタチやりたくなりません? 好きな人だったらなおさら!」 「おい遼太、やめろ。あんま暖さんに突っ込んだこと聞くんじゃねえ。靖羽もいて答えづらいだろうが」 藤堂が焦った様子で遼の肩を隣から揺さぶる。 暖はしばらく考えているようだったが、やがて「そうだね」と口を開いた。 「人によるんじゃないかなと思うけど……僕は、まあわからないでもないかな、遼くんの気持ち。僕はたぶん元々バイだし、男の本能として好きな人を抱きたいって気持ちはゼロではないし」 「やっぱそうなんすね! え、じゃあやっぱり、男相手でタチやったことも結構あるんすか?」 「……結構ってほどじゃないけど……まあ、少しは」 暖は短く答えてハイボールのグラスを傾けた。その横顔がぎこちなくこわばっているようにも見えた。 靖羽は顔に出さないようにはしつつ、内心では自分でも意外なほどに動揺していた。 暖も、挿入する側として男を抱いたことがあるのか。 はっきりと面と向かって聞いたわけではないけれど、暖は男性相手ではもっぱら下なのだと勝手に思い込んでいた。 この七年の間に、暖はどんな人と出会って、どんな体験をしてきたのだろう。 そして、暖の言い方から察するに、暖は自分のことも抱きたいと思っているのだろうか。本当は、自分に挿入される側であることに不満を感じているのだとしたら。 暖について、まだまだ知らないことがいくつもある。 離れ離れになっていた七年間という空白の期間を埋めるためには、まだまだ時間が必要なのだと思う。 暖との同棲生活が始まって、きっとこれからたくさん会話をして、一緒の時間を過ごして、少しずつ空白を埋めることができるだろうとは思うけれど。それでも、遠回りしてしまっていた七年間が惜しくて仕方ない。 離れ離れになっていた間に、何人の男が暖に触れたのか。 そんなことを考えると、腹の底の方に暗い炎が燃え上がって、いてもたってもいられなくなる。 「けど、まあ、一番は相手を喜ばせてあげるのが大事なんじゃない? セクシャリティって相手によって変わる人も多いだろうし……タチとかウケにあんまりこだわらずに、相手とちゃんと話し合って相手が喜ぶことをしてあげるのがいいと僕は思うよ。もちろん、遼くん自身に無理ない範囲でね」 「遼太、接客されてるぞ!」 「はっ! つ、つい……さすが暖さん……」 藤堂の突っ込みに遼がはっとして頭を抱え、テーブルに笑いが起こる。靖羽は暗い思考の海からうまく戻ってこられないまま、ぎこちない微笑みでその場をごまかした。 「にしても、これだけ生活リズム違うと予定合わせるのも一苦労だよな。デートとか、これまでちゃんとできてたのか?」 靖羽の様子の変化を敏感に察知した藤堂が、焼き上がった肉を靖羽の皿に取り分けながらさりげなく話題を変えて問いかけてくる。 「週末中心に、まあ……なんとか。金曜とか土曜に仕事終わりの暖さん迎えに行って、そのまま暖さんち泊まったりして。日曜は休み合うから一緒に出かけたりとか、そこそこ長めに一緒にいられるし」 「平日はなかなか厳しいよね。靖羽、朝早いし」 「うん。閉店後に会いに行くつもりで、結局俺が寝落ちちゃって……みたいなのばっかで。うまく起きていられても、そういうときに限ってお店がなかなか閉まらなくて暖さんが残業だったりとか。平日はなにかと失敗しがち」 「もう、めちゃくちゃわかるっす! 忍さんと俺もほんとに予定合わないし、寝落ちもしょっちゅうっすよ」 ビールをあおった遼がしみじみとうなずく。 「こないだなんか、チンコしゃぶってるときに忍さんが寝落ちたりして」 「お前もこないだ、せっかく乳首触ってやってたのに途中でぐっすり寝てたりしただろ」 「だってー、俺、忍さんのこと信頼してるから……好きだから、安心しすぎちゃったからこその寝落ちっすよ!」 「うるせえよ、そう言っときゃいいと思って」 「あはは、仲いいなあ」 言い合いの応酬を繰り広げる藤堂と遼に、暖が声をあげて笑う。 「靖羽もこないだ、ベッド入ってから危うく寝そうになってたよね」 「そうだっけ?」 靖羽はさらりととぼけてみせたものの、本当ははっきりと覚えていた。暖の仕事が終わるのを待って深夜や明け方にベッドに入るときは特に、仕事の疲れと眠気が一気に押し寄せてついうとうととしてしまうことが多い。 けれど、いくら親しい相手とはいえ、暖との性的な営みに関する内容を他の人間に話すことに抵抗があった。 特に藤堂には、同じタチ同士ということもあってこれまで自身の性体験についてもかなりオープンに打ち明けてきてはいる。けれど、暖との秘め事については、ちゃんと秘め事のまま暖と二人だけで共有していたかった。 初めて本気で愛した、初めての恋人だからこそ、大事にしたかった。 「まあ、なんだかんだでまだぺーぺーの研修医一年目だからな、俺達。靖羽のところも大病院でがっつり当直あるから、忙しいし生活リズムも崩れがちだし。暖さん大好きなのはわかるけど、あんま無理すんなよ」 「その言葉そっくりそのまま返すよ、藤堂。過労の末に腹上死なんて笑えないからな」 「うわーめんどくさいな、腹上死。俺、実家の親兄弟にカムアしてないから後始末頼むわ」 「やだよ。そして死ぬ前提で話を進めるな」 靖羽は焦げそうになっている焼肉を遼と藤堂の小皿に取り分けながら言った。 二人の話を黙って聞いていた遼と暖が顔を見合わせる。 「多忙なお医者様たちに無理させないよう、僕たちもがんばらないとね」 「そっすね……腹上死とかマジで怖いし、ちょっとエッチの頻度落としたほうがいいのかな……」 「遼太、やめてくれ、俺から癒やしを奪わないでくれ」 悲痛な声で言った藤堂が遼にむぎゅっと抱きつく。藤堂の腕が当たりそうになっている皿をさっと避けてやりつつ、暖は楽しそうに声をあげて笑う。 暖が隣でこうして楽しそうにしているだけで、その笑顔を見るだけで、こんなにも心が温かくなる。 幸せを噛みしめながら、靖羽はウーロンハイのグラスをあおった。 手を繋ごうとそっと伸ばした指先が、暖の指先にこつんとぶつかる。同時に手を繋ごうとしたことに気がついて、二人笑いながら指を絡めて手を繋いだ。 男四人で盛大に食べて飲んで焼肉店を出て、店の前で藤堂と遼と別れた。新居の最寄り駅まで電車に乗り、駅から新居までの長い帰り道を二人並んで歩いていた。 少し歩けば繁華街や高層ビル群がある都心の住宅街ではあるが、日曜の夜ということもあり道は人通りがまばらで静かだった。街頭に照らされた路地を歩きながら、繋いだ暖の手の温もりを右手で感じる。骨ばったその手は普段ひんやりと冷えていることも多いけれど、今日は酒のせいかじんわりと温まって少し湿っていた。 「にしてもほんと、すごかったね。藤堂くんと遼くん」 「プレイボーイ同士のカップルって感じだよね」 靖羽のコメントに暖が吹き出す。 「あはは、ほんとそれ。でもなんだかすごく楽しそうだったね」 「うん。思ったよりずっと仲良さそうでよかった。なんか俺まで安心しちゃった」 「藤堂くんと靖羽、大学入ってすぐの頃からずっと仲良しなんだもんね」 「うん。もう六年とか、七年の付き合いになるかな。――あいつ、ここんところずっと彼氏ほしがってたから、遼くんと上手く続くといいんだけど」 「遼くんのタチやりたい問題、うまく二人の間で折り合いつくといいんだけどね」 暖がくすくすと笑いながら言う。それをきっかけに、靖羽は先ほどの暗い思考の海に再び引き戻される。 「……ねえ、暖さん」 「なあに?」 「暖さんも、俺のこと抱きたいと思ってるの?」 唐突の問いに驚いたように、暖が目を丸くしてこちらを見上げてくる。意識的に目を合わせないようにして、靖羽はただただ歩き続ける。 「靖羽は、僕に抱かれたいと思ってるの?」 