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「いくつかお伝えすることがございます」  専用口座に当選金を用意すること。  高額当選者へのレクチャーがあること。  資産運用について。  悪徳業者への注意喚起。  大まかに説明を受けた後、福家が出て行き、辻川と名乗る女性行員が現れた。 「投資信託はいかがでしょうか。  株や債権をプロが運用します」 「いらない」 「老後のために、年金になる保険もございます」 「いいって」 「NISAで税制上優遇措置を受けられる投資 ───」 「いい加減にしろ、銀行は財布を握ってるからな。  金が入ると、途端にすり寄って来るんじゃねえよ。  うまい話が、向こうからやって来るわけがない」  机を叩いて立ち上がった。 「ニートには、ニートの流儀がある」  社長室のデスクにドカリと腰を下ろした洋一郎は、内線で専務を呼んだ。  北見専務が小走りでやってくると、作業机に着いて向き合った。 「で、融資はいかがですか」 「そっちは恐らく問題ない。  それより岳が、3億円当てたんだよ」 「なんですって」  北見は無駄なぜい肉のない身体をピンと伸ばしてから、身を乗り出してきた。  顔立ちが整っていて、知性を感じさせる男が、驚きを(あら)わにしていた。  銀行での顛末(てんまつ)を話すと、 「なるほど。  ガクらしいと言えば、らしい反応じゃありませんか」  岳は、社員から「ガク」と呼ばれていた。  ニートで、社長から見放されているとか、様々な噂を流されていたが、不思議と放ってはおけないと思われていたのだ。 「しかし、蔑まれているなんて、心外ですね。  被害妄想じゃありませんか」 「多分な、俺たち会社勤めの人間から、無言の圧力を感じてるのさ」  気難しい息子を心配して、ため息交じりに言うのだった。 「私で良ければ、お力になりましょう」 「北見さんを見込んで、金の使い道を間違えないように教えてやって欲しい」  生え際の辺りを搔きながら、頷いて瞑目した北見は思考を巡らせていた。  岳は作井製作所の休憩室を訪れた。  工場では、忙しそうにフォークリフトがコンテナを運んで出入りしている。  目の前の事務室との間を、書類袋を脇に抱えた人が行き来していた。  少し離れた場所に食堂がある。  工事現場のようなプレハブの簡素な建物に入ると、広い食堂の脇に、乱雑にパイプ丸椅子が置かれたスペースがあった。  自動販売機が3つあって、500mlペットボトルのお茶を120円で売っていた。  総務部の女性社員の松崎が、ぼんやりとして入ってきた岳に視線を合わせて小さく会釈をした。 「松崎さん、今月の資金繰りが厳しいって本当かい」  単刀直入に岳が切り出した。  腕組みをして唸っていた彼女は、眉間の皺を深くした。 「ちょっと、いろいろあってね」  ため息をついて、床に視線を落とした。 「いろいろって ───」 「やあ、ガク。  どうだい、一局」  聞き返そうとしたところで北見が、ぬっと顔を突っこんできた。 「ちぇっ。  北見さんか」  2人は将棋仲間だった。  アマ有段者同士、将棋会館で出会ってからの仲である。 「松崎さんと、何を話してたんだい」  役員室でパチパチと、駒音が(せわ)しなく響く。  北見が指した瞬間に手を伸ばして岳が指すので、お互いに意地になって速くなっていく。 「強いねえ」  嘆息した北見は、ソファにひっくり返って天井を仰いだ。 「会社、資金繰りが悪いんだって」  歳は岳の方が一回り若いのだが、棋力は上である。  微妙な関係ができ上っていた。 「経営は、将棋よりも遥かに難しいのだよ。  正直、経営状態は悪くない」 「じゃあ、なんで銀行に融資を相談するんだい」 「銀行を立てていた方が得だからだよ。  融資をすれば儲かるのは」 「銀行か ───」
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