私、無職からのサクラになります!

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その世界へと一歩踏み込む。 観音開きのガラス扉。自動ドアが開く。 ちゃらららちゃら ちゃらららら とか鳴ったら面白い、と思っていたら鳴った。 笑う。 多分にこれは撤退したコンビニエンスストアを居抜きしたもの、レジカウンターが会社受付になっている。 玲 「あの、すみません。」 菊田「はい。」 玲 「今日、採用面接予定の者です。」 菊田「あ、あぁ、お待ち下さいね。」 ノートパソコンで何やら検索している女性、黒髪をきちんとまとめ、襟元も正しい白いブラウスに濃紺のスーツ、首にはネームタグがぶら下がっている。 至極真っ当な会社のように感じる。 玲  (菊田美子(きくたよしこ)さん、かな?) 菊田 「あぁ、ございました。」 玲  「あ。」 菊田 「鈴木福子さま。」 玲  「はい。」 菊田 「タレントさんのお名前と似ていらっしゃいますね。」 玲  (はいーーー鈴木福くんの姉(偽)ですーー!) 玲  「よく、言われます。」 菊田 「では、こちらにお掛けになってお待ち下さい。」 お尻に少し硬さを感じる焦茶の長椅子。 見渡した感じ、衝立の向こう側にはスチールデスクが二、四、六個。背の高い観葉植物、男性社員と思しき人物がノートパソコンに向かって何やら入力している。やはり真っ当な会社に思える。 玲 (いやいやいや、面接官が企業なんとかみたいな道を極めた感じだったら速攻、お暇する。) ダッシュで逃げよう。 メールアドレスはフリーアドレス、名前も偽名、身元がバレる事はない!はず! 菊田 「鈴木さま、お待たせいたしました。こちらへどうぞ。」 衝立の向こうから高倉健の様な渋い声が私の名前を呼んだ。ゴクリ。喉が鳴る。 高倉健は七福神メンバー、センターポジションの大黒様だった。一瞬、吹き出しそうになるのを堪えた。 まぁ、人は良さそうだ。 衝立の向こうには、事務所にありがちな膝の高さまでのガラステーブルが置かれていた。 大久保「さぁ、どうぞ。」 玲  「あ、はい。」 大黒様に座るように勧められ、失礼します、と腰を下ろす。 身分証明書と念の為準備して来た履歴書を出そうとすると、手がそれを遮った。 大久保「あ、それはまだ良いです。」 玲  「はい?」 大久保「我が社の、採用にあたってお知らせしたい事をいくつかお話ししますので、その内容にご納得頂ければその時ご本名をお伺い致します。」 玲  (ば、バレてるーーー!)  「は、はい。」 この仕事は、マッチングアプリの女性会員不足を補う為の応援要員、パートナーだという。 ざっくりと表現すればサクラ。 当然、アプリにはハンドルネームで登録し画像処理された顔を掲載する。 男性会員とのマッチングが成立すれば現場に出向いて相手をする。 大久保 「時給は3,000円、時間制限はありません。」 玲   「はい。」 大久保 「あ、8時間労働は厳守です。」 玲   「はい。」 大久保 「事務所での作業は時給970円です。」 玲   「はい。」 大久保 「あと、休憩とお泊まりは御法度です、契約解除させて頂きます。」 玲   「休憩、とは、あれですか。」 大久保 「はい、ちょっと疲れたね、休憩して行こっか、見たいなあれです。」 玲   「はい。」 また、相手に金品を要求してはならない。 大久保「不倫関係は。」 玲  「絶対、嫌です。」 大久保「はい。」 雇用契約書にはこう書かれていた。時給3,000円 (事務所内の業務は時給970円) 交通費実費支給 飲食費全額支給 携帯電話貸与 雇用保険あり 待ち合わせ先に行く場合は会社でタイムカードを押し、途中どの辺りに居るのかを逐一報告する、解散時間は電話連絡のみ可能。 交通費や飲食費などのレシートや領収書は必ず落ち帰り、後日提出。 休日は自由、時給日給制なので働いた分だけ給与になる。 働き方次第では、社会保険加入可能。 条件は良かった。 玲  (・・・・こ、これは、働きたい!) 大久保「ただ。」 玲  「ただ?」 大久保「男性会員、どなたともマッチングしない場合はお給料0円です。」 玲  (そ、そうだよねーーーーー!) 大久保「あ、マッチングまでの事務作業は時給970円です。」 玲  「はい。」 大久保「雇用契約書もお渡しします。」 玲  「はい。」 大久保「ちなみにこの求人、ハローワークにも掲載されています。」 玲  「マジですか。」 大久保「マジです。」 手渡されたA4版の藁半紙には確かにこれと同じ条件の求人が出ている。 玲  「営業事務、とありますが。」 大久保「はい、営業事務です。」 玲  「営業。」 大久保「はい。」 玲  (日本語って便利だな。) 怪しげな箇所も無きにしも非ず、しかしながらの好条件。 大久保「鈴木さん。」 玲  「は、はい!」 大久保「どうなさいますか?」 玲  「はぁ。」 大久保「退職についてですが、万が一男性会員さまとトラブルになった場合、または『あ。この仕事、自分にはちょっと合わないわぁ。』という時は、いつでもお辞めになられても結構です。」 玲  「は、はぁ。」 採用面接の最中に、退職云々とはこの面接は望み薄なのか。 玲  「質問、よろしいですか?」 大久保「はい、どうぞ。」 玲  「トラブル、とは。」 