「……いや、俺はタチしかできないし……暖さんのことは、やっぱりとにかく抱きたいって気持ちしか」 「じゃあ、今のままでいいね。僕は靖羽に抱かれたいから」 「……本当に? でも、好きな人を抱きたい気持ちはゼロじゃないって、さっき……」 「抱きたいって言ったら、抱かせてくれるの?」 暖がふっと微笑んで見上げてくる。底知れない色気を孕んだそれに、思わずぞくりと背筋が甘く痺れる。 ゲイとしてのセクシャリティを自覚してからというもの、男性を受け入れる側になったことは一度もなかった。男性を抱きたいという強い欲望はあっても、抱かれたいという欲望はこれまでについぞ感じたことがなかった。 それは最愛の暖に対しても同じだけれど。 でも、暖が自分を抱きたいと考えているのなら、少し無理をしてでもそれを叶えてあげたいと思った。 愛おしい、かわいい、大切な暖。この人になら、自分の持っている何を差し出しても惜しくないと思う。 自分は過去に彼を傷つけて、泣かせてしまった。それを償うために、一生隣で彼を愛し抜くと決めた。暖が喜ぶことなら、なんだってすると決めた。 「……いいよ。暖さんが本当に望むなら、俺は暖さんに抱かれるよ。俺の処女、暖さんにだったらあげてもいい」 ぴたり、と暖が道の真ん中で立ち止まる。呆然とした顔でこちらを見つめていた暖だったが、やがてこらえきれないといったように盛大に吹き出す。 「っ、ふふふ……びっくりした、半分冗談のつもりだったのに、そんな真剣に返されるなんて思ってなかったから」 「……おい、俺は真面目に……」 「わかってる。僕のことを想って、真剣に考えてくれたんだよね」 繋いだ手を暖にそっと引かれて、再び夜道を歩き出す。 「……どうしよう。すごくうれしい。タチしかできない君にそこまで言わせるなんて、愛されてるってことでいいのかな」 「だから愛してるっつってんだろ。あんたじゃなきゃ、絶対にこんなこと言わないし考えもしない」 「……くれるの? 靖羽の処女。そんなかわいい誘い方したら、ほんとに奪っちゃいたくなるよ?」 「違う。奪われるんじゃなくて、あげるの。百パーセント俺の意思であんたに足を開くんだから」 「あはは、そこはこだわるんだね」 暖が楽しそうに肩を揺らして笑う。 「君の覚悟や気持ちはすごくうれしいけど、でも大丈夫。僕は君に抱かれて、君のを入れられるだけで本当に満たされるから。今のところ」 「今のところ?」 「また気が変わるかもしれないでしょ? そのときは改めておねがいするから。抱かせてって」 「あ、そう……」 冗談なのか本気なのかわからないおどけた調子で語る暖に、靖羽は脱力する。 「でもさ、暖さん、さっきタチしてたこともあったって言ってたじゃん。あれは、客相手にってこと?」 「そう。体の関係を持っていたお客さんの中に、抱かれる側がいいっていう人がいたから。ほんの数人だけど。そういうお客さんに対しては仕方なくタチやってたこともあったってだけ」 暖はさらりと答える。 途端、靖羽の胸の中の靄が濃くなる。 再会してからこれまで、聞きたかったけれど聞けなかったこと。 この七年間、誰とどんなセックスをしてきたのか。 かつて不能になるくらい傷ついて、性的な交わりに対して後ろ向きだった心をどう克服したのか。 けれど、繊細な話題だけにどうやって切り出したらいいのかわからなかったし、答えを聞くのが怖かった。もしかしたら暖も話したくないと思っているかもしれない。 黙りこくってしまった靖羽を、暖がちらりと見上げてくる。繋いだ手をゆらゆらと前後に揺らされる。 「靖羽」 優しく名前を呼ばれる。 「僕は、靖羽になら何聞かれても嫌じゃないよ」 まるで心を読んだかのような言葉に、靖羽は驚いて隣を歩く暖を見つめる。暖の横顔がふっと優しく緩む。 「君が知りたいことは、ちゃんと包み隠さず答える。たとえもうとっくに終わった、過去のことでも。恋人として、ちゃんとまっすぐ君に向き合って、正直でいたいから」 暖の言葉に背中を押されたような気持ちで、靖羽はやがてゆっくりと口を開いた。 「暖さん……あのさ、」 「うん」 「屋敷を出て、東京に来てから……今まで、彼氏とか彼女は一度もいなかったんだよね?」 「うん。一度も作らなかったよ」 「でも、男とのセックスはそれなりにしてきたっていう……そういう認識で合ってる?」 「……それは……まあ、大体合ってる」 「それは……みんな『あきら』の客なの? それとも、他に……いわゆる、セフレ的なのがいた?」 しばし二人の間に沈黙が落ちる。ごくゆっくりとした足取りで並んで歩く二人の頭上で、切れかけの街頭がちかちかと瞬く。 言葉を探している様子だった暖が、やがて口を開いた。 「僕が話す分にはいいけど、靖羽にとってもあんまり聞いていて気持ちいい話じゃないと思う。それでも聞きたい?」 確かに、聞くのは怖かった。だからこそ、今まで聞けずにいた。 けれど、離れていた七年間に暖がどんなふうに過ごしていたのか。できるだけありのまま、知りたいと思った。 「……聞かせてほしい。一緒にいなかった時期も、暖さんがどうやって暮らしていたのか……どんな男と関わってきたのか、ちゃんと知っておきたいから」 靖羽の言葉に、再びの沈黙が降りる。記憶の糸をたぐるように、暖がぽつぽつと話し出す。 「……こっちに来てからすぐ、『あきら』で働き始める前は、普通に外で飲んでて知り合った人と見境なくやりまくってた時期があった。お酒奢ってもらって、酔っ払って、そのままホテルとかトイレとかで……ほとんどの人がワンナイトというか一回きりだったから、顔も名前も全然覚えてない」 「それって、全部ウケとして?」 「そう」 「でも……暖さん、昔は全然勃たなかったし、その……すごくつらそうだったよね、男とやるの。それなのに……」 「ね、どうしてだろうね。僕も未だによくわからないんだけど……すべてを捨ててこっちに来て、なんにも持たない状態になって、知り合いも家族も誰もいない状態で一人で生きていくってなって。そうしたら、なんだかすごく空虚で、心が空っぽに感じて……寂しかったのかもしれない」 暖は少しうつむきがちに、ふっと笑った。 「好きでもない男に突っ込まれるなんてもう二度と嫌だったし、もうしなくてよかったはずなのに。それなのに、気がついたら毎晩出かけて誰かとヤってた。そのうちちょっとずつ痛いだけじゃなくてよさも覚えてきて、それでどんどんはまっていって……もうこのままウリ専でもして仕事にしてしまおうかな、なんて思い始めた頃に、知り合い経由であきらママに出会って、『あきら』で店子として働くことになったんだ」 穏やかに、けれど生々しく露呈される暖の過去は想像していたよりもずっと壮絶で、靖羽は言葉がなかった。呆然と黙りこくったまま、ただただ暖の隣に並んで暗い夜道を歩く。靖羽をしばらく窺っていた暖は、やがて再び続きを話しだした。 「『あきら』の店子になってからはだいぶ落ち着いて……仕事に打ち込むことで心が満たされていたし、ママも店子のみんなも本当にいい人ばっかりだから、寂しさとか虚しさを埋める必要がなくなったんだよね、きっと。誰彼構わずすることはなくなったけど、店子を頑張れば頑張るほど熱心なお客さんがつくようになって……代わりに、今度はお客さんとぽつぽつ体の関係を持つようになった」 「……枕営業ってやつ?」 「有り体に言えばまあ、そう。この数年で入れ替わりはあるけど、大体常に三、四人くらいのお客さんと体の関係を持って、お店に来てくれるように繋ぎ止める……まさに『枕営業』をやってた。君に再会するまでは」 「……それは、完全に売り上げのため? それとも」 「もちろん、そう。恋愛感情とかはもちろんないし、ただお店に来てくれることやお金を使ってくれることを期待して、体を差し出していただけ。