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気球
山彦少年は、すでに竜の民を見たから『魚人族』を見たくらいでは驚かないと、思っていた。
しかし、ラン・カルプ号からやってきた人物に驚いた。
ネッドと名乗った魚人族は上半身は人間であるが、下半身はイルカである。さすがに歩けるわけではないので、和邇号の露天甲板では車輪の付いたイスで移動していた。それを人間の彼の副官が押している。
「あの兵器の事は聞いておりませんが――」
挨拶もそのそこに艦長が、あの音波を発生する兵器に苦言を申し入れた。
ネッドは不快感も見せず、悪びれも無くも無しに、
「まだ試験段階でしたので、そちらに連絡はしておりませんでしたな。
しかし、急とはいえ怪異に対して効果があったことは喜ばしいことです」
「――こちらにも少々被害が及びましたが……」
「まだ試験段階の為、欠点はあります。しかし、我々の目論見をよくお判りになった。戦闘時の連絡用の周波数を共有していないにもかかわらず、見事にモンストルを打った子には感心しておりますぞ」
――食えないヤツだ。
艦長のネッドに対して思った事だ。
結局、相手の連絡不足を詫びることもなく、こちらの行動を褒めてうやむやにしようとしているようだ。
「正式採用の暁には我が方の全艦に搭載予定です。『竜の民』にも提供を考えております」
「ああ、それはしばらく様子を見てから――」
あのやかましい音波兵器を、艦長は今のところ嫌っていた。他の和邇号の乗組員に聞いたところで、恐らく同じように拒絶するだろう。
あの源内師範もここにはいないが、「所嫌わず攻撃するようなものは好かない」といっていたのを、艦長は医務室で聞いていた。
原理だけは、源内師範、医師バクが丁度、医務室に揃っていたために推測は出来た。
これは水中に特殊な音波を放ち、潜水艦の鋼板さえ突き抜けて攻撃するものだ。そして、生物……人間や竜の民の内耳等に振動を与え、不快にさせるという。
そのために、タコの怪異は、船体から離れずにはいられなくなったのだ。
だとしたら、魚人族側のラン・カルプ号の乗組員にも、症状は現れているはず。
味方まで被害を及ぼすものは兵器とは呼べない。
その答えも知恵袋のふたりが推測した。
自分達だけ耳栓をしていると――
竜の民も魚人族も人間も、耳の中の内耳がこの音波攻撃に一番ダメージを受けた場所だ。そのため、特殊な耳栓で乗組員の健康を保っていたのではないかと――
「不要とおっしゃるか?
失礼した。もしかして我々とは違う武器をお持ちなのか? それは是非とも――」
「申し訳ないが、まだこちらも試作段階。ご覧に入れられるようなものではございません」
「謙遜を……竜の民の作るアルムは素晴らしいものがあります。是非とも――」
ネッドは中々引き下がらない。
――少し前まで、戦をしていたことだしな。
艦長がこの地位に就く前の世代。遙か昔に竜の民と魚人族は、大海を巡って争いをしていたと聞かされた。しかし、今は共通の敵『怪異』が現れるようになり、わだかまりのある中で和睦が結ばれたのだ。
そう聞かされている。そして和睦の一環として、あのフタヒメの留学があった。
彼女の留学は短期間であったが、いわば人質交換だ。
――和睦は上手くいっている。フタヒメ様が帰ってきたことだしな。
艦長はそうは思っても、相手側の警戒心が抜けないのを気にしていた。
「さて、本題に移りましょう」
と、ネッドは話を切り換えた。
「我々が、このダグラス礁に来たのは、そちらの姫様を送りに来ただけではあるません」
「そうでしたな……こちらは現在準備中です」
と、和邇号の露天甲板から艦尾の方へ目を向けた。
丁度、船体中央のパネル4枚分が展開されていた。そして、そこから巨大な気球が顔を出している。
※※※
「これから何が始まるんですか?」
山彦少年はそのパネル近くの艦内に、源内師範と一緒にいた。
「まあ、見ておれ!」
と、師範は近くのパイプについているバルブを回している。何かの気体がその先に繋がっている気球に送り込まれていた。
送り込まれているのは水素だ。和邇号は発電力にものを言わせて、水を電気分解し酸素と水素を取り出していた。酸素は艦内への呼吸のために使われるが、水素は再び海水に混ぜて廃棄していたのだ。だが、今回のために一時保管されていた。
それは目の前の気球を膨らますためだ。
「先生。そろそろ、既定値です」
黒い竜の民のユキが、師匠の作業のサポートをして、気球への水素量を測っていたようだ。
「判った!」
見上げても先端どころか、気球の底しか見えない。少し前まで空が見えたはずだが……。
気球の大きさ高さは、100メートル近くになっていた。現在は引っ繰り返したようなイチジク型をしている。そこから何本もロープが垂らされており、艦内に置いてある円筒形の物体に繋がっていた。
「ああ、源内じゃ。気球の準備完了じゃ」
マイクハンドルを掴むと、計画を統括している発令室へと連絡する。
※※※