大久保「そうですねぇ、付きまとい、ストーカーですね。過去にそんな事例もありました。」 玲  「はい。」 大久保「その際は会社でも対応しますが、そのようなリスクもあります。」 玲  「分かりました。」 黒いビジネスバッグからクリアファイルに挟んだ履歴書を取り出し、センターポジション大黒様に手渡した。 履歴書を受け取った大黒様は『あぁ!』と思いついたようにスーツの胸内ポケットから黒革の名刺入れを取り出し、名刺を一枚、両指で掴み差し出した。 大久保「申し遅れました。」 玲  「はい。」 大久保「株式会社Queen代表取締役、大久保利通(おおくぼとしみち)です。」 玲  「?」 大久保「あぁ、歴史上の人物とは縁もゆかりもありません。」 玲  (まんま、ですが。) 大久保利通は一旦席を立つと、老眼鏡を掛けて戻って来た。 履歴書を手に、上段から下段まで一通り見ると、『Why?』とゼスチャーをして首を傾げた。 大久保「鈴木さん、なぜ我が社の面接を受けに来られたのですか?」 玲  「お、お金が欲しいからです。」 大久保「お金。」 玲  「はい、時給が良かったからです。」 大久保「正直ですねぇ。個人的な興味ですが、そのお金とは何に使われるのですか?」 ゴクリ、緊張が走った。 大久保利通は老眼鏡を右の人差し指でクイっと上げて見上げるように質問して来た。これは正直に答えるべきだろう。 大久保「まさか、ギャンブルとか。」 玲  「いいえ。」 大久保「ホストさんに貢がれるとか。」 玲  「いいえ。借金があるから返済しなければなりません。」 玲は一流と呼ばれる大学を卒業し、そこそこ名の通った会社に就職した。ところが上役の多額の横領が発覚し、取引先から信用ガタ落ちの会社は呆気なく倒産。突然、無職。幼くして両親は他界し身寄りもなく、玲の手元には大学に入学した際に助けられた奨学金250万円の返済義務だけが残った。要するに借金250万円。コツコツと蓄えた貯金の残高は目減りし、もうじきアパート賃貸料金の支払いが滞る、その一歩手前、断崖絶壁である。 玲  「と、言うわけです。」 大久保「分かりました。」 玲  「はい。」 大久保「大変でしたね。」 玲  「大変です。」 大久保「よし、採用しましょう。」 玲  「は、はい?」 大久保「写真撮りますから、奥のスタジオに行って下さい。」 驚くべき事に、コンビニエンスストアのバックヤードはフォトスタジオになっていた。 暗い室内に白いバックスクリーン、傘の付いた眩しい迄のライティングと、なかなか本格的だった。 事務所のノートパソコンの中にはフォトショップ云々もバッチリ揃っている。 玲  「え、え、え。」 大久保「田中くん、一枚お願い。」 田中 「ウィーっす。」 鈴木玲。 ただいまフォトスタジオで苦笑い中。 初めての場所。 突然の写真撮影。 化粧直しも何も無く、髪型もまとまっているのかいないのか。 しかも面接用の着慣れない白いシャツに黒のスーツ。 玲  (・・・・・えええ、この格好で写真撮るのぉ。) 田中 「大久保さん、なんかこの服じゃ硬いっすよ。」 大久保「じゃあ、何かワンピースでも選んでもらって。」 田中 「玲ちゃんは、色白で髪の毛、茶髪っぽいから、薄い色選んで。」 玲  「は、はい。」 更に驚いた事に、コンビニエンスストアの更衣室のスチールロッカーにはS、M、L、LL、3L、と豊富なサイズで襟周りのシンプルなワンピースが揃っていた。これが一番写り(画像修正もし易い)が良いらしい。 玲  「これにしました。」 玲は白地に水色の細かいギンガムチェックのワンピースを選んだ。 そして面接用に硬く結えていた髪をほどき、いつものようにトップでふんわりとさせ、後れ毛は持参していたリップクリームを代用してまとめて散らした。 田中 「玲さーん、硬いよ、ニコッ、スマイル、笑って。」 玲  「へ、へへ。」 田中 「や、ニコッと。」 当たり前だが、玲は既婚者ではない。 正真正銘の未婚。 しかも恋人いない歴=年齢=25年間、男性と付き合った事など無い。 その彼女が既婚者(偽)としてマッチングアプリQueenに登録している。 登録の際のプロフィールは、大久保利通の鶴の一声で決まった。 大久保「鈴木くんは可愛らしいからお花屋さん勤務で。」 玲  「か、可愛いですか?」 大久保「そばかすが可愛い。」 玲  「はぁ。」 大久保「旦那さん(仮)は単身赴任。」 玲  「単身赴任。」 大久保「旦那さんは30歳。」 玲  「はい。」 大久保「結婚二年目、話し相手希望、で良いかな。」 玲  「はい。」 大久保利通は手元のバインダーにサラサラと登録内容やポイントアピールを書き出して、事務所のグレースチールデスクに座っている眼鏡の田中太郎さんにあれこれと指示を出していた。 大久保「田中くん、会員登録、これでお願いします。」 田中 「ウィーっす。」 大久保「ハンドルネームはどうしますか?」 玲  「ふ、ふくっちで。」 大久保「ダサいですね。」 玲  「ごめんなさい。」 受付嬢の菊田美子さんが何枚かの書類を手渡してくれた。 ボールペンと朱肉、念の為にと三文版の印鑑を持参していたのでその場で全ての契約手続きを終える。 鈴木玲は時給3,000円の少し怪しげなパート先に巡り会い、即日採用された。
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