……なんだか僕、昔からこんなのばっかりだよね。ほんと恥ずかしいよ」 暖は自嘲気味に小さく笑った。うつむきがちのその表情は、靖羽からは窺い知れなかった。 胸が苦しかった。 過去の話とはいえ、暖が寂しさを埋めるために不特定多数と交わっていたこと。何かしらの対価を得るために、好きでもない男に体を許していたこと。 もはやそれは性的なものへの依存や自傷行為といった、病的な側面があったのではないかとすら思ってしまう。 そして、その原点はかつての自分や利羽にあるような気もしていた。心も伴わないまま、欲をぶつけるようにして暖を凌辱して、体を暴いて、心をずたずたに傷つけて。 一人では負いきれないほどの傷。その痛みや苦しみを忘れるために、新しい傷を増やして、過去の傷を取るに足らないものだと思い込もうとしていたのかもしれない。 それならば。 「……暖さん、ごめん」 「どうして靖羽が謝るの?」 暖が戸惑ったように見上げてくるけれど、まともに視線を合わせることができなかった。 「むしろ、君には感謝しかないよ。こんな汚れた僕を愛してくれて、幸せを教えてくれて」 「……暖さんは……っ、暖さんは、汚れてなんかない、」 「君と想いが通じて、改めて体を重ねたとき……セックスって、こんなに気持ちよくて、幸せなものなんだって初めて知ったんだ。こんなにあったかくて、身も心も融けてしまいそうなほどに甘やかされて……あまりにも幸せで、そしたら……もう二度と君以外の人に体を許したくないって、愛情もなく乱暴に貪られるだけのセックスはもうしたくないって……強くそう思ったんだ」 「っ、暖さん、」 胸の上のほうにぐるぐると渦を巻いていた感情が増幅して、ついに行き場をなくしてせり上がってくる。限界だった。目頭が熱くなったかと思うと、とめどなく感情が溢れ出す。顔を見られる前に、立ち止まって隣の暖の肩を思い切り抱き寄せた。 「靖羽、」 「もう、俺しか知らなくていい。誰にも触らせない。もう二度と……あんたに寂しい思いや、つらい思いをさせない」 「……うん」 「俺が、あんたを守って、満たして、ずっと大事にするから」 声がみっともなく震えているのに、きっと暖も気づいていただろう。背中に腕を回されて、とんとん、と優しいリズムで叩かれる。 「靖羽」 「……うん」 「家に帰ろう。一緒に。シャワー浴びて、えっちして、一緒のベッドでくっついて寝よ」 白い光を放つ街頭から顔を背けるようにして、目元を手の甲で拭う。視線が合った暖が微笑みかけてくる。相変わらずのぽってりとした白いまぶたが愛おしいと思った。 「荷解きもしないとね。まだ一個も段ボール開けてないし」 「明日からがんばればいいよ。明日僕休みだから、日中できるだけやっておくし」 「俺も明日は早めに上がって帰ってくるよ」 肩を並べて、再び歩き出す。 一緒の家に帰るために、初めて一緒にたどる家路。幸せだ、と心から思った。 *** 段ボールにカッターの刃を入れて手前に引いたところで、寝室のドアが開いた。 「進捗どうですかー」 振り返ると、ゆるいシルエットのTシャツ姿の暖が寝室に入ってくるところだった。肩につくかつかないかの髪はしっとりと濡れていて、ぺたんとボリュームをなくしている。 「とりあえず明日着るものは出せたから、ひとまず安心かな。カーテンもつけといたよ」 「わ、ありがと。とりあえず今日はもう寝れるね」 外から帰ってきてから、暖と手分けしてキッチンや水回りなどの最低限の荷解きを完了させた。靖羽がシャワーを浴びている間に暖が布団やシーツなどを一通りセットしてくれていたので、暖がシャワーを浴びている間にと靖羽が寝室の荷解きを引き継いだところだった。 暖がゆっくりとこちらに近づいてくる。近くでよく見ると、暖が身につけているTシャツに見覚えがあった。 「それ、俺のじゃん」 「僕のTシャツとかガウン、どの箱に入れたか思い出せなかったから。借りちゃった」 靖羽が持っているTシャツの中でも比較的サイズが大きめのそれは、暖が纏うと特に輪をかけてオーバーサイズで、半袖のはずの袖は暖の肘のあたりまでをだぼっと覆い隠していた。裾は臀部をすっぽりと隠すほどに長く、その下からすらりとした白い太ももが伸びていて。 「……待って、パンツは?」 「ふふ……どうでしょう?」 暖が誘うように妖しく笑う。靖羽は立ち上がると、暖のTシャツの裾に下から手を忍び込ませて中を探る。柔らかい素肌の尻にぴたりと手が触れて、思わず反射で手を引っ込める。 「ちょ……っと、ちゃんと履いてきて、風邪ひくでしょ」 「どうせすぐ脱がされるのに?」 「だ……だって、まだ荷解きが……」 「着替えは最低限もう出したんでしょ? 続きは明日やればいいよ」 「ちょっと待って、せめてこれ片付けてから……」 潰した段ボールの山をそそくさと玄関に持っていこうとしたところで、後ろから力強く腰を掴まれる。暖の腕の中に後ろから抱きすくめられたかと思うと、無防備な股間を寝間着代わりの短パン越しにむにゅ、と柔らかく揉まれる。急所を掴まれて反射的にぴたりと動きを止めたところで、首筋に暖の温かい息がかかる。 「今すぐしたい。……待たせないで」 「ぅ……っ、だん、さん……っ、ぁ、っ」 熱く濡れた舌が首筋にぬるりと這わせられて、思わず背筋が震える。その間も手のひら全体を使って柔らかく股間を揉みしだかれて、あっという間に下半身に熱が集まっていく。 暖の腕の中でなんとか身を翻して、暖と正面から向き合う。ぎらぎらした目をして頬を淡く紅潮させた暖が余裕なさげにふっと微笑んで、どきりと心臓が高鳴る。少し身をかがめると、暖が噛みつくように激しく唇に吸い付いてくる。ぬるりと濡れた互いの舌が絡まって、一気に興奮が高まっていく。柔らかく動く暖の舌の付け根を舌先でなぞるように刺激すると、暖が鼻にかかった甘い喘ぎを漏らす。舌を絡ませて抱き合ったまま、二人もつれあうようにベッドに倒れ込んだ。 「暖、さ……、髪すごい湿ってる……ちゃんと乾かしたの……?」 「ん……だって……はやく君が欲しかったから……」 「だめじゃん、風邪ひくよ……ん、む、」 「ん……、っ、ふ……っ、ん、だめ、だめ、僕が上」 「は……?」 挿入に備えて暖の体を愛撫するために、いつも通り靖羽が暖の上にのしかかってその肌に触れようとしたところで、暖が身をよじって抵抗する。反射的にぱっと手を引くと、途端に跳ね起きた暖に肩を掴まれ、シーツの上に縫い付けられる。にやりといたずらっぽく微笑みながらこちらを見下ろす暖と視線が合う。 「今日はいっぱい君に触りたい気分なんだ」 「俺も……暖さんにさわりたいよ、」 「ふふ……だめ。僕が先」 くすくすと笑う暖にTシャツの裾を探られ、ごそごそと首元までまくり上げられる。露わになった胸の二つの突起を指先で柔らかくつままれる。 「乳首、どう? 感じるようになってきた?」 「ん……わからない……まだくすぐったいの域を出ない、かも」 「まあ……まだ三週間だもんね」 「でも、最近ちょっと乳首がはっきりしてきたというか……大きくなってきた? ような気がする」 「確かにぷくっとしてきたかもしれないね。……んふふ、かわいい……」 嬉しそうに笑いながら、暖はすぼませた唇を靖羽の左の乳嘴に寄せて吸い上げてくる。ちゅっ、ちゅっ、と音をたてて唇全体でついばむように刺激してきたかと思うと、口を軽く開けて赤い舌先でちろちろと乳首の先を器用につついてくる。相変わらず快感らしい快感はてんで拾うことができないけれど、年上の恋人がまるで赤子のように自分の乳に必死に吸い付いている姿が目の前いっぱいに広がって、視覚的に興奮する。