「気球の準備が完了したそうです」
源内の情報を受信したのは、発令室の後方側にある海図室兼作戦室に届けられた。
中央に置かれたテーブルの上には海図やら天気図、その他、各種のメモ書きが乱雑に広げられている。
ここを統括しているのは、九郞副長だ。
艦長は外の露天甲板――この部屋の上――で、魚人族の接待をしているので、これから行われる作業は副長に任させている。最終的な許可は艦長であるが――
「天候はどうだ」
「しばらく低気圧等は問題ありません」
副長の問いに、気象担当の隊員が応える。
「位置も緯度、経度も問題ないかと――」
円盤状の器具で何かを計算している航海担当もそう答えた。
「出航前の説明では……気球を飛ばして、指定した高度に到着したら装置が起動する。それから――」
発令室主任が書類をパラパラめくる。
九郞副長は不安そうな顔をしているが、準備は整い始めているようだ。
「上空の天候は相変わらず判らないか――」
「艦に搭載されている気象装置ではそこまで……そのために、今回の作戦があるんですよね」
「しかし、本当なのか? 地球の裏側の魚人族と通信が取れるって――」
主任は咳払いをすると、
「今回の1基だけでは無理ですね。出港時の説明されたとおり、最低でも3基は必要と」
「それを我々が準備するのか?」
「魚人族との取り決めですから――」
「資材提供をしてくれるのはいいが、うちの艦を発射台に使うなんてよく思いついたな」
「元々、『神の槍』の発射台だった戦略潜水艦を、全部降ろして武装輸送潜水艦に改装しましたから」
「ようは何でも屋か――」
副長と主任が談笑をしていると、
「源内さんから、『早くしろ』と言ってきてますが――」
作業現場から催促が上がってきた。
この部屋からも膨れ上がった気球が見える。作戦室をグルッと囲むように、小さな円い窓が付いているからだ。艦尾側の窓には気球が完全に視界を遮っている。
主任は部下から渡されたチェックリストを見ながら、
「準備は完了です」
副長は艦内電話の受話器を取り上げると、
「よし……艦長。準備完了です。これより策を開始します」
現在、電話の先は外部スピーカーに繋がっている。しばらく様子を見ていたが、艦長から特に何も言ってこないので、
「――では始めよう。源内師範に連絡。気球の切り離しを許可する」
※※※
山彦少年は上がっていく気球を見上げながら、疑問に思っていた。
しなびたイチジクのような気球がフラフラと空に放たれると、床に置いてあった円筒形の物体を引き連れて昇っていった。
「全く、竜の民と魚人族の知識は凄まじい」
気が付いたら横に源内師匠が立っていた。
そして、同じように飛んで行く気球を見上げている。
「なんのための機械なんですか?」
「ああ……遠い場所と場所とを結ぶ装置だ」
「遠い場所と?」
「判らない顔をしているな。まあ聞いているだけでは解らないだろう。そうだなぁ――」
と、源内師範は頭をかきながら、考え込むと、
「お前の生まれはどこだ?」
「オラは……」
救助されて数日が経っているが、未だ少年の記憶は戻っていない。自分が何者かと、考えると頭痛は相変わらず起きる。
頭を抱えだした山彦に少し驚きながら、
「なんだ? 判らんのか?」
「――思い出せないんです」
「頭でも撃ったか? バク殿でも治せないとなると――」
と、アゴをさすりながら源内師範は呟いた。
「オラの記憶は治らないでしょうか?」
「いや、この艦では無理だろうなぁ。治せるとしたら、竜宮だろうな――」
「竜宮……あの竜の民の都――」
「そうじゃ。そうなってくると、ワシらに付いてくることになるな。
竜宮への帰り道、日の本の近くを通る。その時が最後の決断するところだろ」
――そういえば、この艦に残るか、日の本に返るか決めろと言われていた。
山彦少年はふと思い出してきた。
自分の身の振り方……記憶も曖昧で、身内もいなさそうなのに、戻るべきだろうか。金子を渡してくれると入っていたが、故郷も分からない。日の本に戻ったとして、どこかで野垂れ死んでしまわないかと――
だからといって、この戦船に残るか? 弁慶保安長の話から、竜の民の配下で彼らのために働いている、よく分からない機械に囲まれて。だが、それは少年としては、好奇心がくすぐられていた。
何も知らないこの世界のことを、もっと知れるかもしれない。
それよりも、この戦船には食事には困らない。そんな気がしている。
曖昧な過去の記憶から、自分の昔の食生活はその日ぐらいで満足に食べられなかった…… それは、かなり魅力的だ。
ただ、あのタコのようなバケモノ……怪異の存在が気になる。しかし、今はあまり気にならかった。それは、この和邇号の力をもってすれば恐れることが無い。盲信ではあるが、今のところ勝っている。
――もう陸に戻らなくても、この人たちに付いていこう。
山彦が見上げている気球は、上空を登り続けてすでに見えなくなっていた。
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