髪をそっと撫でてやると、暖が乳首を口に含んだままちらりと目線だけをこちらによこして、すっと目を細めて甘く微笑む。 「……かわいい、暖さん」 「……っ、は……っ、ずるいよ、こんなに吸ったり舐めたりしてるのに、そんな余裕で……」 「じゃあ、お手本見せて」 意地悪く囁いて、靖羽は自身の上に覆いかぶさっている暖の胸に手を伸ばす。痩せた胸にふっくらと浮いた乳輪をなぞるように触れると、慎ましく奥に隠れていた乳首がみるみるうちにぷっくりと膨らみその存在を主張する。水を含んだ種子のようなそれを指先で優しく転がして、爪の先で軽く引っ掻くように先端に刺激を与えると、暖が喉の奥で甘くむずかるような声をあげて腰をゆらゆらと揺らす。 「ん……っ、ぅ……ん……」 「暖さん、腰揺れてる。……気持ちいい?」 「ぅ……っ、きもちい……、っ、くやしいぃ……」 突き上げた腰をもぞもぞと揺らし、乳首への刺激に甘く喘ぎながら、それでも靖羽の乳首に必死に吸い付く姿がどうしようもなく愛おしい。 ふと、膝の少し上の腿のあたりにぴちゃ、と何か液体のようなものの気配を感じて、靖羽は軽く身を起こして下半身を窺う。自身の腿をまたぐ暖の股間、そこにある硬く張り詰めた陰茎が、透明な先走りの液体をだらだらと溢れさせ、糸を引いて靖羽の腿にこぼれ落ちているところだった。 「すっげえ量、」 「へ……?」 「我慢汁。今日すごい量多いけど、どうしたの? いつもより興奮してる?」 身を起こして暖の下半身に手を伸ばし、Tシャツの裾を軽くたくし上げると、下腹につくほどに強く勃起した暖の陰茎を手のひらでそっと包む。大量に分泌された我慢汁ですっかり濡れたそこは、ローションがなくても靖羽の手の中でぬるぬると滑り、数回上下にしごいただけで暖が甘い吐息をあげて身悶える。 「ん……ぅ、ん……っ、わかん、ない……けど、今日すごく興奮する……っ、」 「そうなの……? どうしてだろうね、新しい場所だから?」 「……っ、ふふ……そうかも、っ、あとね……ここでこれから靖羽と、たくさんするんだって考えたら……すごく、興奮しちゃって……」 「っ、なんだよ、それ」 照れながらも、熱に浮かされたように甘く語る暖があまりにもいじらしくて、むらむらと衝動が高まる。そのまま暖を押し倒そうとしたところで、今晩二度目の待ったがかかる。 「だめ……だめ、靖羽の触りたい……」 「でも……」 「言うこと聞きなさい」 唐突に年上の顔をして従わせようとしてくるけれど、快楽でとろんとした顔でろくに呂律も回っていない状態では逆に靖羽の劣情を煽るばかりだった。そんなことを言ったら、このかわいい年上の恋人がまたむくれてしまうから、わざわざ言葉にしては言わないけれど。 暖が靖羽の短パンに手をかけて、トランクスごと一緒に下にずり下げて脚から取り払う。完全に勃起して熱を持った陰茎が勢いよく飛び出して、暖が恍惚のため息をつく。竿の部分を上下にしごかれつつ、ぱんぱんに張った敏感な亀頭部分にちゅ、と濡れた唇を寄せられて、靖羽は思わず小さく喘いだ。 「ふふ……」 「人のチンコ眺めて何笑ってるの……?」 「靖羽はさ、なんか……ちんこもかっこいいよね」 「はい……?」 「太くてしっかりしてて、怖いくらいカリの段差があって、勃つとこう……ぐいーんと上向いて、亀頭もぱんぱんで……やっぱ、イケメンはこういうところまでつくりがいいものなのかな」 これまで自分の性器の造形について深く考えたことはなかった。せいぜい人より少し大きいかもしれないと自覚していたくらいだ。 少し戸惑うけれど、それでも暖が嬉しそうな顔で自身の性器を見つめて唇を寄せる様子を見ると、暖が喜んでくれるようなものを持って生まれてよかったなと思う。 暖は優しい手つきで、愛おしそうに靖羽の陰茎をゆるゆると上下にしごく。 「いつも気持ちよくしてくれて……ありがとうございます」 恥ずかしそうに小声で囁いた暖が靖羽の陰茎の先端にちゅ、と口づけたところで、靖羽の中で何かがぷつんと切れる。がばりと身を起こして、驚いている暖の肩を掴んで勢いよくシーツの上に押し倒す。 「ちょ……ちょっと、靖羽、まだしゃぶれてない!」 「なあ、今のって、俺に話しかけてたの? それとも、俺のチンコに話しかけてた?」 「……君のちんこにだけど?」 「なんで俺のチンコには敬語なの?」 「あ……なんでだろ……靖羽ほど会う頻度多くなくて、まだ他人行儀だから……かな……?」 「……っ、ほんと、あんたって人は……!」 最後のほうで笑いを堪えきれず、つい声が震える。 いつも穏やかで、面倒見がよくてしっかりしているかと思えば、変なところで抜けていて、無防備に隙を見せて甘えてくる。そのギャップに、ころころと変わる表情に翻弄されてしまう。 本当に、本当に、愛おしいと思う。 「ん……っ、あ、ぁ、やだ……これ、されたら……っ、すぐ、イっちゃうじゃん……!」 片方の乳首を口に含んで舌で刺激し、もう片方の乳首を指先で転がしつつ、空いた手を下半身に伸ばして陰茎を手のひら全体でしごく。複数の別々の刺激がもたらす快楽に暖が悶え、シーツの上で体をくねらせる。 「……最初に一回イったほうが、あとで中もっと気持ちよくなるよ?」 「ぅ……あ、っ、やだ……きもちよく、なりすぎるから……っ、潮噴いちゃうかも……、ベッド汚れちゃう……っ、新品なのに……!」 「タオルあるから大丈夫だよ。それに潮なんてこれからもいくらでも噴くんだから、気にするだけ無駄な気がするけど」 「ぁ、あ、ぁ……っ、待って、ぁ、も……だめ、ぅ、ん、ぅ、ぅ……ッ」 暖が息を詰めたかと思うと、張り詰めた陰茎がびくりと大きく痙攣し、先端から精液が勢いよく噴出する。つんと上を向いた陰茎が靖羽の手のひらの中でびくびくと激しく暴れるせいで、粘度の高い白濁の液体があちこちに飛び散る。 寝具を汚すくらいなら口で受け止めてしまおうと思い、ぱくりと口を開けて身をかがめる。その瞬間、不意に変な方向に飛んできた暖の精液が勢いよく顔にかかる。反射的にぎゅっと目を閉じて目を守った。 「わ……っ、」 「ぁ……っ、やすは、ッ、ごめん……! 大丈夫⁉ 目、入ってない?」 「目には入ってない。大丈夫だよ」 暖が絶頂の余韻でふらふらしながらも上体を起こし、ベッドサイドのタオルを掴んで顔を拭こうとしてくれる。靖羽はその手を掴んで止めて、じっと上目遣いで暖を見上げる。 「いいの?」 「へ……?」 「せっかく顔射したのに、そんなさっさと拭いちゃっていいの?」 「……あ……、」 靖羽の低く誘うような声に、暖の頬がみるみるうちに桜色に染まっていく。 「じ……事故だよ、わざとじゃない、」 「ほんとに? 狙ったんじゃなくて?」 「狙えるわけないでしょ……ごめんって、ほんと」 すまなそうに詫びながらも、暖が興奮を隠さない目つきでこちらを見下ろし、頬のあたりにそっと触れてくる。 「……なんか、すごくいけないことしちゃったような気分」 「いけないこと?」 「こんなきれいな顔を……こんな汚いもので汚して……」 「汚くないよ?」 靖羽は暖をじっと見上げたまま、まるで見せつけるように、唇の横の頬のあたりについていた精液をぺろりと舌先で舐め取る。 「今日はちょっと甘いかも」 「も、もうやめて……!」 耐えきれないといったように暖が叫んで、いそいそとタオルで靖羽の顔を拭き始める。目を閉じてされるがままになっていた靖羽だったが、突然正面からがばりと強く体を抱きしめられる感覚で目を開ける。 「もう……大好き」 「暖さん……?」 「かわいい……かわいい、僕の靖羽」 何かのスイッチが入ったのか、暖がすりすりと頬を寄せながらきつく上体を抱きしめてくる。一度達したためか、淡く熱を持ってじんわりと汗ばんだ体が愛おしい。首筋から石鹸と暖自身の体臭が混ざった香りがふわりと香って、ずくりと腰が疼く。下半身に集っていた熱の存在を一気に思い出す。 「暖さん、Tシャツ、」 「え……?」 「Tシャツにも精子飛んでたから、とりあえず脱いで。あとで新しいやつ出すから」 両腕を上げさせて、汚れたTシャツを暖の上半身から脱がす。すっかり素裸に剥かれた暖がもぞもぞと不安そうに体を縮こまらせ、靖羽のTシャツの裾をがしりと掴んだ。 「靖羽も、」 「え?」 「靖羽も脱いで。僕だけ裸なの……嫌だ」 囁くように乞われて、靖羽もまた自身のTシャツをおもむろに脱ぐ。 ベッドの上で二人、生まれたままの姿になって向かい合う。とろりと視線が絡む。どちらからともなく互いに手を伸ばし、素肌をまさぐりあう。そうしているうちにどうしようもなく興奮が高まって、唇を重ねて舌を吸いながらもつれあうようにシーツの上に倒れ込む。 「……っ、ん、ぁ……っ、」 「うわ、ここ……すごいとろとろ。頑張って準備してくれたんだね」 「ん……ふふ、お迎え準備ばっちりだよ、」 暖の柔らかい尻たぶの奥、秘められた蕾の部分は、すでにふんわりと柔らかくほぐれて濡れそぼっていた。ぷっくりと盛り上がった穴のふちにそっと指をかけると、中から粘性の高い液体がとろとろととめどなく溢れ出てくる。中にローションやオイルをふんだんに仕込んでくれているのだろうとはわかっているけれど、まるで女性の蜜壺のようにそこが自ら愛液を分泌しているような錯覚を覚えて、めまいにも似た強い興奮を感じる。 ベッドサイドボードに置いておいたローションのボトルを掴み、たっぷりと手のひらに中身を出す。こぼさないように気をつけながら、大量のローションを暖の肛門の周りに塗りつける。からかうように穴のふちを指先でくるくるとなぞると、暖がくすぐったそうに笑って身じろぐ。閉じかける脚をぐいと開いたところで、勢い余って指がつぷりと中に入っていく。 「ん、っ、あ……っ」 「わ、すっげ……ほぐしてないのにあっさり入ってく……」 「っ、言ったでしょ、準備万端だって……」 「でもちゃんとほぐさないと、」 差し入れた指に吸い付いてくる、どろどろに熱く濡れた暖の粘膜の感触に、正直なところ靖羽もかなり限界を感じていた。勃ちすぎて張り詰めた股間がじんじんと痛む。今すぐこの開きかけの濡れた蕾に欲望を差し入れて、思い切り花弁を散らしてしまいたい衝動に駆られる。 けれど、これからどんなことがあっても暖を傷つけないと決めた。体の交わりでは、痛みや苦しみを極力感じさせず、いっぱいの快楽だけで体を包みこんであげられるようにすると決めた。 「ぁ……っ、ん……ぁ、あ……っ」 「それに、俺……いれるまえに指で暖さんの中触ってるこの時間、けっこう好きなんだ」 「っ、え……?」 「暖さんの体の内側に潜り込んで、この……かわいいひだとか凸凹(でこぼこ)の一つ一つまで指先で感じて、」 「ぁ……っ、あっ、ぁ、っ」 「暖さんの内臓に、大事な臓器に直接触らせてもらってる、って考えると、なんか……すっげえ興奮する」 中の刺激に悶えながら、低くつぶやくような靖羽の言葉を聞いていた暖だったが、やがて困ったようにこちらを見上げてくる。 「……っ、お医者さんってさ……、ちょっと変わった性癖の人が多いとかって、言うけど、っ、さ……」 「別に医者だからあんたの体の中触りたいわけじゃない。あんたじゃなきゃ、こんなに深いところまで知り尽くしたいだなんて思わない」 「ん、っ、ぁっ、あっ、あ……っ、わかってる、わかってる……っ、ぁ、あぁー……っ、」 憮然として、わざと前立腺を狙って押しつぶすように腹側の腸壁をぐいぐいと圧迫すると、暖が細く甘く喘いで身をよじる。 中でしっかり快楽を拾う、淫らに熟れた暖の体。愛おしいと思う一方で、その背景に感じる過去の男の影に嫉妬のような感情を抱いてしまう。 「……っ、だんさん」 「ぅん……?」 「……あんたのこと、俺じゃないと満足できない体にするから。気持ちいいところ、もーっとたくさん開発して……俺しか知らないあんたの顔、これからもっと見せてほしい」 靖羽は低く囁く。後ろの蕾に三本目の靖羽の指を突き立てられ、シーツの上で身悶えながらも暖はふわりと扇情的に微笑んだ。 「っ、ふふ……もうとっくに君じゃないと満足できない体だよ? ……ほら、君にハメられるの期待して、ここもこんなびしょびしょで、」 「……水たまりできてるじゃん」 暖が指し示したその痩せた下腹部には、再び力強く勃起した陰茎から糸を引いてこぼれる我慢汁がたまって、透明な水たまりができていた。後ろに差し込んでいた指を一度引き抜き、靖羽はその水たまりを指先で掬うように触れる。透明なカウパーが指の間でとろりと銀の糸を引いた。 「こんなにほしくてほしくて……期待して、こんなに……女の子みたいに濡れるのは君が初めてだよ」 「……暖、さん」 「ね、靖羽……」 ほとんど吐息だけの、かすれた甘い声で名前を呼ばれる。暖がゆるゆると自身の脚を左右に大きく開いたかと思うと、両膝を胸に近づけるような形で裏から抱える。白い尻たぶの奥、ピンク色にぷっくりと充血して綺麗に縦に割れた蕾が露わになり、靖羽は思わずごくりと生唾を飲み込む。靖羽の指が入っていた名残で穴の中央がかすかに口を開けている、ほどけかけの蕾。それは靖羽の無遠慮な視線に恥じらうように、ぱくぱくと時折小さく震えて濡れた口を開閉させる。 「はやく、ちょうだい……ここに、」 「……っ、……っ、くそっ、」 普段は慎ましやかな暖の大胆な誘いに、一瞬視界がぐらりと揺らぐほどに興奮する。はあはあと荒い口呼吸をしながら、靖羽は逸る手つきでベッドサイドを探ってスキンの箱を取り出そうとする。 が、その手を突然がしりと掴まれて動きを制される。 「っ、なに!」 「……ゴム、つけないで」 「はあ⁉」 驚いて暖の顔を見つめ返す。うるんだ茶色の瞳が、まっすぐにこちらを見つめていた。 「今日は、生でいれられたい。靖羽の肌とか体温を、直接感じたい」 「だ……だめだよ、生は……だめ、」 「どうして? 中、念入りに洗ってきたからきれいだよ」 「そういう問題じゃない。俺、ちゃんと外で出せるか正直自信ないから……中に出したら、暖さんが腹壊しちゃう」 「あとでかき出せばいいよ」 「っ、でも……!」 靖羽の脳裏に、過去の記憶が蘇る。 忘れもしない、暖と初めて肉体関係をもった八年前のあの肌寒い秋の夜。「ゴムをつけて」と懇願する暖を力ずくで抑え込んで、泣いて嫌がるその体の中に生のまま挿入し、欲望のままに精液を放出した。 記憶から消し去って、なかったことにしてしまいたいほどに、最低で最悪な記憶。 あれ以来、スキンをつけずにセックスをすることに対して、靖羽は恐怖心にも似た気持ちを抱くようになっていた。行きずりの相手とはもちろんスキンをつけない選択肢は端からなかったけれど、再会した暖と恋人としてこうして体を重ねる中でも、これまでスキンをつけずに挿入をしたことは一度もなかった。 暖からも特に生でしたいと言われたことはなかった。だから、暖もスキンをつけずに挿入されるのが嫌なのだと思っていた。お互い唯一のパートナーとなったこれからも、常にスキンをつけて交わるものだと思っていた。 「靖羽」 優しく名前を呼ばれて、抱きしめられる。 「大丈夫。僕が望んで、僕の意思で、生でいれられたいんだから。靖羽の熱をもっと近く感じて、中で直接君を抱きしめたいから……だから、」 耳元で「靖羽、おねがい」と囁かれて、ぞくりと背筋が震える。 靖羽は大きく深く息をつくと、暖をそっとシーツの上に横たえさせる。壊れ物を扱うように、ごく優しく。 ゆっくりと、暖の上にのしかかる。ぎしり、とベッドが軋んだ。 「……大丈夫なの、本当に」 「うん。あわよくば中にも出されたい」 「中には出さない」 ぴしゃりと言った靖羽に不満そうに唇を尖らせつつも、暖が再び脚を開く。膝が胸につくほどに脚を折りたたんで、尻たぶに手をかけて自ら左右に割り開く。熟れた蕾が左右に引っ張られて、ぱくりと口を開く。 「……ください、」 喘ぐように囁く暖の声に、脳が焼ききれそうになる。靖羽は追加のローションを暖の後ろの穴と自身の陰茎にそれぞれたっぷり塗りつけた。陰茎に右手を添え、亀頭部分をぴとり、と暖の蕾に触れさせる。暖のぷっくりとしたアナルの感触を敏感な亀頭で生々しいほどに感じて、腰のあたりにぞくぞくと甘い電流が走る。咥えるものを欲しがるようにぱくぱくと開閉を繰り返すその濡れた穴に、少しずつ、少しずつ、張り出した亀頭を埋め込んでいく。 「ん、ぅ、ぁ、あっ、あぁぁあ……、ッ」 鼻にかかった暖の喘ぎに苦しそうな様子がないか、指を絡めた手が痛みにこわばっていないかを確認しつつ、ゆっくりと腰を進める。やがて腸の奥の深い部分、ぴったりと閉じられた部分に軽く亀頭が当たる感覚を感じて、靖羽はふうう、と細く大きく息をついた。 「……全部入った、」 「は……っ、靖羽の生ちんぽだ……うれしい……」 そそり立った肉棒で深々と貫かれながら、暖は嬉しくて仕方ないといったふうに口元を押さえて微笑む。その姿に、緊張していた靖羽もついふっと笑みをこぼす。 「やばい……すーっごく、あっついよ、」 「わかるの? 温度、」 「ん……全然ちがう。いつもよりずっとあっつくて、どくどく言ってるのがじかで伝わってきて……ぴたっと密着してる感じ、ふふ……」 確かに暖の言う通り、暖の柔らかな腸壁がぴったりと吸い付くように自身の陰茎を隙間なく覆い尽くして、熱いほどのぬくもりがそのまま伝わってくる。ひくひく震えて時折蠕動(ぜんどう)する暖の腸壁の動きさえありありと拾ってしまうほどだ。薄いスキン一枚がなくなるだけでこれほどまでに違うのか、と靖羽は感動すら覚える。 ゆっくりと腰を引いて、抜けそうになるぎりぎりのところでまた埋め込む。奥に行きすぎず浅すぎずの中ほ どでゆるゆるとピストンを打ち込み始めると、すさまじい快感が腰から背骨を伝って脳まで駆け抜けて、靖羽は抗うこともできずに甘く喘いだ。 気持ちいい。おかしくなりそうなほどに、気持ちいい。 「っ、ぁ、あ……ぁっ、やばい、」 「ん、ぁあっ、あ……ッ、ん、ふふ……やすは、声でてる……っ、かわいい……」 暖に喘ぎ混じりに笑われて羞恥でかっと頬に血がのぼるが、過ぎた快楽にどうしても声を抑えることができない。 いつもはスキンの中にぴったりと収まって固定されるカリの部分が、暖の複雑な腸のひだや凹凸(おうとつ)に引っかかって刺激され、そのたびに背筋が震えるほどの快感が走る。 ずるずると蠕動する暖の腸壁に翻弄されて、かと思えばぎゅうっときつく抱きしめられて。 まるで、自分が暖に抱かれているような。そんな錯覚すら覚えてしまう。 「……っ、ぁ、は……ッ、ぁッ、暖、さん、」 「ん、ッ、ふふ……きもちいいね、よしよし……っ、ぁ、んッ、やすは、っ、かわいい……」 前立腺を責められる快楽で自身もすっかりとろけつつも、暖が優しくあやすように髪に触れてきて、そのまま上体を抱き寄せられる。汗ばんだ裸の胸同士がぴたりと重なって心地いい。かわいい、かわいいと連発されるのがなんだか少し悔しくて、靖羽は斜め下から抉り上げるようにしてごり、と暖の腹側の腸壁を突き上げる。途端、組み敷いた暖の痩せた体がシーツの上で弓なりにしなって、暖が喉の奥から細く甘い嬌声をあげる。 「んッぁああ、ぁッ、そこ、すっごくすき……っ」 「は……っ、知ってる、」 暖の前立腺が隠れているべき場所を、浅いストロークで集中して何度も突き上げる。張った亀頭部分でごりごりと抉るほどに、中の粘膜が狂ったように収縮して暖の快楽のほどを靖羽に伝えてくる。 「あ、ぁああぁ、ッ、あっ、あッ、靖羽、ま……って、出る、でるッ、なんかでる……っ」 「っ、ふふ……どっちが出るのかな、」 靖羽の笑い混じりの問いに暖が「わかんない」と涙声で悲鳴をあげたところで、暖の陰茎がびくりと大きく震える。一拍遅れて、その先端から透明な液体がぱしゃぱしゃと溢れ始める。靖羽は突き上げる腰の動きは止めずに、ベッドの上に何枚か持ち込んであったバスタオルを引っ掴み、溢れる潮がシーツにこぼれていく前に次々に拭き取っていく。 「……っ、ぁ、あッ、ぁぁあっ、なんか、最近……っ、いっつも、っ、潮噴いてる……っ」 「……いいじゃん、エロいし」 ピストンの角度と速度を少し緩めたせいか、暖の鈴口から噴き出す潮の量は穏やかになっていくものの、靖羽が腰を突き入れるたびに相変わらず少量の透明の液体がぷしゅぷしゅと鈴口から溢れ出る。 「……ん、っ、そのうち……っ、漏らしちゃいけないやつ、も……漏らしちゃいそうで……ッ、怖い……」 「大丈夫、潮とおしっこって成分大体同じだから」 「……ッ、そういう問題じゃ、ない……っ!」 暖が憤慨して、力の入らない脚をばたつかせて靖羽を蹴ろうとしてくる。暴れる脚のふくらはぎ部分を掴んで、苦しくさせない程度にぐいと深く折りたたむ。先ほどよりももう少し深くまで埋め込んで、固く閉じた結腸の少し手前まで届くくらいの深めのピストンを打ち込み始める。ストロークを長く取って、カリの部分が前立腺もかすめるようにしてやれば、暖の陰茎がぷしゃ、とまとまった量の潮を吐き出す。 「ぁ……あ、っ、ぁあぁ、あッ、すごい、っ、深い……っ」 「は……っ、はっ、痛くない……?」 「いたく、ない……っ、あ、ぁ、ぁあ……っ、きもちい……っ、ぁッ、だ、め、だめ……っ」 吐き出される潮の量が急に少なくなったかと思うと、暖の白い内ももががくがくと細かく震え、中の粘膜がぎゅうう、と激しく収縮する。 ドライオーガズムを迎えるといつも、暖の直腸は中に咥えこんだ靖羽の性器を絞り上げるようにきつく狭く締まる。 まるで射精を促すように、子種を求めるように、靖羽の陰茎を締め付ける熱く濡れた粘膜。排泄に使うそこは本来、男を受け入れるようにはできてはいないはずなのに。それなのに、意識的にか無意識にか自分を切なく求めてくれる暖の体に、靖羽はいつも愛おしさで胸がいっぱいになる。 「……ぅ、っ、ぁ……っ、あ、ッ、くそっ、出そう、」 スキンをつけずに挿入しているせいだろうか。今日は特に、熱くうねって自身を締め付ける暖の粘膜の存在がより一層生々しく感じられる。射精感が急激にこみ上げてきて、腰のあたりに力を入れてなんとかこらえようとする。けれど、じかに触れ合う暖の中があまりにも心地よくて、努力も虚しく下半身にぐんぐんと熱が集まっていくのを感じる。 「ん……っ、ぁ、っ、ふふ、中に出しちゃえ……っ、」 「っ、ふざけんな、あ……ッ、だめだっつってんだろ……! っ、あ……ぁ、っ、く……っ、イく、」 暖が誘うように笑いながら両脚を靖羽の背に回し、腰を引けないようにわざと体を固定してくる。意地でも中に出すものかと強い気持ちを抱いてそれを振り払おうとするが、暖のすらりとした脚は怖いほどに力強く靖羽の上体に絡みついて離してくれない。攻防を繰り返しているうちに、腰を引けないままついに熱が爆ぜる。どくん、どくん、と脈打つ陰茎から吐き出される精液を搾り取るように、暖の腸壁がずるずると活発に蠕動するのを感じる。 「はぁ、っ、は……っ、あー……っ、くそっ、もー……!」 「ぁ……、ぁ、すっごい量……おなか、あっつい……」 「っ、わかるの……?」 「うん……思ったより、はっきりわかる……、中がじわーっと濡れて、あったかくなる感じ……ふふ……」 快楽の名残か、涙が滲んで赤くなった目をふわりと細めて暖が笑う。あまりに幸せそうなその表情に、思わず靖羽も抗議する気が失せて脱力してしまう。 ゆっくりと腰を引いて、すっかり小さくなった陰茎を暖の濡れた穴の中から抜き去る。一番太さのあるカリの部分が抜けるときに刺激でびくりと暖の体が震える。ちゅぽ、と生々しい水音を残して靖羽の性器が抜け、すっかり花弁を散らされて赤くほどけた暖の蕾が露わになる。靖羽の形に貫かれてぽっかりと口を開けたまま、時折ひくりひくりと収縮を繰り返している。まるで咥えるものを探すようなその動きに、出したばかりだというのについむらむらと腰のあたりに熱が灯ってしまう。 「……っ、吸収される前に精液かき出さないと。……暖さん、立てる?」 「見なくていいの?」 「は?」 「せっかく中出ししたんだから……ほら、見てて、」 甘く囁いた暖が、見せつけるようにさらに足を横に開き、腰の下にさっとタオルを入れる。暖がいきむように息を詰めるのと同時に、痩せた下腹がぐっとへこんで腹筋の線が淡く浮き出る。ほどけた後ろの蕾がぱくぱくと数回口を閉じたり開けたりを繰り返したあと、縦に割れた穴の隙間から白濁した液体がどろりとこぼれ出してくる。ピンク色に充血した穴がひくひくと震えながら、白く濁った精液を少しずつとろとろと吐き出す様子に靖羽は視線が釘付けになってしまう。 中に出してしまったことは不本意ではあったけれど、こうして視覚的にその名残を目の当たりにするとどうしようもなく興奮する自分がいた。大好きな恋人の腹の中に放精して、体を征服して、自分のものにして。 「……っ、くっそ……また勃ちそう……っ」 「ふふ……いいよ?」 「よくない! いいからまず中の精子出してこないと……ほら、立って」 「ん……イきすぎて体ふわふわして立てない……ちょっと休ませて、」 そう言って暖はくたりとシーツに体を沈める。大量の潮を噴いて、何度も絶頂してきっと本当に疲れているのだろう。靖羽は新しいタオルを取ろうとして、ふと手を止める。 ベッドサイドボードの時計が零時を示していた。日付が変わって、六月二十日になっていた。 「だ、暖さん!」 「へ⁉ なに?」 シーツに横たわったままの暖の上にがばりとのしかかる。驚いた顔をしている暖と至近距離で視線を合わせて、靖羽はすうっと息を吸い、そして囁いた。 「お誕生日、おめでとう」 「……へ? あれ? 今日何日だっけ」 「二十日。つい今さっき日付変わった」 靖羽が指し示した時計を確認して、暖が数秒固まる。 「ほんとだ。……覚えていてくれたんだね」 「当たり前だよ。三十五歳、おめでとう」 シーツの上で指を絡めて、ちゅ、と軽くキスを交わす。 「はあ……三十五か……四捨五入したら四十だよ、もう。どうしようね」 「それでいくと俺、四捨五入したらまだはたちだね」 「うああ……! やめて……」 靖羽の言葉に暖が顔を覆ってシーツの上に小さくなる。その手を一つずつ引き剥がして、再び唇にキスを落とす。 「年齢なんて関係ない。何歳になっても、あんたは変わらず俺の一番だよ」 「ほんと……物好きだよね、若くて頭もよくて、こんなにきれいなのに……こんな地味なおじさんに引っかかっちゃって、かわいそうに……」 「三十五歳の目標は、その低すぎる自己評価をどうにかして自信をつけることだね」 「勝手に決めないでよ」 「……あ、そうだ」 靖羽はおもむろにベッドから降りて、壁沿いに仮置きしてあったキャビネットの奥を探る。ベッドに戻って暖の体を起こしてやり、手に取った小さな箱を手渡す。 「……これは?」 「あけてみて」 暖がおぼつかない手つきでするりとリボンを引いて、箱を開ける。中に綺麗にセッティングされていた銀色に光る鎖を指先でそっと取り上げて、暖が感嘆とも驚きともとれるため息をつく。 「わあ……! これって、」 「ネックレス。暖さんにはこういう華奢で繊細な感じのほうが絶対似合うと思ったから。あの鎖がぶっとい手錠みたいなネックレス、どうせ客からもらったんでしょ」 「っ、ふ……ふふ……手錠って……」 靖羽の言葉に暖が肩を揺らして笑う。 誕生日プレゼントとして靖羽が選んだのは、繊細でシンプルなプラチナのネックレスだった。ペンダントトップには緩い曲線を描くごく細いバーが小さくあしらわれており、チェーン部分は細く華奢なつくりできらきらと儚く光を反射している。 色白で骨が細く、品がありいつも背筋が伸びて凛としている。そんな暖のイメージに合わせて、靖羽が吟味して買い求めたものだった。 「つけていい?」 「もちろん。……つけてあげる。貸して」 暖からネックレスを受け取って、向かい合った暖の首をぐるりと一周して後ろで留め具を留める。 「……うん、すごくよく似合う」 「見たい、見たい」 「足元気をつけて」 ふらふらとおぼつかない足取りでベッドから立ち上がる暖の体を支えてやり、手を引いて壁際に立てかけてあった姿見の前まで連れて行く。姿見を覗き込んで、暖が息を呑む。 「……すごい……きれい。鎖のとこ、きらきらして……肌の上に光の糸が乗ってるみたいだ」 「手錠よりずっと、ずーっと、あんたに似合ってる」 「んふふ……手錠……、そうだね、僕もそう思う」 鏡の中には、一糸まとわず裸の胸にネックレスだけをつけた暖が映っていた。白い肌の上で、細い銀の鎖が照明を反射してちらちらと儚い光を放つ。 「靖羽、ありがとう。すごく……すごく、うれしい」 「プラチナ素材で丈夫だから、これからいっぱい使って」 「うん。今日もつけたまま寝る」 嬉しそうに笑う暖と、鏡の中でぱちりと目が合う。 銀色のネックレスをつけただけで他には何もまとわず、生まれたままの姿でそこに立っている、愛おしい年上の恋人。骨の形がくっきりとわかる華奢な上半身、すらりと細く長い手足、足の間に慎ましく収まっているしっとりと濡れた性器、そのすべてが愛おしいと思う。 後ろからするりと胸のあたりに手を回して、上半身を抱きしめる。鏡の中で見つめてくる暖の目は、少しの不安を孕みつつも、奥のほうに淡い欲情の炎をちらちらと見え隠れさせているようにも見えた。 痩せた白い胸の上にぽちりと浮いたピンク色の乳首に視線が行く。衝動を抑えきれずに、指先で右のそれをきゅ、と優しくつまんだ。 「ぁ……っ、」 途端、暖が細くかすれた声を漏らして、腕の中で小さく体を震わせる。そのいじらしい反応に靖羽はすっかり火をつけられてしまう。暖の首を、胸を、腹を、尻を、腿を手のひらでまさぐりながら、後ろから顔を覗き込むようにして唇を重ねる。 横目で姿見を確認する。全裸で抱き合って舌を吸い合う自分たちの姿がありありとそこに映っていて、背筋がぞくりと震えるほどに興奮した。 「っ、ぁ、は……っ、おしりに当たってる、」 「……っ、だって……暖さんがあんまりにも綺麗で……体見てたら、なんかムラムラしちゃった、」 「ん、ふふ……僕も、靖羽のそのエロい顔見てたら……勃っちゃった」 見ると、暖の陰茎もまた完勃ちとまではいかないものの、しっとりとゆるく立ち上がって宙にその首をもたげていた。 「ごめん……ちょっと、お尻借りさせてください、」 「わ……、わっ、」 靖羽は暖の両脚を閉じさせると、ぴったりと閉じた暖の尻の割れ目に自身のそそり立った陰茎をにゅるりと差し入れる。そのまま腰を前後に動かして、いわゆる尻コキの状態で尻の肉との摩擦を起こして自身の陰茎に刺激を与える。太ももの間に挟めるならそのほうがやりやすかったが、暖のすらりと痩せた脚はどんなに閉じても隙間ができず、挟める余地がなかった。 暖は戸惑った様子だったが、前に手を遣ってその半勃ちの性器をしごいてやると、たまらないといったように甘く喘いで鏡越しにこちらをとろりと見つめてくる。 「ん……、っ、ねえ、靖羽……なんでいれないの……?」 「……っ、中の精子が、奥に行っちゃうから、」 先ほど出した精液が暖の腹の中に入ったままの今の状態で再び挿入したら、精液を奥ヘ奥へと送り込んでしまうことになる。かき出すにもかき出せなくなり、あとから暖がきっと腹を下してしまう。そうでなくても、絶頂の余韻で立っているのもやっとな暖に再び挿入することなどできなかった。 けれど。 「靖羽、」 後ろに回された暖の手に陰茎をがしりと掴まれ、靖羽の腰の動きが反射的に止まる。 「……ちゃんといれて。じゃないとおしりは貸したくない」 「っ、でも……暖さん、」 「……半端に体触られて、ほしくなっちゃったんだもの。ちゃんと責任とって」 鏡の中で暖が誘うように微笑む。その内ももには、中から溢れ出てきたのであろう白濁の液体が一筋、とろりと伝っていた。 「……せめて中、少しかき出させて」 「だめ。待てない」 「ローション……、」 「いらない。君の精子でもう中ぐちゃぐちゃだもん」 「……っ、ああ、もう……!」 暖は性急な様子で自ら尻たぶを左右に割り開き、肉棒を受け入れようと腰をゆらゆらと揺らす。靖羽は小さく舌打ちしてその骨ばった腰を掴み、ぐっと腰を押し付ける。すっかり熟れてほどけたそこは、軽く亀頭を押し付けるだけでちゅるりと靖羽を中に受け入れ、再び侵入してきた靖羽の熱い欲望を歓迎するようにきゅんきゅんと収縮し、熱い粘膜で包みこんでくる。 ぱちゅ、ぱちゅ、と二回浅くピストンを打ち込むと、やや内股気味に立って必死に体を支えていた暖の脚ががくがくと震える。追い打ちのようにぐぐ、と深いところまで貫くと、ついに体を支えきれなくなって暖の体が痙攣しながら崩折(くずお)れていく。しっかりと体を支えてやりつつ、ゆるゆると一定のリズムで抜き差しを繰り返すと、暖が鼻にかかった涙声で切なく喘いだ。 「は……っ、……っ、暖さん、あんた、ほんっと……綺麗だよ、」 靖羽が腰を打ちつけるたび、ネックレスが暖の鎖骨の上で踊ってちらちらと銀色に瞬き、完全に勃ち上がった陰茎がぷるん、ぷるん、とピストンの動きに合わせて上下に跳ねる。鏡の中の暖の痴態を食い入るように見つめる靖羽に対し、暖は泣きそうな顔をしてついと顔を横にそむける。 「ぁ、あッ、ん、ぁッ……はずかし……い、」 「……っ、自分からいれてって誘ったくせに……思ったより生々しくて、恥ずかしくなっちゃった?」 からかうように低く笑って、膝を落とし下から突き上げるように数回中を抉る。すると暖が喉の奥から絞り出すような細く甘い悲鳴をあげて上体をぎゅうう、としならせる。痩せた胸に浮いた二つの乳首がぷっくりと勃ち上がってその姿を現していて、まるで小さな真珠のようだと思った。 「暖さん……っ、ほら、ちゃんと見て。お尻にいれられて、気持ちよくてぐずぐずになってる暖さんの姿」 「っ、ぁッ、あっ、や……ッ、やだぁ、っ、ぁ、あッ」 靖羽の囁きに、暖はいやいやと力なく首を振って意地でも鏡に視線を向けようとしない。 「……じゃあ、俺を見て」 ひんやりした白い頬に手を添えて、そっと前を向かせる。涙で濡れた不安そうな茶色の瞳と、鏡の中で目が合った。 「あんたにどうしようもなく欲情して、あんたがほしくてほしくて仕方なくて……必死に腰振ってる俺のこと見て。みっともなくチンコおっ勃てて、あんたに縋ってる俺の姿を見て」 とちゅ、とちゅ、と一定のリズムで腰を送りながら、鏡越しにじっと熱い視線を絡める。 はあはあと肩で必死に呼吸をしていた暖が、やがてくすりと困ったように微笑む。 「っ、ふふ……もー……やらしい顔して……」 「……っ、あんたがエロいせいだよ、」 「ぁ、んっ、あッ、あッ……、まーたひとのせい……ッ、あっ、あ……、きもちい……っ、きもちい、」 まるで踊るように跳ねる暖の陰茎を捕まえて、ゆるゆると手のひらでしごく。後ろと前、両方への刺激に暖がうっとりと熱いため息を漏らす。中からこぼれた精液なのかローションなのか、はたまた暖の腸液なのかわからない泡立った液体が暖の内股を伝って落ちていくのが鏡越しに見えた。 「っ、ぁ、ッ、ん、あ……ッ、やすは……やすはぁ……、」 「なあに……、暖さん、」 「っ、ふふ……しあわせ、だなあ……」 「え……?」 「っ、大好きな君に……こんなに、ッ、必死に、求めてもらえて……っ、大事に抱いてもらえて……こんなにあったかくて、っ、しあわせ、で……」 「っ……、暖さん、」 「ありがと、ね……靖羽、ありがと……、だあいすき……だよ、」 頬を淡く上気させた鏡の中の暖が、ほとんど吐息ばかりのかさかさした声で囁き、ぽってりとしたまぶたを細めて微笑んだ。と同時に、切れ長の目尻からぽろりと透明なしずくが転がり落ちる。 性的な刺激に反応しての生理的な涙なのか、それとも。 わからなかったけれど、それは靖羽の胸に温かくて切なくて、狂おしいまでの大きな気持ちを芽生えさせる。 「は……っ、はぁ、っ、だんさん、暖さん……っ、」 「っ、あッ、あぁあッ、ぅ、あぁぁ、」 こみ上げる衝動をコントロールできず、がつがつと欲望のままに腰を突き入れる。暖の内ももがまるでひきつけを起こしたかのように病的にがくがくと震えたかと思うと、張り詰めた陰茎からぷしゅ、ぷしゅ、と透明な液体が少量噴き出て鏡を汚した。同時に中がぎゅうう、ときつく締まり、靖羽の背筋を射精感が一気に駆け上がる。熱が爆ぜる前になんとか腰を引いて、ずるずると(うごめ)く暖の中から肉棒を引きずり出す。すっかり脱力して今にも崩折れそうな暖の体を左腕で支えながら、震える陰茎からとろとろと溢れ出す少量の精液を右の手のひらで受け止める。 「……っ、ぅ、く……っ、はあ、っ、は……ッ、」 「っ、ふふ……、ちょこっとしかでないね……っ、」 「っ、さっきイったばっかだもん……っ」 「……出すものないのに、ずーっとびくびくしてて……なんかメスイキしてるみたい……んふふ……」 「うるさい……、っ」 くったりと力の抜けた暖の体を支えて、ひとまずベッドの上に寝かす。精液で汚れた手をティッシュで雑に拭って、靖羽はどさりと暖の隣に倒れ込んだ。 「……はーっ……すっかり絞り取られた……」 「僕も潮噴いてイきすぎて、もうくたくた。よく眠れそう」 頬を桜色に上気させた暖が隣でふわりと笑う。 「待って、そのまま寝ちゃだめだよ。中の精子出さないと」 「んー……」 「暖さん、暖さん、寝ちゃだめ、マジで。抱っこして連れてってあげるから。ほら、」 「もうちょっとおしゃべりしたい……」 甘えるような暖の囁きに、靖羽は起こしかけていた上半身をベッドに戻す。横たわって、至近距離で見つめ合った暖のまぶたが眠そうにとろんと下りてきていた。 「はあ……最高の誕生日だ、」 「まだ三十分も経ってないよ? 日付変わってから」 「この三十分ぶんだけで、もう最高なの。これまでの三十五年で一番」 暖は指先で胸元のネックレスの鎖をもてあそびながら微笑んだ。 「明日……というか今日、休み取れなくてごめん。がんばって定時で上がって、早く帰ってくるからね」 「……ふふ、」 「……あれ、なんかおかしい要素あった?」 「『帰ってくる』んだね。これからは、毎日同じ家に……ここに、帰ってくるんだね」 暖のぽってりと白いまぶたが微笑みに細くなる。一気に印象が幼くなる、靖羽の大好きな暖の笑顔だった。 まだ完全に実感が持てない。けれど、新しい家具に囲まれた新しいこの部屋で、隣に暖がいてくれて。 きっと荷解きをして、同じ時間をこの部屋で過ごしていくうちに、実感が持てるようになるのだろう。 「……うん」 胸の深いところからじわりと湧き上がってくる温かい感情が全身に満ちるままに、靖羽もまたふわりと微笑んだ。
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